最新のブログは、以下のアドレスに引っ越しました。今後共よろしくお願い致します。
http://www56.jimdo.com/app/sc0a9dead5e8c5ff1/p99ee47f716481db6?safemode=0&cmsEdit=1
八百津町役場との話し合いも進んで、地域おこし協力隊の募集の概略が決まりつつあります。
(地域おこし協力隊(総務省予算)募集概略)
・募集人員 3人
・募集年齢 20歳から45歳くらいまで 性別不問
・活動内容 八百津町の地域・産業振興
福地小学校(5年前に廃校)の活用事業
・身分 八百津町からの委託になり、規定等は町職員に準じます
・報酬 年間一人につき200万円=月額166,000円
(活動以外のアルバイト可)
・活動費 年間一人につき200万円
・勤務 週5日間 週休2日
・活動期間 6月1日~一年更新~最大3年間
・住居 八百津町が用意し、住居費は無料です
なお募集期間は4月以降になります。
その他、詳細はより詳しい内容が決まり次第お知らせします。
ご興味のある方は、お気軽にお問い合わせください。
ここは加茂郡八百津町福地。
加茂郡は4~5町あるのかな?面積的にはかなり広い。岐阜県下の廃校を調べていたら1947年以降で加茂郡で廃校になった小中学校は、さぞ多いのだろうと思いきや・・なんとここ八百津町の福地、ここ福地小学校のたった1校でした。近隣町村に事例がないのかい!!
おおっ、廃校先進地。
ならば、ネガティブ現象も逆手にとってのびのびとやらせてもらいましょう~福地小学校の再生プロジェクト。
文部科学省による調査。
公立の小中高は2012年度に598校、2013年に482校、2年間で合わせて1080校が廃校となった。
内訳は、小学校が765校、中学校が221校、高校が94校、最も廃校が多いのは北海道の85校。
2003年度以降、毎年400校以上が廃校となっており、2004年から現在まで10年間の廃校数は5801校。20年間では7600校。
早朝仕事場にどこかで見たことのあるおっちゃんがやって来て「山ちゃ~ん、ちょっと助けてくれ~」見れば車のマフラーがブランブランち切れかかっている。
修理不能だったので工具を使ってマフラーを外し、しばらくの間このおっちゃんとバカ話で朝からゲ~ラゲラ。記念にと外したマフラーと満面の笑顔で写真に収まるこのお方、八百津町の町長。
背広を脱げばいいおっちゃんです。
ちょっと前からブームになっている「おにぎらず」のレシピ本。
ずっと気になっていて、他にも同じようなレシピ本が何冊も並ぶ中、表紙や中の写真のアングルが良かったので買いました。
なので、レシピ内容は二の次で文字は読んでません。
いつかこんな写真が自分でも撮れたらいいなぁ~、まねしてやろうぉ~、レシピ本というよりは写真の勉強になるなぁ~と。
裏表紙を見ると3人のカメラマンの連名。よ~く、本当に注意深~く各ページを見ていくと、わずかながら三人三様の写真のアングルや個性の違いを感じることができて楽しいです。
加茂郡と八百津町からの長期プレッシャーにとうとう耐え切れず「指導農業士」なるものをお引き受けすることに。
指導農業士ってなんなん?
少なくとも自分の農業史上、存在も知らなかったのだから、なくても困るものではない。
が、が、ここが問題・・年会費が4万円!
指導農業士とは何かを指導してわずかながらも報酬を頂けるのかと思いきや、逆に指導農業士になると年間4万円も会費を納めなくてはならないという!!!何がなんだかわからない役職なのだ。指導農業士とは時間と手間がかかる上、会費を4万円も払える成功農業者の名誉職ということなのか??
もちろん私は悲しいかな4万円の年会費が払えるほど成功もしていないし、事実余裕もない。「無理無理」どうやら八百津町指導農業士に関しては、歴代八百津町役場から年会費が出ているらしい。「なんだこれは」
福地では今でもたまにキツネを見かけます。
さて、3月8~9日のブログに載せたとある助成金のプレゼンの結果は、意外や意外の合格でした。
自己採点は38点、とっくに諦めていましたが「熱意のコモッタいいプレゼンだった」と複数の方からご連絡をいただき「合格ぅ???・・」狐につままれた気分です。合格は20数件中10件とのこと。
土地改良をする前、多分40数年前の福地の写真。
今の田んぼに比べて田んぼも魚のうろこのように小さい。
昔の人はの田んぼを大事に大事にしてた。
終戦当時ではお米は少なくとも今の数十倍の価値があった。
今では農地も山林も家屋敷ですらも単に管理にお金がかかる不良資産になってしまった。
でも「あ~昔の方が良かった」とも簡単には言えない。
みんなサラリーマンになって、かつて歴然とした資産家と平民との経済的格差はさほどではなくなった。江戸時代まで遡れば、社会の隅々まで厳然たる格差や格式に縛られてた。さて、どちらがいいのか?・・比べること自体、無意味に近い。
時代とともに価値観も環境もどんどん変化しているだけなのだから。
そしてこれからはコレまでよりももっと急激に時代は変化していく。
「おっと!」
今シーズン初めてのヘビ。
つい先日雪が降ってたのにいよいよ春本番がやってきます。
21回目の春。
私の冬眠も終わって、さあ農作業の日々。
田植えが終わる6月上旬までヘビに負けずに動きます。
天下人徳川家康の産まれた岡崎城の、これ、公衆電話ボックス。
ところで、徳川家康替え玉説をご存知だろうか?
徳川家康は3歳から18歳まで織田と今川の人質だったが、駿河の今川家の人質時代に殺されてその後の家康は替え玉だったという説。
この説の根拠は、生まれた岡崎城に成人してから一度も帰らなかったことによる。地元に帰って替え玉の正体を見破られないために岡崎城に帰らなかったのではないかと言われている。
本当に家康は一度も岡崎城に帰らなかったのか確認してないけれど、個人的には凌ぎを削る戦国時代に18歳までの長きに渡って人質の立場だった人物が天下人になれるのかという疑問は残る。
とある高速道路サービスエリアのトイレ。
小便器の前はガラス張りでその向こう側には園芸の鉢。
農業高校園芸課が作ってて、そこでは高校生がせっせと鉢のお手入れをしています。
ガラス張りだから一生懸命仕事をしているそこに向かって・・申し訳なくなりますが、こんな借景あるんですねぇ。
実家に帰ったらアイスホッケーのパックが出てきた。
これは米シカゴで買ったNHLシカゴブラックホークスのもの。
「おお、懐かしや!」
これを見ているだけで現役時代やシカゴで観たプロリーグの光景や、あっちの大学でプレーしてた時のことが浮かんできてアドレナリンが沸々と出てくるのでした。
危険すぎて、これから一生することもないだろうアイスホッケー。
パックは文鎮がわりに使おうと思います。
今週は各地からここ福地に連日お客様がいらっしゃるお客さんウィーク。
こんな山の中に住んでるのに、多くの方が訪ねてこられ、知り合えるなんてありがたいことだなぁとつくづく思う。
ただし、来週からはいよいよ完全に農作業戦闘モードに突入。いよいよ21回目の春がやってきました。
ここは福地。
「自由に生きるための学びの場」
自分の砂時計にはあとどれくらいの砂が残ってるだろう?と考えるようになったら立派なオッサン。
やりたいことが山ほどある。
時間は限られている。
今何が欲しいと聞かれたらやっぱり「時間」。
「お金」と答えそうにもなるけど、お金はひょっとしたら宝くじに当たることがあるかもしれない。震災で裸一貫から始めている方もたくさんいらっしゃる。
でも時間に宝くじはない。
お金は使っても努力や運次第で取り戻せるけど、時間は一度使うと努力しても運が良くてももう二度と取り戻せない。
だから、その瞬間その瞬間に目の前にいる人を大事にしよう。と思う。
震災のニュースが流れるといつも思い出す西宮YMCA。
阪神大震災直後に当時横浜YMCA職員だった28歳の私はここに2週間ほど救援スタッフとして派遣された。
その時同じく全国のYMCAから西宮に派遣された北海道YMCAの久村くん、仙台YMCAの木村くんとは今でも繋がっている。
派遣から1ヶ月後、奇しくもこの3人はもYMCAを退職し新し道を歩むことに。私は農業の道に、久村くんはプロトレーナの道に、木村くんは高校教師の道に進んだ。3人とも人生のターニングポイントで遠い西宮で出会ったわけだ。
水もない、食べ物もない、ガスもない、もう20年も前のことなのに、いい意味でも悪い意味でも被災地の現状を目の当たりにした当時のことが、まるで昨日のことのように思い出される。
昨日の続き~
審査会場の雰囲気はこんな感じ。いや、もっと物々しくピリピリした感じだった。15名の審査員の雰囲気に面喰らい、その上間髪入れずに説明を始めよと申し渡され「落ち着け」と心の中で三度唱えるも体は正直。よし、説明を始めようと意を決した瞬間、アロウコトカ、緊張のあまり用意していた資料数十ページが手から滑り審査員の前の床にバラバラ~と落ちた。「ウ、ウソォ~!!!」
これでプレゼンテーションの段取りは全てパー。万事休す。「があ~~~~なんてこった!」床に散らばった資料を急いで掻き集めるが、焦りまくってその後のプレゼン10分間の記憶が全くない。
山ちゃん会議室に見事に資料とともに散る。見事といえば見事な漫画のような散り方。
とある事業予算を獲得するため岐阜県の外郭団体においてプレゼンテーション。
会場はペンギンさんたちの写真のような感じなんだろうな・・。いつも通り出たとこ勝負さ。
ところが会議室に通されると「ゲゲッ!!ななななな!」そこにはニコリともしない背広姿のお偉い審査委員さん方がズラリ15名ほど&静寂&緊張感バンバン。なんだこの空気は・・
予想外の人数とビリビリした空気に、人前で話すことにはある程度慣れている私もビビった。今回私に与えられたプレゼンの時間はわずか5分間、審査委員からの質問時間は+5分間の合計わずか10分間。
「それでは、どうぞご説明を始めてください。」幕は静かに落とされた。
今年は5年前に廃校になった旧福地小学校の再生プログラムに取り組む。
参考になればと、東京の廃校を見て回ったり廃校関連の本に目を通している。
これは「泊まれる!遊べる!全国は以降ガイド」全国83箇所の廃校が載る。
だが・・残念ながら、ここ福地にしっくりする廃校活用の例がない。どこにもない。
買った本はほとんど読むけど、こと廃校モノに関してはザッとしか見ないようにしている。
今回に限っては、自分に余計な知識や情報を入れすぎるのは良くない。
探しても答えはどこにもなく、かなりのクリエティビティが要求されるから。
反面、どれもしっくりしないという事は、少しづつだけど自分の中でイメージが作られているということと思いたい。
田舎の問題。
高齢化、過疎化、人口減少、限界集落。。
20年田舎暮らしをしてみて、これらはほぼ全て経済問題そのものなのだということに気づいた。
田舎が元気でない、田舎がたくさんの問題を抱えているのは、田舎がお金を生み出すことができないからだ。
お金が生み出せない=高齢化、お金が生み出せない=人口減少、過疎化=精神的硬直化。
実際に田舎でお金を生み出すことができさえすれば、田舎暮らしをしたいという人は数え切れないくらいいる。
ところが、これら田舎の諸問題を語る時に、なぜに、なにゆえ経済的なことが後回しに語られるのか?私には理解できない。
曰く、やる気だったり、精神的自立だったり、積極進取の心構え、貨幣経済の否定。
でもね、いくら理想を語ってみたって現実にお金がなければ何も成り立たない。
それらを軽視して理想を語り合うのは不毛だなぁ~。と最近つくづく感じる。
それから、一度得た便利さや豊かさはよほどのことがない限り逆戻りしない。
不便さを自覚し享受し得るのは、キャンプやちょっとした数日の田舎暮らしという非日常の世界の中にしかない。昔はよかったなんてノスタルジーは自分にはない。
車や携帯を使いながら、それらの豊かさを十二分に享受しながら「不便さや面倒くささこそが本来の生活だ」なんていうのは理解に苦しむ。
理想を語ることはもちろん悪くないが、議論や理念に酔いしれていられるほど田舎の現状や現役世代の生活は甘くない。一体どこの立ち位置から発想し語るのかよってはまるでチンプンカンプンな議論になってしまう。
武者小路実篤が崇高な理念で作った「新しき村」。
現在のこの村の居住者は13人だという。
もうずっと前に答えは出ている。
今年私は仲間と共に旧福地小学校の廃校の再生を手がけようとしている。
そこで・・これは農文協刊の「よみがえる廃校」
内容は予想していた通り、廃校をノスタルジーに閉じ込めるような廃校の数々。
日本中の多くの廃校が美術館か集会所。
これを私は蘇ったとは表現しない。
目指すところは随分違う。
ゆっくりゆっくり春が近づいてくる。
多くの人がなんとなく楽しげになるこの時期、農民にとっては春=忙しい、春=超忙しい、春=超超忙しい、と相場が決まっているので気が気ではない。
だんだん枯れ草が青くなってくる。
だんだんポカポカしてくる。
だんだん日が長くなってくる。
でも私にとって一番先に春を感じるのは、愛馬うららの冬毛がポソポソと抜け替わる姿。彼女はちゃんと体内に季節時計を持っていて春のスイッチが入るとどんどん抜けてくる。ブラッシングをしてもらい気持ちよさげなうららの顔とは裏腹に「ああ、、春が来ちゃってる~ぅぅ」
地方消滅に続きもういっちょ「自治体崩壊」
地方消滅は実際には人が一人でも住んでいれば消滅とはならないが、自治体はもしくは自治体サービスは消滅するという意味。
これも、もう随分前からわかってたから今更驚かない。
地方が消滅するのは人口が減るからだと思われているが、地方がお金を生まないから人が減るわけで、地方がちゃんとお金を産めるようになっていれば、人も減らないし、逆に人口だって増えた地方の事例はちゃんといくつもある。
だから旧小学校の校舎はお金を産む装置にしちゃえばいい。最後のチャンスかな。
地方消滅問題は経済問題そのものなのに、高齢化とか過疎化とか日本文化だの人口問題だのにすり替えられるから本質が見えてこない。個人個人が自立せずに解決するはずがない。
センセーショナルが好きな宝島から「地方消滅」非常にわかりやすくまとめられています。簡単に言うと、今から100年前から日本の人口はグングン増えて今がピーク、これから100年かけて日本の人口はドンドン減って100年前の人口に逆戻りするというお話です。
この情報、私はすでに17年前に町役場の統計を見せてもらってコピーし、よ~くどうなるかを頭に叩き込んでおりましたので、今更何も驚きません。
そこで7年前に「限界集落研究会」なるものを立ち上げました。結果は惨敗。地域に微風すら起こすことはできませんでした。
その結果はさておき、その時期に経験した感覚や、出来ることできないことの線引きは大変勉強になりました。
そこで今年は人口問題より旧小学校に問題を限定してことを起こそうという算段なのです。
お隣の集落にある小さな「山の直売所」
元気な女性店長さんは僕が就農した20年前、福地の農協に勤めてて私のことを覚えていてくれた。
今回はその彼女からお声をかけていただきこの直売所に初めて餅の納品に。
大型店舗ばかりが流行る世の中で、逆に小さな店には小さな店の良さがある。
「山田さんご苦労様、まあまあ、お茶でも飲んでいって~」「あったかいんだから~」ほらね♥
11月に買った新車が早くも走行1万キロを超え2度目のオイル交換。今の車はこうしてリフトアップしないと交換できなくなっている。バッテリーは大型で7万円もするそうだ。快適と便利さと引き換えに必要経費と煩わしさがもれなく付いてくる(泣
ソレニシテモ、今日で農民の聖域=農作業がない2月もあ~~~終わり。どうした訳か毎日忙しい。2月だというのにシーズンオフな気がほとんどしなかった。3月はそれに加え飛躍的に農作業が増えていくのだが・・。ちょっとビビるなぁ~。例年3月から梅雨までほとんど休みはない。
あああ、2月が50日くらいあればいいのに。
机小さっ!椅子小さっ!
子供の頃に比べると、我々は随分でかくなったもんだ。
今年から取り組む旧福地小学校の再生プログラム。再生という表現は正確ではなく、新しく作り直すが正しい。
まだ始まってないけど、小嶋さんに岩田君に吉田君に田崎さんと私の5人が核で、今のところそこに地元の賛同者が渡辺さんに佐々木さんに葛生さんに後藤さん、地域外から入江さんに西部さん加藤君に佐藤くん、そこにこれから募集する地域おこし協力隊の3人、これで16人。校舎を管理する町教育委員会の水野さんに平井さん、地域おこし協力隊の実質的な受け入れ先に観光課の大坪さんとみなさん、総務課の課長さんに財政課のみなさん、と数えていけばすでに30人程の方々に支えられ進むことに。
廃校から丸5年。決して趣味的になることなく、気合を入れてゆっくり進もう。
5年前に廃校になった旧福地小学校の再利用計画。
教室はきれいでしょ、廃校になったとは言え、ここは八百津町内で一番新しい校舎なんです。
今日は校舎で核になる4人がミーティング。
4人もいれば十分ことは起こせます。
間違いなく日本の稲作業界をリードしている一人、稲葉光圀氏。お隣白川町での有機稲作勉強会で15年以上ぶりに出会う。
駆け出しの頃、有機農業は宗教扱い、師匠もインターネットもない当時、彼の本に出会いその本は私の栽培指針と目標そのものになった。
10年以上彼の栽培技術を自分なりに追いかけた。
追いかけて追いかけて結局、自分の稲作技術の答えなんてのはどこにもない、自分の答えは自分で探すしかないとハッキリ気付いたのはいつの頃だったか。
稲作技術に限らない。こうしたら上手くいくなんてマニュアルはどこにも存在しない。どんなことも結局は答えなんて自分で見つけるしかないのだ。
今は稲葉氏の農法を客観的に見ることができる。今日の勉強会でも「おやっ?」と思う箇所もいくつもあったけど、同時に今日も彼からヒントを沢山いただいた。
稲作にも何人ものカリスマと呼ばれる農民がいる。その人たちが出す本は、かつての私がそうだったように、まるで金科玉条のような巻物のように大事にしたがる人も多い。でも、カリスマ農民ですら本当は稲の爪の先ほどのこともわかっちゃいない。
人間の存在なんて稲や自然の前ではそんなものなのだ。
稲葉さんから学び影響を受け、つまりは長らく稲葉さんの呪縛の中にいたけれど、今はこう思う「わからない」「答えがない」だからこそ稲作は面白いのだ。
雑穀農家として1月に福地に引っ越してきた吉田君カップルの初仕事は、雑穀の選別作業。若い百姓を見ると自分が20年前に農業を始めたときのことを思い出す。必死だった、いろんな意味でギリギリだった。若い私が農業を選んだひとつの理由、自分の限界を見てみたかった。・・心配しなくても始めて3日目で「もう、無理!!この転職は間違った!!」と正直に思った。それでもそれからはいつも「こんなもんじゃない、こんなもんじゃない、もっと大変なことはあるはず」って自分に言い聞かせてた。始めて5年くらいはあまりにキツ過ぎてほとんど当時の記憶が飛んでいる。だからこそ根性論で農業を語りたくない。若いお二人さん、ガンバレ~。
アメリカの戦争映画を観たときの独特の違和感。映画「アメリカンスナイパー」はひょっとしたらアカデミー賞を取るかもという噂もあるが・・圧倒的に欠けているのはイラクの被害者たちの視点。唯一イラク人が殺害される時にその家族が泣き叫ぶシーンがあるが、殺害はアメリカ兵によってではなく同じイラクの過激派によってなされる。映画では狙撃手のアメリカ兵士のPTSDを取り上げるが、この狙撃手によって160人もの殺された側のイラク人、目の前で狙撃され殺された本人の家族達のPTSDはもっと強烈なはずだ。
テロは悪だというが、親兄弟嫁子供友人がアメリカ軍に惨殺されたら僕だって間違いなく復讐に走る。満足に武器を持たなければテロに走るしかない。首を切り落とす野蛮というけれど、空爆で一度に何十人も体ごと吹き飛ばしたり手足をバラバラに内蔵を飛び散らせ、しかも結婚式や葬儀にミサイルや爆弾を誤爆するのは首を切り落とすことより何倍も野蛮で悪、まさにテロなのではないのか。
アメリカがイラクを空爆したと全く同じように、立派なジェット攻撃機でイラクがアメリカを空爆したらテロや野蛮とは言わないのだろうか。いや、いかなる方法や手段や正当性をもってしてもアメリカに歯向かえば、それは全てテロ呼ばわりされるに違いない。
テロ=悪、イスラム=悪、イスラム国=悪、あまりにも単純な演出トリックに引っかかってはいないだろうか。
沢山の戦争や戦死や悲劇を経験してきたのに、なお相手に対して欠如し続けてしまう視点はアメリカの弱点そのもののような気がしてならない。私たち日本人だって単純な演出トリックに引っかかような視点しか持てなければ悲しくも恥ずべきことだと思う。
情報は圧倒的に一方的だということを常に忘れてはならない。
映画「アメリカンスナイパー」
下馬評は高かったので期待して観ましたが・・想像以上に浅い描き方で残念。
アメリカの限界や底の浅さを露見させているようにしか私には見えませんでした。
この国が日本の親分か・・。
募集しているらしい。
人の想像力を掻き立てる印象深い東京下町の看板。
製作者がどこまで計算しているのかは別問題として、この店が一体何屋さんなのかが不明なのがより私を惹きつけた。
そう言えば以前、新宿歌舞伎町のラーメン屋「スープは鶏ガラ、味は人柄」という看板を見たことがある。
パンパン真っ黒に膨らんだ生地に生ハム。これがピザとは。(中は空洞)
間違いなく日本は飽食の時代。世界中の食材が安価に手に入り、僕らは豊かさを享受している。一度獲得した豊かさは、戦乱など突拍子もないことが起きない限り決して逆戻りすることはない。自給自足を、自然農を、昔回帰をと、標榜したところで僕らは車に乗り飛行機に乗る。食料自給率なんて農水省の予算確保のお題目と見破れば、残念ながら??国産の食料が例え0%になったって、日本の国は飢えることはないだろう。いや、飢えない方がいいに決まっている。食料自給率が0%になれば、いやでも諸外国との関係は重要かつ友好的にならざるを得ない。日本や国際平和のためにはそれもアリなのかもしれないと自嘲したくなる時がある。
いや、大丈夫。農民には農民の存在意義がしかとある。
新規就農の岩田君と東京。
中国の春節&東京マラソンのお陰で東京はどこのホテルも満杯。
二人共朝から晩まで一日中歩き回って足はクタクタ。
やっと確保した池袋プリンス。普段なら絶対間違いなく池袋のネオン街に蛾のように引き寄せられる筈の二人もグロッキーでバタンキュウ~
一方、頭の中は「大人農民内緒計画」で二人でニヤッ。
沖縄とお隣白川町での研修を終え、この1月から新規就農した吉田君。
後継、お金、なんとなく、自然派、社会派・・・何を大事に思って農業を仕事に選んだ理由かは十人十色。
吉田君と二人でそんなことを話していたら、やり方や手段は違えど根本的に何を大事に農業を選んだのかがソックリだった。腰を抜かすほど驚いた。
一口に農業といっても裾野や業態は広く、ましてや個々人の経歴や年齢やバックグラウンドは全く違う。20年間何を一番大事にしているか、深いところでほかの農民と同じだったことは正直なところ一度もない。というか、そこまで深い話は心のどこかでしないようにしていると言ったほうが正確だとも思う。
彼の語りを聞きながら、鳥肌が立ってきた「おお、まるで同じことを考えてそこを大事にしているいる人がいたのか」
同じである必要はない。でも大事な部分を共有できることは、なんという心強いことだろう。ひとりじゃなかったか、農業20年目にしてなんとも素晴らしい出会いに恵まれました。
一日も忘れたことがない。
放射能測定をする農民は原発事故直後でも驚く程少数だった。
今では放射能測定する農民は全体から見ればほぼ皆無と言っていい。
北朝鮮が撃てもしないミサイルを今日か明日か飛んでくるかのように「危ない!日本を守れ!」と騒いでいたのはついこの前のこと。
尖閣諸島に中国が今にも上陸して来る「危ない!日本を守れ!」と言っていたのもついこの前のこと。
イスラム国に日本人が殺された「危ない!日本を守れ!」と言っていたのは先日のこと。
国民はいとも簡単に煽られいつの間にか「テロがやってくる!危ない!」ってイスラムの人と話をしたことがある人はごくわずか、全ては一方的な情報とイメージに塗り固められ。
本当に日本を守ってくれると言うなら、どうか出血を止めてくれ。
どうかどうか、もう包丁を振り回すのはやめにしてくれ。
地図を見よう。放射能汚染の地図。
飛んでも来ない北朝鮮のミサイルは本当に脅威なのか、上陸もしてこない尖閣諸島は本当に驚異なのか、見たこともないイスラム国が本当に脅威なのか・・本当に「危ない!やばい!」ことは、ほらほらどこ見てるの?自分たちの足元にある。
地図を見よう。
東北が真っ赤になっている。これは可能性があるかもしれない危険性ではない。
毎日毎日足元から現実に起きている被爆の本物の危険なのに。
北朝鮮、イスラム国、中国から「日本を守る!!」と政権は言うけれど。
転んで自分が振り回していた包丁が胸に突き刺さってダバダバと血を流している人。
その人が、道の反対側を歩いている人を見て「あの人は目つきが悪いからもしかしたら私を刺しに来るかも知れない。危険だ!」と叫ぶのに似ている。
「あの~、胸から血がダバダバと流れてますけれど、大丈夫ですか!!??通りの向こうの人より、よ~く自分の胸の怪我を見て出血を止めないと死んじゃいますよ?」
「だって、みんなが通りの向こうの人はとても凶暴でが襲ってくるというんですもの、私怖くて怖くて。」
「あの通りの向こうの人ってよく知っている人なんですか?本当に凶暴な人なんですか?」
「いえ、実はよく知らない人。でもね、みんなが言ってるし用心に越したことはないわ。ほらあの目つき。テレビもみんなも偉い人もみんな言ってるわ」
「あの~もう一度言いますけど、そんなことより胸に刺さった包丁を何とかした方がいいと思いますけれど。。。」
「とにかく警察呼んで!通りの向こうの人がまた私のことを見て叫んでる!」
「聞こえないんですか?彼はさっきからあなたの大量の出血を見て通りの向こうから「大丈夫ですか~!救急車よびましょうか~!」と叫んでくれているんですよ。」
「いえ、私には「これからそっちに行ってお前を刺してやる~」に聞こえます。」
「あなた、それは出血多量でもう意識が朦朧としているからなんじゃないですか?」
「なんてことを!私は正常ですよ。そりゃぁ胸に何か刺さっていてちょっと痛い気もしますけど、私は正常で大丈夫。んん、ひょっとして、あ、あ、あなたも通りの向こうの人と仲間なのね。」
「なんということを!私はただあなたの胸から大量の血が流れているのを見て心配になって声をかけてるだけじゃないですか!」
「余計なことしないで!例え私の胸に包丁が刺さっていようと、大量に血が流れていても見なければ聞かなければそんなこと忘れてしまえるわ。」
「だって、その血の量は・・・」
「大丈夫、たしか偉い人が言ってたわ「ただちに命への影響はない」って。」
「とにかく救急車呼びましょう!」
「しつこいわね、あなた、これ以上余計なことするなら本当に警察よぶわよ!」
もう一度放射能汚染の地図を見てみよう。
見える。
僕には確かに彼女が胸から大量の出血をしているように・・見える・・。
来日したウイルソン家族が大阪から日帰りでやってきた。
名古屋駅~名古屋城~科学館~大須~那古野BAR「ホンボウ」と半日駆け足で市中引き回し。彼らとの会話は全部英語か中国語、ってこれ結構大変っ。
そこで、私のプアーな英語と名古屋知識を補ってもらうために、風船会社の凄腕営業マンをツアーガイドに頼みました。
加えてディナーにはM子さんがご参戦。M子さんとは昨晩BARで隣合わせの初対面でした。ところが、たまたまの出会ったM子さん、聞けば大学の専攻は英文学、イギリス留学、英字新聞を読まれる才女でした。「よっしゃ~ぁ!」これ以上タイムリーな出会いはありません。強引に「英語で香港人家族を盛り上げてください!」と頼み込んで大正解。ありがたい二人のお陰で、ディナーも盛り上がりウイルソン家族も大満足。助かりました。
木材会社の社長さん、来年会社を立ち上げる林業者さん、雑穀農家さん、有機野菜農家さん、WEBプランナーさんと福地でミーティング、場所を変え中華料理の経営者さん、更に場所を変え名古屋で喫茶店経営者さん、BARの経営者さん、居酒屋経営者さん、コックさんとわたくし農民。
今日は一日中いろんな方からいろんなことを教えてもらった。
いくら時間があってもまだ聞き足りない話し足りない・・BAR「ホンボウ」にて気づいたら「おお?!外が明るいっっ!」キャ~ッッ朝の8時じゃん!!・・スイッチが入るといつもこう。悪い癖だ(爆)
寒ヒ。。
標高600mの福地の中でも誰もが認める最も寒い場所が私の仕事場。
寒ヒ。。
コンクリートの床から刺すような冷気が突き抜けてくる、ここが私の与えられた場所。
ソレニシテモ寒ヒ。。
温度計は絶望感を誘い(どうせ一日中氷点下だし)仕事のモチベーションを一挙に奪うので見ないことに。。。
名古屋にてこんな会に参加してきました。
数年前に私がデザイン塾でみんなを集めた時に講師をお願いしたデザイナーの小早川さんがこの会の主催者。
彼は仲間を募って原発事故以来毎月欠かさず、ずっと福島県飯舘村に通われてます。
事故後私も彼から福島同行のお誘いを受けたけど、うちの業務の放射能測定を通して一般の人よりその恐ろしさを知ってしまっていたので同行を断念。
小早川さんに比べ、私は何も出来ないでいるのは歯がゆいし後ろめたい気持ちもあるけれどけれど、この歯がゆさや忸怩たる思いは忘れずにずっと背負い続けて生きていこうと思っています。
まずは一人一人が自立することが先決だと思うのです。
インドネシア人の弟分が東京からやってきた。短い時間だったけど福地の若い衆で歓待。弟分は今度新しいビジネスを始めるという。
弟分は私よりもひとまわり12歳下の馬年生まれ。新規就農者の岩田君も同じく12歳下の馬年生まれ。福地での実験工房を経てTシャツ職人として昨年名古屋で独立した加藤君も、これまた確か馬年生まれ。さあ、みんなステージは整った、馬年生まれに恥じぬよう走るべ!!
中国語で「氷球」はアイスホッケー。
私が大学とアメリカでやってたスポーツです。
全国のアイスホッケーファンのみなさん、そうでない皆さん、ゴールキーパーが怒るとこうなります。
https://www.youtube.com/watch?v=8v9wZF-aQ9U&spfreload=1
こんな国とTPP交渉しているわけです。
同じ人間のDNAというのが信じられませんっっ。
もう半年以上前に買った「里山を食いものにしよう」
センセーショナルな題名についつい買ってしまったものの、あまりの自己顕示欲オンパレードな文体に50ページで読むのを断念。気分が悪い。
「食いものにしよう」って本当に食いものにしている感が強くて結局何を具体的にやったのか分からない。って、最後まで読めば具体的成功例が出てくるのかな?いや、出てこなそう・・・。
この類の本、農村はこうあるべきだとか地域が循環してとかきれい事や理想論や抽象的なことはもう散々聞き飽きた。村々の実情は千差万別。
例え具体的成功事例が出てきたところで「失敗には法則があるが、成功には法則がない」ということに気づいているから、所詮答えは自分で見つけるしかないのも分かっている。第一貧困な発想で「里山は食いものにしちゃだめ」なの。
土曜夜NHK週一ドラマ「限界集落株式会社」第二回
経営コンサルが村に入り農産物直売所や農民組織を作り売上UP、最初の1ヶ月は売上も300万円を超えたもののその後直売所は閑古鳥・・というところまで。簡単にハッピーエンドにしないところがいい。
原作の本はよく書店で見かけるものの「う~、よくあるその手の本か?」という先入観で手にとってなかった。
これまでドラマとしては制約やオカシナ展開はあるもののまずまずの出来。
ちゃんと最後まで描いて欲しいな。
果たしてテレビにできるかな???
高校生が発表し終えて最後に先生二人が彼らと同じお題で発表の見本。
さすがは先生、発表の最中笑いあり歌ありで面白かった~。いい見本だった。
みんな真剣になって聞い入っちゃったでしょ。そう、ここまでしてもいいんだよ、高校生のみんな。
一生懸命にやる、人に伝える。
面白いでしょ。疲れるけど、大変だけど面白いよね。
真剣にならないとダメ。中途半端だと生きてる気がしてこない。
岡本太郎の言う「趣味的ではダメ」だというのはそういうことなんだろう。
結局みんな自分が生きている証明がしたい。
わざわざ冬山に登ったり、マラソンしたり、仕事や学校だって苦しさや大変さがないと、その裏腹に楽しくもないし生きてる証明にもならない。
生きてる証明がないことほど辛いことはないかもしれない。
で、苦しさや大変さだってアレレと面白く楽しくしちゃうってのが生きる力なんだと思う。保守的になりがちな頭の中を開放して、もっと羽根を広げてみよう。
あ~、今回も高校生から沢山のことを学べてよかった。
寝不足でフラフラになりながらの午前は岐阜県庁、午後は東濃高校授業の最終日。これまでの授業の内容をクラスごとに学年の前で発表する高校生。
我がクラスも想像以上によ~く頑張りました。面白さがあれば満点。
このままあと数ヶ月時間があれば、いいクラスになるんだけどなぁ~。
残念、時間切れ!
高校生の皆さん、またどこかで会いましょう!ありがとうございました!
岐阜県に提出する書類の作成に追われている。
苦手だ。どう考えても自分には向かない作業。
公務員の人たちの事務処理能力はすごいもんだ。
とても私には真似できない。
つくづく自分の事務処理能力の低さを痛感。笑うしかない。
先週からず~っと夜は午前3時4時まで書類と格闘。
寝不足が続いて日中はフラフラ。
誰にも命令されず、自らアクションを起こそうとしてこうなっているのだから、ある意味自業自得、誰にも文句は言えない。何かを始めるということはそういうこと。
白川町の有機農家服部さんは先日福地に新規就農した吉田君の師匠。
私が20年選手で名古屋出身の服部さんは25年選手だから、私からすればこの辺では少ない農業の兄貴分的存在。
彼は農薬はもちろん、ここ数年はとうとう有機肥料ですらも使わない農法にたどり着いてしまった。って・・農業でこれは凄いことなのです。
彼の元を訪れる研修生は多い。
さて、彼とアメリカの話になった。強く勧められた本が「貧困大国アメリカ」「沈み行く大国アメリカ」
内容やどうしてこの本を勧めるのかが、ビッシリ手書きのFAXで送られてきた。人様からほんの勧めでこんな熱い紹介文ははじめてのこと。改めて頭のいい、パワーのある方だ。
どうしたらいいのだ?
えーい集まれー!
以外に全く何も書かれていないポスター。
えーい集まれー!という語感も変ならば、一体何を意図して、誰を対象にどうして欲しいのか全くわからないし、構図的にもたいして面白くもなく、でも、制作した人の思いはきっと何かあるはずで、えーいどうして欲しいのだ?
えーい集まれー!
と言われても、ちょっと集まりにくいこのポスターは、男の精力剤を専門とする薬局入口正面ドアに貼られてます。
50人ほどの満員の教室。
何してるのかなぁ~と覗いてみると、みんな超真剣!!
そして、この講義のお題は
「二人の悪魔と多数の宇宙:量子コンピューターはここから生まれた」
はぁぁぁ~ん???
こんな講義にこんなにも人が集まるなんて!!TOKYOおそるべし・・。
福地に帰ると東京でスキャンした自分の3Dフィギュアがもう家に宅急便で届いていた。
今回もまたいろんなことを感じられる東京行だった。東京に改めて感心するとともに、福地の長所、東京ではできないこともまた沢山あることを気づかせてくれた。
東京と福地はあまりにも違う。でも、フィギュアはフィギュアでしかなく、あまりにも違うということは大体一緒だとも言える。
自分の顔をスキャンして3Dで鬼にして、更に今話題の3Dプリンターでフィギュアにしてしまう体験コーナーに飛び入り参加。
200万円もするコンピューターソフトを使わせてもらって、初心者がみっちり2時間かけて作った作品がこちら。
頭から無数の角、口には牙、胸に風穴を開けて煙草を突っ込んでみた。
「ふえ~っっ、面白かった!」
いやぁ~東京に来てよかった。世の中はすごいことになっているのだなぁ。未来を触ってきました。
さすが東京。
「なななな、なんじゃこりゃ?」
部屋を覗いてみると、最先端のロボットが20体ほど。
机に座った家族連れが、みんなで楽しそうにロボットにプログラミングをしている。
「さすが東京・・」と思わず唸る。
都会はどこに向かおうとしているのだ?
どう考えても福地ではありえない光景。
東京のとある商店街。
ここも歩く人はまばら。
地方都市の消滅が危惧される昨今、東京ですら商店が閉まってシャッター街になってしまったところは多い。もしここの商店街の復活事業を任されたら、僕には何ができるのだろう。岐阜県で一番の都市・岐阜市の柳ケ瀬商店街も東京のこの商店街でも「う~ん」と思わず唸ってしまう。商売は大変なのだ。変化できる者だけが生き残れる。
東濃高校での授業。
今回は優秀な大学生が2人サポートに付いてくれて、お陰さまで伝えることに集中できました。お二人さん、高校生のみなさんもご苦労様でした。
授業では今の自分が持てる120%を真剣に高校生にぶつけてみました。
結果はどうであれ、真剣にぶつけることに関してはやりきった感で一杯です。
従業終了と同時に「ふ~っ」脱力感。
その足で東京に向かいます。
八百津町が「地域おこし協力隊員」を3名募集することを正式に決定されました。
勤務地は我らが福地!!
詳しくは後日お知らせします。
田舎暮らし希望者集まれ~
ご応募お待ちしてます!!
目標は遥か彼方。
あまりに遠くて、時々自分にはたどり着けない気がしてくる。
一歩一歩。
山登りで駆ける人はいない。
上りなら間違いなく一気に疲れ、下りなら間違いなく転ぶ。
だから一歩一歩。
ほんの僅かずつ近づいて来る。
我が愛しい足よ、ありがとう。
拝啓 高校生のみなさん、覚悟はお出来になってらっしゃいますでしょうか。始まりました。
一年振り、わずかなコマ数ですが、限られた時間数の中で私は私なりのベストを尽くします。
服装の乱れ、携帯電話、あくびだって、足組んでたって、大目にみますよ。
時間がないから、そんなことには構ってられません。
一期一会の真剣勝負のコミュニケーションです。
何が人をそうさせるのか。
米国留学時代の親友Wilson.
12月の富士山マラソンに続き、1月も地元香港のフルマラソンに出場。
走っている時、トレーニング中には「俺はなんて馬鹿げたことをしているのだろう・・」と必ず思うそうだ。
うちで研修された元プロボクサー酒井くんもまたフルマラソンに出場。
これも脳内物質のなせるわざなのか。
似て非なるものに農作業。
一生懸命やっている人を見ると、大変そうだけどなんだかカッコイイし、幸せそうなのはこういうワケだからなのね。
お金持ってても、若くてもドヨ~ンとしている人は、大変そうで幸せそうには見えないものね。
岡本太郎「壁を破る言葉」に出てくる数々の「壁」や「社会」って、結局のところ「自分自身」そのものなのね。
僕らは一人ひとりが芸術なんだな。
Tシャツ職人加藤君も愛読していたという「壁を破る言葉」岡本太郎
久し振りにめくってみると、おおっ、以前と感じ方が全く違う。
以前より岡本太郎の言っていたことが自分の中で深さを増している。
知っている人はよく知っている、岡本太郎の母の岡本かの子は、より強烈な人生で興味が尽きません。
昨年に続き2度目のチャレンジ。一月下旬に岐阜県立高校のキャリアプログラム授業の講師をすることになりました。今日は吉田先生と打ち合わせ。
お話をしている中で、どうやら先生の奥さんと、私の中学の時の彼女が高校で部活のチームメイトだったらしいことが判明。
懐かしいやら恥ずかしいやら。
それはさておき、今時の無反応になりがちな高校生(そりゃそうだ、いきなり知らないオッサンが講師で授業するのだから無理もない)と真剣勝負する機会を与えられ光栄でございます。
相手の手強さは経験済みで、昨年はこちらが討ち死に寸前まで追い込まれました(笑)
さて、今年の高校生の牙城、城攻めの作戦は「兵糧攻め」と参ります。エイエイオ~!
ジャ~ンと現れたるは福地に来た新百姓吉田くん。お茶畑を現在雑穀畑にするために耕しています。みんなを助け、みんなに助けられ、鍬をひと振りひと振り。
どうです、この笑顔。20年前の農業を始めた頃の自分もきっとこうだったんだろうなぁ。
春からは吉田君たちと共に、若者を更に3人呼ぼうという計画中です。
田舎暮らししたい、農業したいと思われる方は、どうぞご連絡を。
本当にありがたいことです。
今日も沢山のお餅セットのご注文をいただき出荷させていただきました。
人様に仕事やご注文をいただき生きてます。
本当にありがたいことです。
今年もコメ食味鑑定士協会主催の食味コンクール大会の案内が届いた。
前回参加は全国から4369点、参加費は1点13000円・・だから収益はざっと5千680万円ほどになる。これが今までに16回開催された。なんぼやねん?
料理や加工品は人的努力要素が大きいから許せるとして「自然の恵みそのもののお米」を食味で競わせ評価認定することを私はよしとしない。はっきり言えば不遜だと思う。
かくも人は権威やお墨付きに弱いものか・・と、この案内が届くたびに辟易する。
第一に食味を判定する「食味鑑定士」の存在自体がかなり疑わしい。2~3日の講習と6~7万円のお金を払えば、ほぼ誰もが食味鑑定士様になれる。もちろん私もお金を払えば食味鑑定士様で人様のお米を「これは美味い」「これはまずい」と評価できる立場にすぐになれる。不遜だ。
その資格をお金の代わりに与える権威側は、もちろん「食味鑑定士協会」
つまり、お金を払い食味鑑定士になりたい人に資格を認定するが第一のビジネス。
次に「入賞」というお墨付きを求める全国の生産者のお米を集めて「食味鑑定」するのが第二のビジネス。
更に、この協会は「食味鑑定士」の他に「水田環境鑑定士」「環境王国認定」などという聞いたことのない資格認定まで行っているだが、これが第三のビジネス。考えたね。
前回大会では、4369点の出品のうち135点が「ありがたく」も入選させてもらえた。
が、ちょっとまて、47都道府県のうち19県からは参加出品はない、のに、このコンクールは「国際大会」まで謳っているコンクールなのだ。
よく見れば、このビジネス、何一つ生み出しているわけでなし、行政の認可がないのに全く関係ないのに、参加者増加とともに年々権威は確固としたものになっている。
「入選」させるのには、生産者の為ではなく付与側権威側に本当の価値がある。
あまり知られていないが、米食味鑑定は実は全国にこのコンクールだけではなく、別にも大小含めてかなりの数のコンクールがある。だから、今や日本中のお米にはやたら「金賞」や「入賞」が多数存在する。
例えば私が近隣農家を数軒集めてコンクールを開いて「金賞」を認定すれば、そのお米は間違いなく「○○コンクール金賞受賞」と名乗れるのだ。
それでも、そんな矛盾を承知で食味鑑定に参加出品されている方は、なかなかのたくましさとしたたかさがあるのだろう。いや、そうであって欲しい。でなければあまりに不毛ではないか。
農家や農産物は、お客さんには評価されて当然なのだが、農家や農産物はその裏にある苦労などはお構いなしにコンクールでも「常に評価される」だけの弱っちくも低い存在なのだというところが納得できない。
こんなのはどうだろう・・
数ある米食味コンクールのうち「どのコンクールが良心的で、本当に生産者の立場に立ち良心的なのか?」を生産者が集まって評価し、生産者がその団体にめでたく「金賞」や「入賞」を与えてやるという発想。食味コンクールをコンクールしてやるのだ。
が、いつも生産者を評価し認定する側が、逆に生産者主催のそんなコンクールに参加する筈もない。ならば、勝手に生産者側が食味鑑定団体に「金賞」や「入賞」を贈ってあげればいい。賞は付与する側の権威のためにある。
すると、やがては生産者の方にも権威がついてきて関係性は一方的でなくなる。
そんな私が必要に迫られ取得した農業関係の資格と金額は以下の通り~
文部科学省第3種放射線取扱主任者第2213号(取得10万円):文部省
社団法人日本穀物検定協会穀物検査員第11077号(取得20万円):旧食糧庁
岐阜クリーン農業第65号(隔年7万円必要・半額は岐阜県が負担):岐阜県
認定農業者(0円):農水省:岐阜県
指導農業士(毎年4万円必要・全額を八百津町が負担):農水省:岐阜県:八百津町
とっくの昔に家の本棚も仕事場の本棚も一杯、倉庫のダンボールにも何箱も詰まってて、これは居間の本棚、いや、床。
ここだけでざっと200冊以上、他の部屋、お風呂場、寝床、トイレにもそれぞれ同じくらい(爆)家がっっ・・
こりゃ~ぁ、断捨離には程遠い・・・
旧福地小学校の利用。教育委員会からの教室・校舎の使用許可第一号は山ちゃん。そして第二号、木のおもちゃ製作販売の小嶋さんに使用許可がおりた。「おめでとうございます!」
教室をいろんな事業者で活用する計画。現在検討中の方は、和菓子屋さん、デザイナーさん、農家さん、建築業さんetc・・このままいくと特に公開公募するまでもなく教室は一杯になりそう。
「来来来~!」面白くなってきました。
福地に若者が増えた!
左は去年3月に引っ越してきた岩田君は各務原市出身、有機野菜農家。
そして大安吉日の今日、引っ越してきたのが右の吉田くん、私と同じく可児市の出身で雑穀農家として。そして中がまなちゃん、沖縄出身、前身は塾の講師でDVや社会問題などに詳しい。
今晩はそこに2年前引っ越してきた植物学者安江くん、自称「付き合いは皇族からヤクザまで。お預かりしたら命まで」というブローカー氏も交え歓迎
会。福地に光をもたらす若者移住は大歓迎!面白くなってきた~!
従業員11名、負債総額3億円で倒産したコメ卸業者の精米工場。
たった10年前のピーク時には、12億円を越す売上があったそうだ。
今回は「これも人生勉強・・」任意精算手続の現場に入る機会を得た。
入札内覧会に集まった解体業、古物商、屑鉄屋、外国人輸出業者、管財業者などが30人程。
実に異様な雰囲気の中、弁護士の説明から破産物件の内覧会は始まる。
昨日まで稼働して突然息が止まったかのような精米工場、パソコンの電源が入ったままの事務所、行き先のない精米された米・・。
嗅いだことのない異様な雰囲気と生の抜けた現場。工場全体が放つ悲しみのオーラ。
機械装置は業者によって二束三文で入札、または解体されていくことになる。破産物件を買い取る側の業者も、もちろん、私も、経営の大小に関わらず経営者は例外なくこの危険と対峙している。成功には法則はないが、失敗には法則があるという。
毎年約1万社が倒産している。
名古屋のバー「ホンボウ」に集合したのは喫茶店経営のひろみちゃん、保険会社のかよちゃん、と私の40代3人。
すごく仲がいい訳でも、旧知の仲でもなく、妙なバランス&たまに突然当日決まるこの集まり、どうしていつ始まったのか覚えがない。
今晩のお題は「死に方」と「断捨離」
去年私以外の二人は思い切って「断捨離」をしたという。
対して私は本に囲まれまみれて生活したい人。どの部屋にもトイレにもお風呂場にも本がうず高く積まれていてしかも捨てられない。二人に「お主、知識コンプレックスかっ!?」と責められても罵られても、捨てられないものは捨てられない。本に埋まって死ねたら「本」望なのだ。
「よし、最近本屋に「断捨離」の本がたくさん出てるから、いっちょどんなもんか買って読んでみよう」って気にもなったが・・・
私の場合「断捨離」の本を何冊も買っては読み漁り、その本もうず高く積まれ更に捨てられなくなるに違いない。
「断捨離」の本が何冊もうず高く積まれ、狭い部屋がより狭くなっていくなんて・・!!なんともシュール過ぎる光景が目に浮かんでしまい「断捨離」の本を買うことを「断念」した。。
いや、まて。沢山の「断捨離」の本が売られていること自体「買え、読んで理解して捨てろ。捨てるためにまずこの本を買え」とは、お~い、大いなる矛盾ではないのか。
カンボジアで頑張っている女社長友達が、この本がとても参考になり何度も読み返しているとFBで言ってたので、私もマネして読んでみた「はじめの一歩を踏み出そう」(世界文化社)
「はじめの一歩を踏み出そう」という題名だったので、足湯で足をブラブラさせながら気楽に読んでみると「なるほど!!」
「起業」というより「経営」が勉強になる本。実際に経営してない人にはちょっと難しいかな。。
特にこの本は、職人気質な加藤卓治くんやこれから職人を目指す小嶋護さん、イチゴ農家の川上雄三くん、新規就農の岩田君、吉田くん夫妻に勧めたくなる内容だった。十分な実績と経歴をもつ広島のひげじいさんには「釈迦に説法」レベルかな?でも、過去~を見直してみられても損はないのかもしれません。。
少なくとも自分は、読んでみて反省すべき課題と未熟さがた~く~さ~ん見つかりました。
この場を借りて「カンボジアの小島幸子さんありがとうございました!」
福地小学校が廃校になったのは2010年3月21日。当時PTAの役員だった僕らと先生たちでタイムカプセルを記念に残そうということになった。
普通のタイムカプセルは地中に埋まってお墓みたい。廃校してもみんながいつでも目にして思い出せるようにと、コンセプトとデザインを私が担当し、宙に浮き風にブランブランと揺らされる宙吊りタイムカプセルをPTAのみんなで作った。枠はみんなで運んできた鉄道の枕木。日本広しといえどこんなおもろいカプセルはそうそうない、とみんなで自負している。パッと見、核廃棄物が何かの貯蔵タンクを連想させるが中身はもちろん違う。
廃校記念会では地域の方々、卒業生、先生、元先生方など大勢が集まり、小学校についてこれからの未来について一人一人が手紙にしてタイムカプセルに収めた。あれか5年、当時集まった人達の中でも鬼籍にはいられた方も何人もいらっしゃる。たった5年だけど、小学校がなくなったことで危惧していた通り、予想通り、いやそれ以上に福地は静まり返った。
廃校前から「限界集落問題研究会」を村の有志数人と立ち上げた。
廃校を避けるには?と知恵を絞ってはみたが、結局それ以上の村人の関心も協力も得られなかった。
出る杭は打たれ、動いたら叩かれるという過度な相互監視的文化が農村には根強く残っている。村の人はいかに「自分は義理と人情に篤く、ちゃんとしているか」をよく競い合うが、問題に対しての解決思考を訓練されていない。
だから、廃校とか過疎化に対してはどうしたらいいのか分からない、どうでもいいと諦めるのは当然なのかもしれない。
仮に意見があっても言わない・言えない・言わない方が得・だったりする。
小さな地域で波風を立てることは、大げさに言えば生存権に及ぶ問題になりかねない。これは知恵だ。正確に言えば昔の世界では知恵だった。
時代に取り残されるにはちゃんと理由がある。
こうして福地に限らず日本中の村が廃れていく。
この20年間で全国で7000校が廃校になった。
もし農村を再生や変革させたいなら「よそ者、バカ者、若者」にしかできないと言われる。それは実に、誠に、正しい。
その先頭に立つなら、出る杭は打たれることを十分覚悟するか、出る杭を打とうとする人の金槌を取り返してその人を打つぐらいの心構えが必要になる。
覚悟ができさえすれば、中途半端な人は必ず圧倒される。
出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打てないとも(笑)
山本昌は中日ドラゴンズの投手、昭和40年生まれの49歳。
私は41年生まれだけど3月産まれの早生れだから彼とは同学年。どこまで出来るのか、がんばってほしい。
もう一人なぜか気になっている同じ年にドリカムの吉田美和。
頑張って欲しい。
・・と、気になって調べてみたら
同学年にざっと~
小泉今日子、香川照之、藤田朋子、長嶋一茂、松本伊代、太田光、草刈民代、尾崎豊、沢口靖子、上川達也、石黒賢、宮川一朗太、石田靖、岡本夏生、レッド吉田、大桃美代子、奥田民生、村上里佳子、古田新太、柏原芳恵、ブルックスシールズ・・・そして、、おぉ、あなたもでしたか、江頭2:50・・。
「老人力」という言葉を編み出した赤瀬川原平氏。
作家であり画家、前衛芸術家の彼の目線や生き方、面白いんです。(文章は微妙に好きでない)
これからどんな感じに変化されていくのか楽しみにしてましたら、昨年10月に77歳でお亡くなりになっていて残念。
今年のおみくじもまた「大吉」!!
毎年初詣のおみくじは驚異の100%「大吉」なのだ!!
今年のおみくじももちろん「大吉」!!
信じられないだろうが、絶対に「大吉」なのだ!!
毎年「大吉」出るまで引き続けると必ず「大吉」なのだ!!(笑)
「最貧困女子」
そうなんだろうな、そうだったんだろうな、という予感が残念ながら文字になっている本。
虐待、売春、性的虐待、知的障害、発達障害、風俗、街娼、家出、薬物中毒、性病、テレクラ、妊娠、そして貧困、そして最貧困。
可視化されない底辺。その裾野は広がり続けていて、一歩間違えば誰でもがそこに。
若い時には世の中はもうちょっとまともに構成されていると思っていたけれど、どうもそうじゃないと気づき始めたのはいつの頃か。
どこに視点を持つかによって世の中はまるで違う風景になる。
度重なる交渉を経て、八百津町教育委員会から(株)福地ハイランズに、旧福地小学校の行政財産使用が正式に許可されました。
5年前に廃校なった福地小学校を新しい利用方法で、新たなメンバーによって再生させます。
前例のないチャレンジ。
終わって始まる
はじまりのはじまり。
島原伝説の鉄板焼き「こばち」でたまたま隣り合わせになった漁師44歳と飲む午前3時。目の前が有明海の島原、魚の美味い島原、ところが44歳の彼が漁師最年少だそうだ。漁業は農業に比べてもいろんな意味でかなり暗澹たる状況らしい。そんな状況ならと私「岐阜には海がないし、こんなアイディアはどう?こんな発想は?」と次々と提案してみるが、全部綺麗に却下。なるほどこりゃ重症だな。。
それでも「今が幸せ」と言い切る彼の前職は東京のゲームプログラマー。 こちら農民「よし!」1月5日福地仕事始め。
格差の扉はもうすっかりポカリと開いていて、これからその穴もその穴に吸い込まれる人もますます大きくなっていくのだろう。
地方の小さな街のアーケードの多くがそうであるように、あれほど賑やかだった島原のアーケード街も空き店舗ばかりが目立ちほんのまばらに人が歩く。
20年前に600人を超えた福地の人口も300人を切ってしまったているのではないだろうか。都会への人口流出はこれからもずっと止まらないだろう。空気で感じるのでなく肌で感じる格差。
さあ、新年が始まります。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
元旦から島原市の古本屋さん「吉四六書房」さんに潜入。精神世界から古代史そして経済学まで、ここには通常では得られない情報がザックザック。
毎度その考察の深さに舌を巻くのですが、今回のレクチャーはなんと資産運用について。もちろん知らないことばかり。
「へぇ~」「ほぉ~」「ばぁ~」「ぐぉ~」「きゃ~」「むむむっ」これが数時間で私が発した言葉一覧。
何事も勉強ですね。年が明けた途端に視界もちょっと開けました。
本日今年最後のお米の発送・配達を終えることができました。
今年もたくさんの方々にお助けを頂き、無事に一年を過ごすことができました。「ありがとうございました」
この場をお借りして、深く感謝申し上げます。
明日30日から1月5日までお休みをいただき、嫁さんの実家・長崎県島原市で年末年始を迎えます。
みなさんもどうぞ良い年をお迎えください。
今渡エンジェルスの猛攻に福地デビルスのディフェンス。腕を引っ張り、体を押さえつける。勿論アィバビーでは許されたプレー。服は引っ張られ身動きができなくなる。裸なら服を引っ張られ引きづられることもないので、氷点下にも関わらず脱ぎ脱ぎ。
怪我したほうが反則。試合開始5分でワールドカップ史上初めてデビルスの一人が負傷、反則で退場者を出す。
IBABY INTERNATIONAL ASOCIATION WORLD CUP 2014
新格闘技系スポーツ「IBABY(アィバビー)」第3回ワールドカップが、12月26日午後7時~福地支所体育館で開催される。
「IBABY(アィバビー)」とは、バスケットボールを基本に、アイスホッケー、更にはラグビーの要素を複合させた格闘技系スポーツ。それぞれのスポーツの頭文字を取って「IBABY]。考案者はアイスホッケー出身山田氏。
現在オリンピックの正式種目を目指している新スポーツである。
競技人口は、農民、建具職人、Tシャツ職人、家電セールスマン、陶芸家、建築設計士など全世界でわずか8人。インターナショナルを謳ってはいるが、残念ながら現在は全世界でもこの8人の日本人プレーヤーしか存在しない。よって、この8人が日本代表「アィバビスト」なのだ。
さて、このスポーツ、ルールは一見バスケットボールに似ているが、アイスホッケーのボディーチェック、ラグビーのタックルなども許され、足を踏む、ほっぺたをつねる、腕をつかむ、抱き付き、ラリアット、ズボン脱がしetcその他およそ想像できるラフプレーが平然と許されている。アィバビーは、男の中の男のみに許される、かつてない危険な格闘スポーツなのである。
特筆すべきは、ラフプレーにより万一怪我をした場合、怪我をさせた方ではなく、怪我をしたプレーヤーが反則となってしまうことだ。一般常識からすると訳の分からないルールのオンパレードなのだが、バスケットで言うトラベリングだけは「あ~っ!いま、3歩歩いたっっ!!」と、なぜか厳しく反則を取られるというアンバランスさも忘れていない。
写真は、現在インターナショナルアソシエーション専属デザイナーによって制作中の「公式トレーナーデザイン」だ。デザインをよくご覧いただきたい。中央の髑髏のマークは、いかにこのスポーツがデンジャラスなものなのかを物語っている。上左右にはバスケ、アイスホッケー、ラグビーそれぞれのボールがあしらわれ、骨の一本はアイスホッケーのステックが分断され、まるで骨折を連想させるが如くデザインされている。デンジャラ~ス。
更にデンジャラスなのは、このスポーツの考案者山田正隆氏がバスケットのズブの素人であるにも関わらず、プレーヤー兼監督を務めるばかりか、オフィシャル審判を兼務することにある。ご想像通り審判山田氏のジャッジは、自分のチームにことごとく甘く、相手チームにはまるで容赦がないというまさに恐怖政治。その暴君ぶりは、相手チームからは当然のことながら有利なジャッジを図った自分のチームからさえも横暴すぎるとブーイングが出るほどエゲツナイ。ニヤッ。
とは言うものの、山田氏もアィバビーには高齢すぎる48歳。彼自身もまた、相手に潰されないようにと肉体改造に余念がない。毎日腹筋3回と腕立て伏せ2回、さらにスクワット5回という、情けないほどのビビりようだ。
今回も世界に普及させるための公開エキジビジョンマッチ.
観覧チケットはS席M席(お好みをお選び下さい)共に無料。更に「我こそは」と参戦したい人は、自由に乱入可という特典付きだ。ただし、怪我には十分にご注意を。怪我した方が「反則」なので。
では、12月26日福地支所体育館で「君に本物の勇者をご覧いただこう」
試合開始時間は午後7時~
今年もあとわずかになりました。
年末年始の営業&商品発送日のご案内です。
年末発送業務⇒12月29日まで(ご注文は28日までにお願いいたします)
年始発送業務⇒1月7日から
12月30日~1月5日まではお休みをいただきます。
14年目のトラクターパレードが無事に終了した。
打ち上げの会で地元の中学3年の男子が「山ちゃんが死んだらパレードは僕が引き継いでやっていきます!」と堂々の発言。この前まで保育園だった子が、かくも立派なご発言とは、よその子ながら頼もしくなったものだ。
続いて隣村の中学3女子「同じく、山ちゃんが死んだら私も引き継いでやっていきます!!」
「スゴイ!いいぞ~!」みんなの喝采はいいけど、私「死んだ後って・・」追い打ちを掛けるように「早く死んじまえ~」「面倒くさい!殺しちまえ~」のみんなからの罵声が続く(大笑)
これまでパレードはず~っと「僕は一人でも1台でもやるよ」と断言してみんなの先頭に立って引っ張ってきた。一時は参加サンタが100人まで膨れ上がった。少々疲れた。それはフルマラソンを終えた感じに多分似ている。個人的にはやりきった感十分。もうここらで終わりにしてもいい。なんの悔いもない。
多くの人が雑務や準備や片付けまで人任せ、はじめて数年は全ての段取りや運営をほぼ一人でこなした。こんなイベントでも警察への道路使用許可をはじめ裏方雑務は20を超える。でも「助けてやろうか」なんて声は一切かからなかった。
ただ楽しさだけを享受し、挙句「段取りが悪い」なんてうそぶく多くの仲間をずっ~と見てきて「甘えるのもいい加減にしろ!!」と思ったこともこれまで数え切れないくらいあった。これは、嫌でもいろんな人の人間観察の勉強になった。
それでも僕には願いがあった。パレードがきっかけで、こんな楽しい村に住んでみたいという移住者が現れるのではないか。パレードがきっかけで、よそ者にこんなことができるなら、地元者の若者としてなにかそれを超えるものをやってやろうという新しい流れが生まれるのではないか。
が、そんな当初の願いは、結果的には全く全て的外れだった。
これまでにパレードがきっかけで新しい動きは何も起きていない。
・・今年は「今年もパレードやろう」なんて呼びかけたり、引っ張るつもりは一切なかった。自分の中で何日までに仲間から声が上がらなかったら不参加か中止と心に決めていたからだ。
心の期日まであと一日。そんなタイミングで、仲間の二人から電話がかかってきた。一人は「俺は1台でも、一人でもパレードを続けていくつもりだ」と言う。もう一人は「山ちゃんがやらなくても僕一人でもやるつもりだけど、山ちゃんはどうする?」
そして打ち上げの中学生「山ちゃんが死んだらパレードは僕が引き継いでやっていきます!」
14年かかった。
ピーク時にはサンタ100人と参加車両15台も集まったパレード。
対して今年のパレードは参加者は30人くらい、参加車両台数は4台、ギャラリーもめっきり減り、今までで最小単位規模のパレードになった。
それで、やっと、本物っぽくなってきた。
僕がいなくてもどうやらパレードは続いていくらしい。
いや、いつやめてもいい。今年も新メンバーが加わりとても楽しいパレードだった。
来年トラクターパレードは15周年を迎える。
パレードも14年もやっているとこうなるのです。
今年のパレード、我が車のメンバーの一部を紹介しましょう。
左から今年福地に引越ししてきた新規就農者岩田くん、一年半前に福地に引っ越してきた植物学者安江くん、2年前に福地に引越してきた保志くん、20年前に福地に引越ししてきた山ちゃん私、福地生まれの元役場勤めの辻さん、18年前に福地に引っ越してきた葛生さん・・・って、ほぼみ~んなよそ者じゃん!!!
こんなメンツで福地盛り上がってます。
今年のトラクターパレードもみなみなさんのお陰で無事に終了。
ギャハハ~楽しかった~ぁ~。
昨日はこんな風景でしたが、今日の雨でほぼ福地のパレードコース上の雪は消えてくれました。
これで天気さえ回復すれば明日21日午後6時からパレード出発です。
スタッフは午後2時集合で準備。午後4時ミーティング開始。6時スタート。
大雪による残雪&明日の天気は雨予報。
明日20日のトラクターパレードは、21日に順延が決定しました。
万一、明日晴天でも順延は決定です。
21日も順延の場合、23日に再順延になります。
詳しくは山田090-2138-8051
または纐纈ナオミチ090-4080ー6175までお願いします。
アメリカにもこんな映画ができるのだ。
映画「ショートターム」
DV、自殺、自傷、ドラッグ、児童虐待、精神障害、発達障害など様々な社会的問題から子供たちを一時保護するための施設のお話。
映画では、主人公の恋人である好青年の存在と、なんとなくハッピーエンド感漂う終わりが、一時保護施設の非常に重い話ながら私のような素人にも見るに耐えられるように工夫されている。
逆に言えば、もしその二つがなければ、出口のない深いスパイラスに引きずり込まれていくようなお話なのだ。そして、映画とは違い、日々の現実は深いスパイラルがガッポリ口を開けているかのような、どんよりとした重い空気の中で人々が身動き取れず引きずられていくのだということくらいは素人の私にも容易に想像がつく。
幼少期の人の成り立ちが、大人になってからも良くも悪しくもずっと影響を与えることが素人にもわかる佳作。http://shortterm12.jp/
さて、20日トラクターパレードは現地福地の悪天候、積雪、降雨など諸条件で急に延期する場合があります。20日がダメな場合21日に延期、21日もダメなら23日延期されます。現在20日に実施できるか延期するかの可能性は五分五分です。
映画「フューリー」プチ軍事マニアとしては見逃せない第二次世界大戦中のアメリカ軍戦車vsドイツ軍戦車。史実では当時ドイツ軍戦車の方が高性能だったので、アメリカ軍戦車が4~5両が犠牲になってやっとドイツ軍戦車を一両破壊できた。映画でもドイツ軍戦車への恐怖がよく表現できていた。
が、キャタピラをやられ動けなくなったアメリカ軍戦車が、ドイツ軍歩兵2~300人をバッタバッタと一方的になぎ倒していくのには閉口。これぞコンバット以来のさすがは能天気なアメリカ映画!敵の弾は当たらず、味方の弾は見事に当たり虫けら扱いされるドイツ軍・・子供の時から見飽きたシーンだ。
トラクターの飾りつけも毎晩仕事終わってからのみんなの協力のお陰で順著順調~。
最初の何年かはでかいトラクター相手に何晩も徹夜しながら、ほとんど一人でやってたなぁ~。ちょっと頭がおかしいくらいじゃないと物事って始まらないことって多い。でも、今年で14年目を迎えるのは、ひとえに仲間がいるからだなこりゃ。
~お問合せ・ご注文はお気軽にどうぞ~
農業生産法人(株)福地ハイランズ 山田正隆
TEL/FAX 0574-49-1761
docomo 090-2138-8051
yamachanokome@eos.ocn.ne.jp
〒505-0421岐阜県加茂郡八百津町福地729-1
「山ちゃんのお米」(やまちゃんのおこめ)は登録商標です。
特許庁:商願2020-77213 登録第6417349号