準備よし!

苗を育てるビニールハウス準備よし!
種蒔き機械の準備よし!
種籾の芽出し準備よし!
フォークリフトのオイル交換整備準備よし!
仕事場の種蒔き仕様の配置準備よし!
種蒔きで使う山中の水源整備準備よし!
種蒔き品種ごとの苗箱枚数準備よし!

明日は大事な種蒔き。
今日は早く寝よう。

稲の苗の新芽を食べ荒らすカモシカも
こちらの種蒔き準備状況を偵察するために
村の中心部まで出て来た。
かなり近付いても逃げない。
憎たらしい。

影の役者

稲作にはたくさんの工程とそれを助ける
同じ数の機械や道具がある。
目立たないけど一つ一つの機械や道具が
それぞれの役割を果たしてくれて
秋の稲穂につながる。

この芽出し温水器も今日でお役御免。
あなたのお陰で種籾たち全員が目を醒し
種蒔きを無事に迎えることができる。

この機械、ユンボと同じく
活躍するのは一年で10日ほど。
一年に一回の役目を終えると
来春まで長いお休みに入る一番手。

ひとつひとつ

田んぼの畦補修や排水管を新設する作業に
活躍したユンボが泥だらけの勇姿で
無事に帰還。

人の手だったら1ヶ月&腰痛間違いなしを
1日もかからず完成させるユンボは
正義の味方、エンジェル👼救世主🦸‍♂️

田植えまでの数え切れないほどの工程、
大事な作業を一つ一つ
無事に終わらせていく。

ゆっくり

春の作業は田植えが終わるまで毎年
ひっちゃかめっちゃかの忙しさ。
だけど今年は焦る心にブレーキをかけて
意図的にゆっくり作業を進めてる。

焦ったり急ぎ過ぎるとせっかくの
お米作りが楽しめない。
大丈夫、もう29年目なんだから
ゆっくり動いても経験でなんとかなるさ。

仕事場前の桜はまだ咲かない。
いいよ〜ゆっくりで。
その方が長く楽しめる。

57

3月29日。

57歳。

さあ、はじめよう。

一斗二升五合

3月29日。

昔可愛がってた弟分が名古屋に
オリジナルプリントのTシャツ屋さん
「ALL DAY」を開店したのが
9年前のちょうどこの日。

私が言うのもなんだけど、最初に会った時は
どうにもならないような若者だった🤣
それが今じゃ立派な大繁盛店のオーナー。
驚くべき化けよう。
9周年おめでとう!

米農家からの心からの祝福は
  「一斗ニ升五合!」
     👇
一斗👉五升の倍(ごしょうばい)
二升👉升升(ますます)
五合👉半升(はんじょう)

誕生

3月29日。
命が産まれた瞬間。
種籾から少しだけ白く出てきたのがお米の芽。
「オギャー!」


メルカリにも

メルカリにも
「売り手よし」
「買い手よし」
「世間よし」
の近江商人が大事にしてた
三方よしの商いがあるものなんだな。

ここが私の仕事場!

逃げも隠れもしないぞ。
ここが私の仕事場。
どの作業も大変なことばかり。
毎日ヘロヘロになるまで。
そしてたまの幸せ感。
田んぼが、私が来るのを、
稲を植えてくれと待っている。
これが私が28年前に選んだ仕事。
待ってろよ田んぼ。
待ってろよ自分。

君の名は

福地でも桜がちらほら咲き始めた。

これは多分、白い木蓮。
花言葉は崇高とか威厳とか。

私の場合、花は花びらよりも中心部を
拡大して見てみたくなる。

これまたお見事!
宇宙!
曼荼羅!

苗床作り

4人で馬鹿っ話しをしながらビニールハウスを
張って苗を育てる苗床を作る。
普段は一人で仕事してるからとても楽しい。

でも、風が強いと人間4人が必死に抑えても
ビニールが煽られ凶暴な恐竜のようになって
吹き飛ばされちゃう。

だから「風が吹きませんように!」
「風が吹く前に!」と数日前から祈る。
一旦無事ビニールが張れたらこっちのもの。

「ほっ!」
安堵の笑顔で記念撮影。


種まきまで一週間

今日も冷たい雨。
それでも足元に春。
種まきまで一週間。

そこかしこ

 標高600メートルのここ福地は
まだ全く桜が咲いていない。
今日も冷たい雨が降っていたけど、
やっぱり春の足音はそこかしこ。

私にとっては29回目のお米作り。
今までは忙し過ぎて、追われてばっかりの
春だったけれど、もうたくさん
経験してきたんだから周りの生き物や
草たちにも目線を落として
春の足音も聞いていきたいな。

去年は4月1日に初めて蛙の鳴き声を聞いた。
今年は3月25日の今日、去年比一週間も早く
うるさいくらいに鳴いている。

さて、私、お店の看板とかフォントや
名前を見るのが大好き。
通りがかったお店の看板は
ハンバーグのお店だから
「コネル」だって🤣

栄にあったバン串(バンクシー)と言う
商標ギリギリの焼き鳥屋さんは
その後どうなったろう?

劇団名「カムカムミニキーナ」は
カムカム👉おいでおいで!
ミニキーナ👉見に来〜な!
つまり
「おいでおいで見においで!」が
劇団名だと気づいた時には感動した🤣

有り難い

ありがとうの語源は有り難し、有ることが
滅多に起きないから有り難しでありがとう。

八百津町ふるさと納税、返礼品の
人気ランキング上位6位中で山ちゃんの甘酒と
山ちゃんの発芽玄米が3つもランクイン。

八百津町には全国区のお酢屋さん、
栗きんとん屋さん、お肉屋さんなど名産品が
多い中で、ランクインしてもらえるだけで
本当に光栄、まさしく有り難いこと。

おもしろいな

隣り合わせた初対面のお客さんから
高価なワインを頂いた。

店主さんのご好意でそのワインを3種類の
ワイングラスで飲み比べさせて頂けた。

同じワインなのにワイングラスを変えるだけで
まるで違う味わいや顔つきになる。

食べ物や飲み物が「生きている」と実感できる
ことはとても嬉しいし大事なことだと思う。
「生きている」とは「変化」なのだろう。

日本酒だと同じお酒でも4合瓶より一升瓶の
方がなぜだか知らないけど絶対においしい。
おちょこも数種類用意するとやっぱり同じ
お酒なのにお猪口によって味が違う。

面白いな。

がんばってる姿

これから2ヶ月とても忙しくなる。
その前に自分の中の仕切り。
名古屋は上前津のグロッグ さんにお邪魔する。
人が頑張ってる姿を見ると自分も頑張んなきゃ
と言う気合が入るから不思議。

忙しくなる前に

忙しくなる前に愛知県江南市の
re-cafe さんに立ち寄る。
もう古い友人で私はこの方の料理のファン。
ワンオペで全部こなすって尊敬する。

春告鳥

標高600mのここ福地も今日は
Tシャツ一枚で汗ばむ陽気。

でも桜はまだ咲いてない。
麓の街から咲き始め、今はおよそ標高200m
まで開花が駆け上がって来てるところ。

私はまだ聞いてないけれど
「もう鶯の鳴き声を聞いた!
今年は一週間早い!」と言ってる人がいた。

鶯は春告鳥。

まさか

ユンボで田んぼの畦や用水路を補修中。
農業を始める前には、まさか自分が
こんな機械に乗るとは夢夢思わなかった。

機械が好きでない私でも、かれこれ20年以上
操っているとなんとかなるものだなぁ。

気付けば一人で多くの
乗用機械を使いこなしている。

軽トラック
トラック
トラクター
コンバイン
シャベルローダー
フォークリフト
スクーター
電動スクーター
乗用車
ダンプカー
車載トレーラー
ユンボ
田植え機
肥料散布機

これは乗用だけで、乗用以外の機械なんて
この倍はあって。
全部一人で使いこなしてると
思うとうれしいやら悲しいやら。

機械好きじゃないんだけどなぁ。。。

バッキバキ

トラクターのタイヤが減ると田んぼの中で
スリップして出て来れなくなってしまう。
減りが目立ってきたし、4月から価格が
爆上がりすると聞きフロンタイヤを交換、バッキバキのタイヤ山になって帰ってきた。

トラクターのタイヤって恐ろしく高い。
もう田んぼで擦り減らしたくない。。
このまま床間に飾っておきたい。。

晩白柚

晩白柚を「バンペイユ」と読める人は
どれくらいいるのだろう。
語感が日本離れしてまるで中国語みたい。
ちなみに中国語で読むとワンバイヨウだから
中国語でもない。

95%は熊本県八代市で生産される
 ザボンで最大規格。
こんな大きな柑橘は初めて見た。。
バンペイユ、柑橘のすごくいい香り。

選ばれし者

とんでもない塩っぱい水を作る。
どれくらい塩っぱいかって、
こんなに卵が浮くぐらい。
興味と時間があれば小さなボウルに
卵が浮くほどの塩水を作るのにどれくらいの
塩が要るのか試してみて。
驚くほど大量の塩が要る😈

卵がこんなに浮いてしまう塩水を作ったら
そこに種籾を入れる。
中身が充実してない籾は
ものの見事にプカーと浮く。
もったいないくらい浮く。
無念、浮いた種籾たちは使われることはない。

一方、中身がぎっしり詰まった種籾は
底に沈む。
種まきする種籾はこうして沈んだ
優秀な選ばれし者だけが選別される。

「塩水選」と言う。

昔は海の近くでは海水が、海のない地方では
泥水を作って比重を利用した。
卵はその浮き方が塩水濃度、
比重計の役割を果たす。
大昔からある簡単で確実な選別手法。

これくらい卵が浮く塩水比重だと
種籾はこんなに大量に浮いてしまう。。
とにかくたくさん浮く。
そんなに浮かなくてもいいのに!
頼む!沈んで!と
願いを強くしてもたくさん浮く。
もったいないけど大事な選別。

誰が始めたんだろう。
永遠と続いている豊作への第一歩。


サバイバルチャイニーズ

サバイバルレベルながら私が中国語を
話せるのはこのDVDドラマのお陰。
もう10数年前、レンタルビデオに通って
10話くらい見てた。
この度、メルカリで入手懐かしい〜。

恥ずかしながら私の中国語の単語数は
すごく少ない。
けれど、少ない単語を駆使して
反対に正確な文法など一切無視して
自分で作った中国語小噺がいくつか。

少ない単語でも中国人を笑わせるだけの
度胸と経験だけは十分積んできた🤣
それを見た周りの日本人は、
私がすごく中国語ができるように
思うみたいだけど
そりゃ〜もう実はひどいもの。

弟は中国に何度も長期出張してたから
私より中国語ができる。
弟と二人、周りに聞かれちゃ都合の悪い話を
する時は、中国人でもわからないくらいの
日本語なまりの中国語が便利。


反応

戦艦や零戦のプラモデルの箱絵で超有名
私たちの憧れだった故 小松崎茂さん。
子供の頃、この人の戦艦や戦闘機の絵を見て
ワクワクが止まらなかった。

機械物だけではなく漫画も描かれていた
ことを初めて知った。

人物画でもやっぱり絵が上手い。
惚れ惚れする。

最近は洗練され過ぎた平成令和モノより
生きる力や迫力、うっすらと胡散臭かったり
生活や昭和の匂いがするものに
より強く反応してしまう。


しあわせの黄色いハンカチ

日本一海に近い駅✖️幸せの黄色いハンカチ。

無人駅のホームには500円ガチャで
黄色いハンカチが買える。

そのハンカチにホームに備え付けてある
マジックで願い事を書いたらホームに飾れる。

一定期間飾られた黄色いハンカチは
神社に奉納、幸せを祈願して
もらえるという素敵なシステム。

ここを訪れるたくさんの人が幸せに。
考えた人は偉い。

青い海と青い空と幸せの黄色いハンカチの
見事なまでのコントラスト。

キリンレモンのテレビCMに使われ
マクドナルドも列車に協賛。

日本一

日本一海に近い駅。
手摺のないホームのすぐ後ろは直接海。

彼方の匂い

どの街にも匂いがあって、それは多くの場合
歴史に裏打ちされていて、どの街に行っても
どんな歴史の背景と街の成り立ちの関係が
あるのかを探るのが好き。

地元の人を掴まえて昔の話を聞いてみると
出てくる出てくる決して本にもネットにも
ない情報が。
かつての女郎街なんて最たるもので
今はどこも寂れているけれど、
調べていけばいくほど当時の人の活気が
伝わってくる気がして不思議。

今日は以前から興味を持って調べてた女郎街の
家でボンボンと育てられてたと言う方と
偶然出会ってかなり長時間立ち話で
たくさんいろんなことを教えていただけた。

昔のことを懐かしそうに生き生きと語られる
ボンボンの表情の奥に、
今はなきかつて栄華を極めた
活気ある街の風景を見た。


身ぐるみ

中部国際空港の搭乗口近くに飛騨の家具。
自由に座れる匠の家具50席ほど。
どのに行っても無機質な空港で
素晴らしい試みがあるものだなぁ。

そう言えば留学してた時、
ロサンゼルスの空港で普通に列に並んでたら
空港警察に突然腕を掴まれ別室に連れて行かれ
訳も分からず身ぐるみ剥がされパンツ一丁に
させられたことを思い出した。
もちろんなにもなく無事釈放。

そうだ。初めての海外旅行は上海。
安いチケットだったからたった上海行くのに
なぜかフィリピンはマニラ経由。
マニラ空港で乗り継ぎを一人待っていると
空港警察が寄って来て
「警察手帳を買わないか?」と聞いてくる
そんな馬鹿な、いらないと拒否すると
「じゃ、この拳銃買わないか?本物だよ!」
と拳銃をホルダーから出して見せてくる。

かわいい人相のせいなのか
日本の税関ではかなりの高確率で止められる。

中国雲南省の空港で空港警備員が
あっちから歩いてくる。
すれ違いざまにその警備員とお互いに
「あれ?!」
お互いマジマジと顔を見つめて
「おおおお!」
今では体格も大きく立派な青年に
なってるけれど、小さな農村で小学生の頃から
毎年のようにずっと可愛がって遊んで
あげてた子だった。

中国の空港など手荷物検査の列が1km以上!
になってたこともしばしばあった。
時間通りに飛んだらかなりラッキー。
搭乗口など1分前に何の予告もなく
変更されるなんてのもよくあって
緊張してないと置いてかれる。
中国南部が大寒波の時には、24時間以上
飛行機が飛ばなくて客が一部暴徒化して
受付カウンターの上に乗っかり
「飯よこせ!」の大合唱。
航空会社が給食のようにご飯を運んできて
お陰で飢えずに済んだ。

インドネシアでは友人が賄賂を使いVIP待遇。みんな税関や検疫で長蛇の列を作ってるのに
特別な出口をノーチェックですり抜け
サクッと入国、並んでる何百人の人達から
「あいつだけなんで特別なんだ!」💢と言う
視線を一身に受け。

空港にはいろんな思い出がまだまだ一杯ある。


40年ですと!

大学生時代はバックパッカー。

今まで
中国、韓国、
台湾、タイ、
ラオス、ミヤンマー、
インドネシア、香港、
フィリピン、マレーシア、
アメリカ、イタリア、
日本では北は北海道から南は沖縄まで
海から3000mの山まで
そのほとんどをこのザックと共に歩いて来た。

このザックは大学一年生の時に買った。
だからかれこれ、およそ40年!
の付き合いになる。
なにっ!? 40年!!!!
そしていまだ現役。

まるで戦友のようなこのザック。
飛行機の貨物室に運ばれた回数は
100回を越えてると思う。

 ザックの名前はglobe trip 地球旅行。
いい名前だ。

さぁ

春がやって来た。
極寒の仕事場もスキーウエアーが不要に。
29回目の春が始まる。

おだやか

今日は何もない平和な一日。
朝から精米して商品の出荷準備作業して
午後も精米して商品の出荷準備して。
なんて平和なんだ。
なんでもない穏やかな日が
とても幸せに感じる。

馬頭観音さんは三面六臂。
頭に乗っかってる馬が浮かんでくる煩悩を
食べてくれ、三面ある顔で世界を見渡し
憤怒の表情と六つの腕全てに持っている
武器で私たちを災いから遠ざけてくれてる。

2周すると新しい

昭和エロ風をポップに描く
吉岡里奈さんの個展に行く。

色使い、題材、表現がどこかなつかしく
エロいと言うよりどこまでも鮮やかで
笑ってしまう。

昔の温泉街の看板にこういうのあったよなぁ〜
でも時代が2周するとこんな作風も
レトロな車と同じように
若者にとっては懐かしさを飛び越えて
最新に見えるらしい。

イラストレーター吉岡里奈さんはとっても
気さくでお話し上手。楽しかった。

ご縁でできている

ご縁あって僅かな期間でここ鶯谷に
降りるのは3回目。

上野の岐阜アンテナショップに寄って
東松原の知り合いの劇団を観て
早稲田で娘のお祝いごとに出て
ご縁に包まれた一日のありがたいこと。

この歳になってやっと世の中も人も
ご縁でできてるんだと、本当の意味で
感じられるようになってきた。

遅いかもしれないけれど気付いて
触れてる実感が嬉しい。

茹でガエル

種蒔きまで1ヶ月を切ってるけれど
この3月は移動が多くてなかなか農作業の
時間が取れない。

新幹線ホームの売店で買った本。
実生活でもいろいろとやばいなぁ〜と
感じることが増えて来た。
うちの村の小学校が廃校になって既に
10数年経った。

この本に書かれている人口減も高齢化も
ことは小さな村ではもうとっくに実証済み。
ある意味では田舎は日本の最先端を行き
最もトレンドに触れているとも言える。

問題は茹でガエルのようにゆっくり進み
気づいたら突然茹で上がっていたと
感じてしまうこと。

事前にどんなことが起きるのかある程度
予測できていれば心構えも対応もできる。
そう言う意味では都会や街の人の方が
田舎人よりも現実味がなく対応も心構えも
遅れるだろうな。

それにしてもなんだかこのお湯ちょっと
熱い気がするなぁ……

一寸先

ちょっと先のことくらい予想できる気がする
のだけれど、やっぱりちょっと先のことも
予想できないようにできてる。

ポカポカ陽気が続いて春がやって来たんだな〜
と思ってたらいきなりな雪が降って来た。
標高600mのここは3月末まで雪が降る。

素養

ラリーのプロメカニックをしていたと言う
大谷さん(中央)はこの春から隣村で
野菜米農家としてスタートを切る。

最近は才能ある人がどんどん農業界に
参入して来てるのは喜ばしい。
ただ彼の様に尖った才能を持ち冷静な
経営判断ができる素養を持った人は
かなり珍しい。

自然+食+環境に憧れるのはいいけれど
どう見ても「この人は農業をなめてるな」
と思わざるを得ない農業希望者と
会うことも多い。

夢は大いに語れるけれど、肝心な売上計算や
経費計算が全くできていなくて驚かされる
のは、もはや農業希望者の一つの特徴
と言ってもいい。

農業に限らず、自分でことを起こすなら
簡単な計算くらい、例えばラーメン屋さん
を開くなら原価計算や客単価に水道光熱費
くらいは計算するはず。
ところが、農業と言う曖昧な言葉が
いけないのか。
夢や希望だけで現実やお金が追いつかず
去って行った人を何人も見て来た。
計算もせずにうまく行くほど世の中は
甘くない。

そう言う私も農業始めた29年前は
まるで経費や売上計算などしてなかった。
忠告してくれる人もいなかった。
今考えたら生き残って来れたのは
ほとんど奇跡に近い。

ただし今は以前より格段に農業経営を
取り巻く環境は厳しくなってる。
それでもそんな大波にも負けないぞと言う
エンジンや羅針盤を持ってる人には
農業は人生を賭けた価値ある仕事に
なるに違いない。

大谷さんには次の世代を引っ張るだけの
素養、人柄、技術、考えが備わっている。
この人は必ずうまく行く。



プライドレス

細い山道では、後から来る速いペースの人に
道を譲って抜いてもらう。
これまで私を抜いて行った人は数知れず、
逆にお先にどうぞと譲られた記憶はない。
つまり私のペースは誰よりも遅い。

トレイルランをしてる人はジェット戦闘機
の様な人種なので言うに及ばず。
保育園児や小学生が飛び跳ねるように
私を抜き去って行く。(どんな筋肉)
女子大学生のグループが音もなく
私を抜き去って行く。(足の速い托鉢か)
若いカップルが楽しげに大笑いしながら
私を抜いて行く。(どんな肺活量してんだ)
70代のお兄さん、お姉さんがスタスタスタと
私を追い抜いて行く。(既に解脱しているのか)
赤ちゃんを背負子に乗せた若いお母さんが
私を追い越して行く。(絶対転ばないで)
どう見てもヨボヨボで登山用ストックが
杖にしか見えないお爺さんに追いつけない。
(杖にジェットエンジン内蔵してんのか)

プライドレス…

私は中学では森田健作に憧れ剣道部。
高校ではフィールドホッケー部のキャプテン、
大学ではアイスホッケー部の副キャプテン、
アメリカではアイスホッケーチームを作り、
前職YMCAでは何度も、沢山の子供達を連れて 
2-3000m級の山々を相手に山小屋泊しながら縦走してた(それが仕事だった)。
運動神経も根性も人並みにある。

ところが今、たった300mの山登りで
今までのプライドも体力も全く通用しない。
気持ちいいほど清々しいほどに通用しない。
よく考えたら無理もない。
私のプライドも体力も経験もぜ〜んぶ
遠く30年以上前のことだった!

例え高級車に乗ろうと株で儲かろうと
大統領だろうと人間国宝だろうと
地位も名誉もお金も全く通用しない。
ただ自分の足で歩く、登る、下る。
コンビニもデパートもレストランも
タクシーもグリーン車もない。
山の上で私は社長だとか威張る奴はいない。
全くなんて平等な世界だろうと思う。

ただ、
山登りしてみてみんなが着たり
身につけつるものが決まって見事に
ノースフェースかモンベル、パタゴニアの
高価なメーカー品ばかりだと知った。
それくらいなら私だってヤフオクか
メルカリで揃えられる(笑





脳内麻薬?

昨日の山登りの疲れが随分残ってる。
なのに朝起きて青空「もう一度登りたい」

トライアスロンにマラソン.....
点数競技でもチームプレーでもない
ただひたすら走ったり登ったりする人の
気持ちが正直理解できなかった。
第一全く生産性がない。
もったいないカロリーの使い方だなぁ〜と
常々思ってた私が山登りしたいだなんて。
自分で自分を疑う。

脳内で何か得体の知れない物質が
出てるに違いない。
結局今日も二日連続5時間半コースの
山登りに出かけていた。(今年7回目)

行程の3分の2までは快調快調。
ところがそこを過ぎた頃から全く脚が
重くて動かなくなってしまった。
やっぱり昨日の疲れが残ってるんだな。
足は攣りそう、自分で自分の足を踏んで
転びそう、平らな所で油断して捻挫寸前。
今までで一番辛かった。。

こんな辛い思いしてどうして
また登りたくなるのか、自分なりに考えて
みたけれど答えが見つからない。
頂上からの眺めも風景も自然も達成感も
一人だからチームワークも会話もないし
ダイエットも修行もどれも自分の中の
登る理由にしてはまるでしっくりこない。

今日の5時間半は特別キツかった。
もうフラフラヘロヘロ。
忙しいシーズンが始まるし、怪我はできない
から山登りは今回でとりあえず終わりかな。

今はもうお腹いっぱいだけど、朝起きて
見事な晴れを見ちゃったら
やっぱりまた登りたくなるんだろうな。

今日は一日中「不思議だ〜不思議だ〜」と
言いながら登ってた。

予習の成果

YouTubeで歩き方のコツを見てから
6度目のひとりぼっち山登り。
その甲斐あって5時間半の行程の疲労度は
前回108%、今回は70%、時間も30分短く
なり下山後も「まだ行ける!」
自分でも驚いた。

前に行こう行こう登ろう登ろうとすると
脚と体の重心がズレ、筋肉は疲れ息も
荒くなり長続きしない。

ペースと呼吸、重心と足裏全体の意識。
「前に足を踏み出さない足運び」
山の歩き方と経営はよく似ている。

祖父山田隆憲の上野

祖父山田隆憲は熊本からここ東京藝大の
西洋画に進んだ。

当時はお金持ちしか大学に行けない時代。
ましてや遠く熊本から藝大に上京するなど
地方ではかなり裕福な家だった。

「湖畔」で有名な洋画家黒田清輝に師事。
藝大卒業後もプロ洋画家として結婚後も
上野に住み続けた。

そんな祖父のところにやはり熊本の県会議員
資産家から嫁いだ乙女おばあさん。
画家の祖父と上野での新婚生活は
どんなだったろうと想像しながら
この界隈を歩いてみた。

親戚には「祖父の跡を継いで孫のなかで
誰か一人でも東京芸大に行ってくれないか」
と言う悲願にも似た思いがあった。

私は暇さえあれば毎日絵を描くのが好きで
絵画コンクールでは必ず入賞する子供だった。
それに私の名前「正隆」は祖父「隆憲」から
一字をもらっている。

「これは隔世遺伝に間違いない!」
親戚のみんなが寄ってたかって子供の私に
芸大行きを本気で勧めていたのを思い出す。
「誰か一人くらい芸大行ってくれ」って
子供の頃からそんなプレッシャー受けてたら
そりゃ〜逆に行かないわねぇ。
プレッシャーがなかったら、ひょっとしたら
ここは行きたい大学になってたかもしれない。

岡本太郎

「芸術は爆発だ!」岡田太郎さんのお墓。
さすがに墓地では想像してたよりは
爆発しておらず安心と同時に
もっと弾けてほしかったと
ちょっと複雑な心境。

山下泰文陸軍大将 命日

第二次世界大戦初頭でマレー半島攻略を
電撃的に成功させ「マレーの虎」と称された
山下泰文陸軍大将のお墓に偶然出会う。

山下大将は226事件にも深く関わった人物で
昭和史の中でも何度も登場する軍人。
226事件では天皇から嫌われその後の
軍歴では主流から外れ、事件の影響が
最後まで付き纏った。
1946年連合軍裁判でフィリピンで死刑。

命日は昭和21年2月23日。
なんですと。
奇しくも今日は彼の77年目の命日。
2月23日合掌。

無借金経営がよくないなんて

経営者になりたての頃は借金が怖かった。
無借金経営がなんたって一番。

願いは叶って7〜8年ほどは無借金経営を
達成したけれど、それからが大変だった。
高価な農機具を更新するのにローンを
組もうとしたら信用がないって
手続きが大変だった。
ん?
無借金経営って信用が高いんじゃないの?

じつは無借金経営を6年続けると
金融界のリストから名前は消える=この世に
存在しないことになる。
この人は借金を返す能力があるのかないのか?
データや実績が消えてないのは=信用が無い
のと同じなのだとその時初めて知った。
無借金経営は信用されないのかッ!!

それ以来運転資金に仮に困ってなくても
借りてちゃんと返す、借りて返すを
繰り返している。
滞りなく借金を返すのが無借金経営より
何倍も信用度が上がりほんとにまとまった
お金が必要な時に借りやすくなる。

うまく回ると金融機関から「借りてください」
と来るようになるよと諸先輩から。
へ〜そんなものなのかと、借金を滞りなく
返していたら、ありがたいことに
数年前からほんとに金融機関の方から
「借りてください」とお声が掛かるように
なった。

経営をするのにまとまったお金が
必要なのは間違いない。
そしてそのタイミングも必ず来る。
その時のために
無借金経営はオススメしない 笑


春告草

春告鳥は鶯。
春告草は梅。

これは今年初めて見た桜🌸
梅じゃないよなぁ〜。
草も少しずつ青くなり始めて。
もう。。。。
あ〜😩もうすぐ忙しい春が来るのね😩
この時期、正直梅も桜も鶯もまだまだ
大人しくしててほしい😭

もしや えびす大黒さん?

ここ数日、山ちゃんの甘酒のご注文を
楽天市場からたくさんいただいている。

ありがたい限りだけど、これまでになく
突然伸び始めた理由が思い当たらない。

もしや山登りの下山途中、寂光院さんで
奉じた えびす大黒さん?

地球内部

5時間半山登りをして最終目的地は
名鉄犬山遊園駅。
そこに出現した妙なオーラを放つ店。

「地球へヨウコソ」の看板に引き寄せられ
店に入るとそこは別宇宙だった。
なんと表現していいのかわからない店内に
響き渡る誰かのカラオケの歌声。

「なんだここは!やっぱり失敗したか?!」
恐る恐る案内された席に座ると
店主さん(82歳)がやってきた。
キンキラキンのこの出立でずっと
私一人を相手に彼の歴史をお話してくださる。

店内のディスプレイは見たことがないくらい
はちゃめちゃ。それに昼間から
ひっきりなしに誰かがカラオケで歌ってる。
どう見ても地球ではなく別宇宙。

ところがどうした訳か妙に落ち着く。

どこかで嗅いだことのある昭和の匂い。
どこかで受けたことのあるような接客。
どこかで嗅いだことのあるような人の匂い。
ご夫婦のホスピタリティが満点なのだ。

カレーに付いてきたサラダは
カレーよりも大盛り大ボリュームで
度肝を抜かれた。
ビールは缶だけと言われ、ならコップは
要りませんと伝えると
気分だけでも!と見たことがないくらい
ギンギンに冷えた空ビールジョッキと
大盛りのおつまみも持って来きてもらい
また度肝を抜かれた。

58年の営業でテレビの取材は30数回、
こんどBBCからも取材が来るそうだ。
愛知県犬山市「百万ドル」(なんちゅう名前だ)
一度にこの店のファンになった。

多分日本全国にこうした古き良き
ホスピタリティと昭和の匂いを残した
お店は残ってるのだろう。
ドトールやスタバにもないこの雰囲気。
綺麗さと便利さと洗練さを得て
猥雑さと匂いと他に何を失ってきたのだろう。

毎年出かけていた中国雲南省の農村。
たくさんの農民仲間たちと酒を酌み交わし
酔っ払い、強い日差しを遮ったタイ族独特の
高床式の家で安心して雑魚寝してると、
そんなこと経験したことないのに
ただただ無性に「ああ、懐かしい。」
この雰囲気、この匂いは「懐かしいなぁ〜」
と自然に涙が溢れて出てくることが
度々あった。

自分の体が何かに反応していた。

そんなことを思い出した。
「百万ドル」はカラオケ喫茶と呼べば
いいのだろうか?いまだに理解できてない。
一曲100円何曲歌ったかは自己申告だそう。
毎日午後5時閉店。早い。

地球へようこそ

5時間半の山登りの終点は名鉄犬山遊園駅。
「よくここまで歩けたなぁ〜」とズタボロに
なって辿り着くとこの店が目の前に出現した。

「なんだろう!?」「なんなんだ!?」
新興宗教施設のような美術館のような
喫茶店のような宇宙との交信施設のような。

中を見たい!でも怖い!
すごく怖い!でも見たい!
と店の前で迷うこと5分。

普通のお店なら「営業中」との看板には
「地球へヨウコソ」と書かれてある。
地球へヨウコソとは何事???
入り口の僅かな隙間から中を覗いて見るけど
下駄箱しか見えない。下駄箱??
宇宙服にでも着替えるのだろうか??

「ええい!入っちゃえ!」
虎穴に入らずんば孤児を得ず。
それとも
君子危うきに近寄らずか?
「ええい!入っちゃえ!」
もう一度ちっちゃく叫んで、いざ突入!

バンビ

低山だからと言って舐めてはいけない。
岐阜県側から登って愛知県犬山市に
辿り着くまでに5時間半歩き続けた。

登山道では70代のお姉さんに追い抜かれ、
20代のお嬢さんにも追い抜かれ、
こんなにヘロヘロになるまで歩いたのは
何年ぶりだろう。

下山最後の30分は顔はオッサンなのに
脚はまるで産まれたてのバンビ。
よくがんばりました。
しばらくお腹いっぱい。


あるんですよ5回目

今年6回目の山登り313.5m。

山登りを本格的にしている方に
「300mの山に5回登りました!」
と言ったら
「…300?....300?..」
「岐阜県にそんな低い山があるんですか!?」
と本気で聞き返されて悲しくなった…(泣)

あるんですよ300mの山だって。
いい眺めだな。
まるで3000mからの眺めのようだ!(再泣)

小嶋護さんのカリンバ

旧福地小学校の教室で「カリンバ」を
製作してるのは小嶋護さん。

毎日1時間半かけて愛知県は小牧市から
ここ福地小学校まで通ってる小嶋さん、
毎年田植えや発送作業を助けてくださる
ありがたい存在。

とにかく作ることが好きな小嶋さんの手作り
カリンバの音色は、どれもこれも彼の性格
そっくりにやさしい響き。

一つ一つ手作りのカリンバはどれも
世界に一つしかないオリジナル。
そろそろ販売開始、私も買ってみよう。

きぷらす工房 https://k-plus-kobo.jp/


やっと復旧

HPのシステム障害が回復して普段通り
スマホから日記の更新ができるように。
障害中はパソコンからしか日記の更新でき
なかったけれど、それだけでストレス。
一旦便利さに慣れると些細なことでも
意外なほどストレスを感じるものなのだな。。

さて、今日から読み始めるのは
この恐ろしげな本。

まだ

HP会社のシステム復旧ができてなくて

新しい写真が載せられない。

 

20年も前にインドネシアはバリ島。

「バリ」とは貢物とか生贄とかお米という意味がある。

どの国に行っても米作地帯を狙い、現地の農民に混ざり

農作業をさせてもらう。

 

手作業は日本のそれとほとんど同じなので通用するけれど

唯一通用しなかった作業が頭に重いお米を載せて

運ぶこの作業。

多分40~50kgくらいある。

 

現地の女性はひょいっと載せて歩いていくけれど

私は助けてもらってやっと頭にのせるのが精一杯。

載せてもらった瞬間に「グキッッ!」と首から

聞いたことのないような鈍い音がしたのを20年経った今でもはっきり覚えている。

 

バリにはお米の勉強に3年行った。

比較的英語が通じるし、バリヒンドゥは日本の八百万の神の文化とも似て笑いのツボも一緒。

現地で友達になった人は今でもみんな元気かな?

 

 

 

過去

一年で唯一時間に自由がある2月。

コロナ前は2月お米の勉強に海外に行くのが

何よりの楽しみだった。

 

2016年2月は意外に知られてないけれど、

お米と縁深いイタリアはミラノにいた。

到着初日に地下鉄でスリのプロ集団にやられ、

多額の現金やカードを無くす失態を犯した

元警視庁警察官(´;ω;`)ウゥゥ

 

ところで、どうしたシステムの不具合か

新しく撮った写真の日記更新ができない。

しばらく過去の写真で。

やっと

遅ればせながらやっとzoomに慣れてきた。

 

写真は7~8年ほど前のラオス。

国際開発コンサルタント会社と現地NGOから

現地の稲作を見てほしいと依頼を受けて。

今ならzoomで、必ずしも現地に行く必要がない。

 

もはや

ダンボールに米袋、燃料費に電気代、
肥料に農機具、見事に全ての生産資材が
爆上がりしている。こんなことは初めて。

値上げしないと踏ん張って来たけれど
もはや限界(´༎ຶོρ༎ຶོ`)ごめんなさい。

3月1日から甘酒を650円から680円に
一本あたり30円値上げすることに決めた。
(お米は値上げしない)

正直この程度では全てを吸収し切れて
いないので、近い将来また値上せざるを
得ないかも知れない。

その上、防衛増税って「おい自民党💢」
おとなしいな僕たちって。


1兆円って!

三菱重工の国際ジェット旅客機開発が
とうとう頓挫し撤退。

中部地方のマスコミは散々煽って
関連企業はおこぼれが来るのを
今か今かと待っていた。

これまでに投じられた開発費は
なんと1兆円!!!!
試験機は既にアメリカで解体され登録抹消。
1兆円がまさしく夢の藻屑に。

まさに現代日本の象徴のような出来事。
どうしてこんなことに?
どうしてここまでズルズル来たのだ?
日本の病巣が詰まっていそう。

まだ学生な〜のだ

10年前にオンライン受験して
憧れのバカ田大学に見事に合格した。
(多分今でも随時受験できる)

当時うちでは馬を飼っていたので、
学部はバカ田大学の中でも更に一番の
難関と言われる「馬科」。
先輩にかの有名なバカボンのパパ。

成績は悪くても一向に構わないし、
学費がない場合学生科に頼めば年利20%を
つけて学費を貸してくれる優しい大学。

逆に成績が良いと放校処分、
つまらない人間になると即退学処分に
なるという、真面目さや努力が仇になる
厳しい大学。

この学生証を見る度に、
「私は大丈夫だろうか?」
「今年はまだ在籍させてもらえるのだろうか?」
といつもドキドキする。

世間の常識やつまらない世間体、
誰かが決めた固定観念に抗えているかい。
つまんない人間になると退学させられるぞ。

ご縁

35年前に東京でもおしゃれな街自由が丘に
ある広告代理店の就職試験を受けた。

当時広告代理店は花形業種で大人気。
しかも会社は勢いのあったリクルート系で
就職試験には1200人が集まった。
一次の筆記試験から始まってのべ数ヶ月間に
渡り6次試験を経て最終6人が合格した。
その時の仲間、中島。

合格した学生も強者ばかり。
せっかく6次試験を潜り抜けた他の仲間は
合格発表からすぐ就職を辞退して
もっといい会社を目指したのだろう。
私も就職目前でアメリカ留学を選んで
就職を辞退した。

結局合格者でこの会社に就職したのは
中島のみ。
彼とは大学も違えば部活も違う。
まったくの就職試験のみで会った人。
それなのにつくづく人のご縁は不思議な
ものだと思う。
就職試験以来、結局一度も一緒に働いた
ことがない彼とは35年間ずっと
親交が続いて、いまだ数年おきに会う間柄。

今晩も35年も前の就職するはずだった
広告代理店の話に花が咲き、
あっと言う間に6時間。

若い時ある瞬間に偶然出会っただけなのに
今日もこれからのお互いの人生に
エールを送り合い互いの健闘を祈る。
ありがとう中島。
また飲もう!



100万円

農家はもっと減っていい

今まで出会ったり読んだりした農業者の中で
私と一番思考回路や考えてることが似ている
久松達央さん「農家はもっと減っていい」

厳しくも優しい、特にこれからの
若い農家のみんなへ贈るエール。

ほぼ同じ世代、就農したのも同じく28歳、
同じ時代背景を過ごし、農家出身ではなく
脱サラ組、同じキャリアだから考えが
似てくるのだろうか。

大学教授にもコンサルタントにも
農業評論家にも絶対に書けない、
農業を続けて来た人だけができる表現。
今まで私のモヤモヤしてた頭の中が
久松さんによって全部言語化されてる。

思考回路はとても似てるけど
久松さんの膨大な知識量、文章の表現力、
日本農業を俯瞰した視点などには
終始舌を巻くばかり。

それに比べて私の世間のちっちゃいこと(泣)
私は日本農業を語れないし
語ろうとも思わない。
ちっちゃくていい。
彼にしかできないこと、
私にしかできないこと。
私は久松さんにはなれないけれど
久松さんも私にはなれない。

彼のような人が大いに活躍してほしいな。
そして、彼のような人が大いに活躍しないで
いいような農業界になるといいなと思う。
いつかどこかで久松さんに会えるといいな。

もうすぐ30歳

もうすぐ会社は30歳。
長かったようなあっという間だったような。
よくここまで続けて来れたな。
ありがたいなぁ。
精一杯だったなぁ。
数えきれないくらいギックリ腰やったなぁ。
田植えを始める日にギックリ腰したり
明日から稲刈りだと言う日に骨折したり。
ビニールハウス吹き飛ばされたり。
熱中症になったり。
毎年借金返す年末はヒヤヒヤだったなぁ。
口座の残金がたったの280円になった時は
ほんとにビビったなぁ。
稲が全滅して田んぼを前にして一人で
泣いたの懐かしいなぁ。
楽しかったこともたくさんあったのに
大変だったことばかりが思い出される
のはなんでだろう。
いろんなことがあってその度に
乗り越えて来たなぁ。
もうすぐ会社は30歳。
ありがたいなぁ。

理想と現実

最近は農業をこれからやってみたい、
または農業やり始めの方と
出会う機会に恵まれている。

どんな業種も大変だけど、
農業も負けず劣らず厳しい。
私が農業を始めた28年前よりも経営環境は
よりそしてかなり厳しくなってる。

28年前は食糧管理法が生きてて
今では不思議な話だけど、自分で作った
お米を自分で直接販売できなかった。
「それはおかしい!」と自分で売るお米は
違法、当時は「ヤミ米」という不名誉な名前で
呼ばれていた。

だから日本中の米農家はずっとお米の
直接販売の経験がなかった。
そこに都会から移住して来た私。
素人で参入した私でも「販売」に関しては
先輩農家と同じ土俵でスタートすることが
できた。
いや、都会の生活が長く
多くの人と繋がりがあった自分の方が
「販売」に関しては先輩農家より
明らかに有利だったのだと思う。
今では自分で自分の米を売るのは当たり前、
そしてお米は飽和状態になって久しい。

あれから28年。
世間のお米の価格は半分に下がった。
農機具の価格は倍〜数倍に上がった。
そして、輸入農産物による価格低迷、
原価高騰、米に限らずおよその農産物の
経営環境は益々悪くなってる。

定年や脱サラしてこれから農業を
始める人は間違いなく茨の道になると
覚悟した方がいい。
ハイリスクローリターンならまだいいけれど
ハイリスクノーリターンの可能性が高い。

夢と現実のギャップ。

農業はとかく牧歌的なイメージ、自然と生きる
イメージを持たれやすいけれど、これまで
新規就農者の離婚や離散、廃業、脱落を
たくさん見聞きしてきた。
始める前の人に多額な初期投資、
ノウハウのなさ、経営の難しさ、
体力と実力のなさを想像してみて!
と言っても無理がある。

参入した当時私は28歳。
若さに任せてがむしゃらになんとか
ここまでやって来れた。

でもそれは丁度、道の駅や直売所が
ポコポコできていき、
インターネットが普及し、
(インターネットと言う言葉がなかった)
スマホになって(ガラケーもなかった)
米販売の自由化(闇米だった)
ふるさと納税の始まり、
共済保険の充実などなど
さまざまな時代的な環境が整い
後押ししてくれたことと大いに関係がある。
それが今やインターネットも直売所も
ふるさと納税も楽天もAmazonも飽和状態。

今から始める人は余程の得意技があったり
確固たる経営戦略、そして何より体力に
経営やコミュニケーション能力がなければ
参入しない方がいい。

肩書きがある会社員はよく勘違いするけど
守ってくれる会社や部下がいなければ、
野に一人放たれた時、ふつうの会社員は
残念ながら赤ちゃん並みの無能に近い。
さらに経営能力なんてない。
(あればとっくに自分で事業を始めてる)

農業はイメージとは大違いで、
大きな落とし穴がいくつも開いてる。
誰もが人間らしく生きられる「聖域」
でもない。
聖域に辿り着く前に討ち死にしちゃう(泣)

「晴耕雨読」は趣味世界にはある。
「なりわい」は農業に限らずどんな業種でも
大変だし厳しい。
「農業ならなんとかなる」はずがない。
他の業種と比べてみても、自然相手という
一部分だけでもより厳しく難しくその人の
実力が大きく問われる。
それなら、自分で経営する道を一旦脇に置いて
農業法人に就職する方がはるかにいい。

農業と言う言葉がゆるさを感じさせるのか。
「農業ならできる」と言う誤解は農業の
ヒエラルキーの低さから来るものなのか?
例えばラーメン屋さんを開業しようとすれば
絶対に原価や人件費、光熱費ぐらいは
みんな計算するはずなのに、農業に参入
しようとする人は、なぜかそれを避けて
計算しようとしないことに心底驚く。

深い覚悟がないなら、理想しか見えてないなら
やめといた方がいいのは他の業種に参入する
のと全く一緒だと思う。

…と、28年前の自分に言ってあげたい。
いや、、今に続く始まり28歳の私は
農事組合法人福地ハイランズなるところに
「就職」したんだった。
若かったけどそれなりにリスクを考えて
独立じゃなく就職を選んでた。偉いw

蓋を開けたら、福地ハイランズには
私一人しかいなくて何も知らないのに
農作業も経営も意図せず始まっていた。
「おい、もっとリサーチしとけよ。」
と28年前の自分に言ってあげたい。



ないものはない?

都会に行くと田舎にはない刺激がたくさん。
田舎にはないセンスのいい看板を
見て歩いてるだけでも勉強になって楽しい。
ああ〜かっこいいなぁ〜と思う看板は
ついつい写真に撮っちゃう。

人の発想ってすごい。
東京のとある商店街で見た衝撃的な看板。
こんな組み合わせを見てしまうと
もう「世の中にはないものはない」
「全てはやり尽くされている」
のではないかと愕然としてしまう。

そう言えば若い時に歌舞伎町を歩いていたら
こんなラーメン屋さんの文字だけの看板に
感動したことがあったのを思い出した。

「ラーメンは 鶏ガラ 豚ガラ 人ガラ」

人ガラ…ここは歌舞伎町、場所が場所だけに
それは「人柄」のことを言ってるのか、
それとも鶏ガラと同列の意味での「人ガラ」
のことを指しているのか
想像するだけで戦慄が走ったのを
よ〜く覚えてる。
まだその看板があったら写真に収めたい。

圧搾空気

連日のひどい寒さで精米機が動かない。

正確には精米機は動くが精米したお米の
不良米選別する色彩選別機が動かない。
もっと正確に言うと色彩選別機は動くのだが
選別をするのに必要な圧搾空気がタンクに
溜まらないから色彩選別機も精米機も
動かせない。
圧搾空気を作るコンプレッサーも
やっぱり動くのだけど、コンプレッサーから
タンクに空気を送り込む途中、圧搾空気が
作り出してしまう水が管やバルブ内で
凍り付いて塞いでしまうのが原因で
タンクに空気が溜まらない。

こんなことは初めてだけど
コンプレッサーの近くでストーブをガンガン
焚いてやっとの思いでバルブや管の中の氷を
溶かして精米開始。
ところが寒さがキツいのでしばらくすると
またもやバルブ内が凍り付いて
精米ができない。
氷を溶かす作業を繰り返す(号泣)

潜水艦は浮上するのに圧搾空気が必要。
バルブの氷が溶け、無事タンクに圧搾空気が
送り込まれ「精米ができる!」と思う度に
「浮上できる!」みたいに一人で歓声を上げ、
圧搾空気がタンクに溜まらないと沈没
していくような暗い気持ちに。

「圧搾空気をっっ!」
今日はまるで浮上するのを祈る潜水艦の
乗組員。

凍り付く

あまりの寒さにちょっとした恐怖すら
覚える仕事場に、これ以上ないほどの
重装備で寒さに挑む力士風。

これは史上最高レベルの防寒で完璧
「かかってくるならきんしゃい星くん!」と
巨人の星に出てくる左門豊作ばりに
内心ニヤリとしながら精米作業に入る。

ところが、こんなことは初めて!
あまりの寒さに精米ラインの機械の一部が
凍りついて動かないっ!
気温が少しは上がる明日まで待つことに(T ^ T)

あれは

老いが気になる今日この頃。

恐る恐る久しぶりに身長を測ってみたら
学生の時と全く同じだった。
「よし、まだ縮んでない!」
体重の方は学生の時より17kgも増えた。
「よし、まだ成長してる!」
ものは捉えようだ(T ^ T)

5年ほど前中国遼寧省のとあるホテル。
よくある単に平たいデジタル体重計に乗ったら
自動的に身長まで表示されて驚いた。
背伸びをすると正確にその分も表示される。
一体どういう仕組みなのだろうか?
日本ではどうしてそんな便利な体重身長計に
出会わないのだろうか?
 謎。

3年ぶり

先日仕事場で大量の埃を吸ってしまった。
次の日から強い咳が止まらず、
流行り病かもと疑ったてみたけど、
何度測っても熱がない。
むしろ何度測っても35℃台の方が心配w
食欲も味覚もあり咳だけ。

というわけで病院へ行くと軽い喘息と診断。
ついでに病院が「渡し忘れてた」という
同じ症状が出た3年前の検査データを
渡されてきた。
3年前って....!

数値はハウスダストとダニに
異常に強くアレルギー反応を起こしてる。
今回も同じだろうな。

じつはお米作り農家で意外に多いのが
なんと「稲アレルギー」(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

でも、アレルギー検査では「イヌ」にも
「ネコ」にも何より「イネ」にも
アレルギー反応がなくてよかった。
米農家の稲アレルギーは洒落にならない。
本当によかった。

って、3年前のデータだけど!





都会で

都会では田んぼのある田舎なんてこの日本に
存在してるのだろうか?と思う。

田舎だと高いビルだらけの都会なんて
この日本に存在してるのだろうか?と思う。

30年ちょっと前、私は東京で警視庁の
警察官をしていた。
今は岐阜の山奥でもう28年も
お米作り農家をしている。

東京の警察官と田舎のお米農家。。
一見どう考えても繋がらないけど
自分の中ではもちろん
しっかり脈々と繋がっている。

東京駅を見て田んぼと繋がってると
イメージできる人はそうはいないだろうな。

一点モノ

最近よく何もかもが「一点モノ」だと思う。

親子関係も師弟関係も夫婦も恋人も友人関係も
やってる仕事も考えてることも、この世に
決して二つとないぜんぶが一点モノ。

カテゴライズされてる分類、例えば「農業」と
一括りしてみたところで、お米畜産花etc ..
ほんの少しの共通項があったとしても
決してそれは全体を示さない
ほぼほぼ幻想のカテゴリー。

「親子とは、夫婦とは、農業、日本人とは
こうあるべきものだ」と言う
私を惑わす常識はどこから来てるのか。

人と交わる時にあるいはモノと出会う時に
「どこか共通項があるはずだ」
と探してみるのか、鼻っから
「みんな違うのだ」と
アプローチするのかで随分と
精神構造は変わる気がしてくる。


ご縁

今日はご縁あって神奈川県藤沢市の
イチゴ栽培もされている農家さんの
ところにお邪魔。

農業28年と言っても、私は稲作しか
してないから他の作物のことは
知らないことばかりでおもしろい。

お米とは何もかも違うのに、
話を伺ってるとやっぱりいくつもの
共通項があってこれまたおもしろい。

バンザイ

郵便局さんから3人の出荷作業。
年末年始のうれしい大波はお陰様で
今日出荷作業が全て終了。
バンザイ🙌

たくさんのご注文をいただき
私は間違いなく幸せ者。
農業始めた頃はこんな日が来るとは
思わなかった。
心からしみじみありがたいなぁ。


(さて、商売関係では「バンザイ🙌」は
倒産を連想するのでしないんだとか。
もう28年バンザイ🙌し続けても倒産して
ないのだからだいじょうぶ)

9合目

年末から昨日までにいただいた沢山の受注も
出荷作業は9合目。順調なら明日で完了。

ほんとはもっと早くお待たせせずに
お届けしたいのだけど。
氷点下がふつうの極寒の仕事場では、
人様にお願いできないから作業は一人。

待っててくださる方に感謝を忘れずに
明日の作業に臨もう。



28年前の西宮

阪神大震災直後に当時勤めていた
(財)横浜YMCAから西宮YMCAに
救援スタッフとして派遣された。
私にとってはもうYMCAを辞めて農業に
進むことを決めていたので最後のご奉公の
つもりだった。

西宮YMCAを目指して1日に1000人以上の
集まってくださるボランティアの方々の
仕事の割り振りをするのが私の主な役割。
断水している地域にトラックで浄水場から
水を運んだり混乱と忙しさで、
僅かな睡眠時間は最後まで廊下の床だった。

ボランティアのみなさんの献身的な働きは
よく紹介されるけれど、
震災を利用して商売で利益を上げる人、
震災を口実に男女の出会いを目的に集まる人、
いがみ合う人、物資をここぞとがめる人、
 いいことばかりじゃなくて、マスコミでは
紹介されないような裏側もたくさん見た。

信じられない光景が目の前に拡がっていた。
食べ物がない、水が出ない、ガスが出ない。
賞味期限切れのおにぎりたった一つも
ありがたかったことは今でも忘れない。
人は食べ物なしには生きられないという
当たり前のことを強烈に教えてもらった。
「間違いない。農業の道に進もう。」
そう確信してから28年経った。

同じく北海道YMCAから派遣されてた
久村君は札幌でスポーツトレーナーの会社を
設立し、今では読売巨人軍のフロント。
仙台YMCAから派遣された木村君はその後
中学教師、テニスの大阪大会で何度も優勝し
ヨーロッパ遠征に。
私と同じく横浜YMCAから派遣された
中台さんは今では横浜YMCAの副総主事、
強烈な経験をした当時の仲間たちとは
ありがたいことに今でもつながっている。

敬意

今日もたくさんの荷物を出荷。
大切に積み込んで運んでくださる
佐川急便のドライバーさん。

同じく郵便局さん。
クロネコさん。
西濃運輸さん。
名鉄運輸さん。
日通さん。
福山運送さん。
鶴見運輸さん。

お客さんや業者さんとを繋げてくださる
全てのドライバーさんに敬意と
感謝を忘れません。

カトマンズーポカラ

30年前に乗った路線。
アジアの地方都市では「こんなオンボロの
機体に乗るのか(T ^ T)」と
思うことがよくある。

中国奥地では乗ってた双発プロペラ機が
左エンジンから真っ黒なオイルを大量に
吹き出していた。エンジンは停止。
客席の悲鳴と怒号と片肺飛行。
なんとか小さな空港に緊急着陸しての大拍手。
まるで映画を観てるようだった。

もう一度

出荷数が多いここ数日は、郵便局さんが
出張してうちの仕事場で仕分け作業。

作業の合間に先日の大学アイスホッケー部
同期会のことを思い出してみた。

思い出してもう一度人生があったらと
妄想シュミレーションしてみる。

もっといい大学もっと違う体験
もっと違うバイト先に友人関係なんて
頭の中で遊んでみる。

何度もシュミレーションしてみるけど
不思議だなぁ、気付けば
やっぱり同じ大学でアイスホッケー部を選び
アメリカ留学して警視庁を選び
最終的にお米づくりの道を選んでしまう。

また同じ道を選ぶ自分にちょっと
びっくりしておかしくて一人で
笑ってしまった。

どっちだ?

今日も0℃の仕事場は
出荷作業でテンヤワンヤ。
作業が間に合わないので小嶋大先生に
助っ人をお願いした。

このお方、めっぽう寒さに強い。
同じホモサピエンスなのだろうか?
信じられないくらい寒さに強い。
ひょっとして、本当はもう死んでる
んじゃないかと疑うほどの薄着。
「今日は熱いくらいです」
嘘でしょ!

対する私は寒さへの抵抗力がどんどん
落ちてて厚着も電熱ベストもホカロンも
もはや効果が感じられない。
熱いお風呂に入ってもなかなか温まらない。
ひょっとして、もう死んでるのは私の
方なのではないかッ?と一瞬疑ってみる。
嘘でしょ!

キーン

一日中冷凍庫の中で働いているような仕事場。

2〜3時間なら耐えられるけど
長時間寒さに晒されてると頭がキーン。

都会のオフィスとはまるで違う。
暖房なんて効くはずもない仕事場も
耐えて仕事してる体もすごい。

さぁ

さぁ今日から本格出荷。

ありがたいことに数が多いので
狭い郵便局内では作業ができないと
郵便局スタッフさん4人と出荷作業。
トラックははるばる豊橋から。

さぁ明日もがんばろう。

神奈川大学アイスホッケー部

神奈川大学アイスホッケー部同期会で横浜。
ああ…持病、薬、年金、定年、老後
の話で盛り上がる年代。

10年前は
「次会う時までがんばろうな!」
今回の別れ際は
「次会う時まで生きてろよ!」

承知しました

地元の人に勧められ愛知県常滑市の
小さな酒蔵白老さんのお酒をいただいた。

昔、酒蔵さんと酒屋さんと日本酒バーさんと
コラボして酒米を作ってオリジナルの
日本酒を10年間ほど作っていたことが
あるから、ちょっとだけ日本酒には詳しい。

この日本酒、おいしい。
小さな酒蔵ならではのおいしさ。

珍しくペロッと飲んじゃって酔っ払って
寝たら夢を見た。
「山田さん、防衛省長官になってくれたまえ」
と政府高官から言われて相当悩んだ挙句
「それでは防衛省長官をお引き受けします」
任命式で着る燕尾服を買わねば!と
思ってるところで目が覚めた。
なぁ〜んだ夢か。。

先の大戦で日本は国家予算の230倍を
軍事費に費やしたけれど負けた。
軍事費を増やせば国を守れると
思ったら大間違い。
お米を作ってるからよくわかる。
 食糧、燃料だけの補給問題をとっても
とても日本は戦争などできない。
高額な武器は食糧燃料がなくなった時点で
すべて鉄屑同然になる。

私が防衛省長官になれば、アホほど伸ばす
防衛費は武器を買うのでなく外交友好に
費やす。絵空ごと?
いやいや、防衛費増額分の何兆円も
湯水のように外交に費やせば、武器を
買うより遥かに平和と貿易経済にも役立つ。

だいたい防衛費とは大義名分で
高いアメリカ製の武器を買う、日本の税金は
アメリカにすすられるだけのこと。
既にアメリカ武器供与の未払い残高は
2兆円を超えている。
そういうカラクリ、ちゃんと国民に
説明すべきだと思う。
国民ももうちょっと知ろうとしたほうがいい。

「武器を買えば平和を守れるなんてのは
幻想だ!」と夢の中で政府高官の前で
必死に訴えてはみたが。。
なぁ〜んだ夢か。

ほっと初詣

初詣は馬頭観音が本尊の小山観音さん。
飛騨川のど真ん中の小島にある観音さん。
ずっと馬を飼ってたから馬頭観音には
思い入れが深いし、こちらのご住職さん
とも仲良し。
若住職ご夫妻も私の高校の後輩に当たる。

去年あるところで大凶を含む凶を4連続で
引いてしまった。
ネットを調べてもそんな人
見つからない(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
偶然だと思いたいけど、去年は経験したこと
のない大変なことが起き続けた一年だった。

だから、
おみくじは凶以外がいい。。。
大吉なんて望まないから
凶以外なら万々歳。。。
と恐る恐る引いた
今年のおみくじはめでたく「吉」

ほっ。
4回連続で凶を引いたことがある人にしか
断じてわからない「....ほっ...」

4連チャン

山頂に居合わせた若者たちみんなから
「313.5mの . を指で隠せば3135mに
見えますよ!」と言われ
「そんじゃ、つでに指でゼロを作って
これで31350mだね!」

ほんの思いつきから始まり大晦日から
正月三が日、山登り4連チャン達成。
今日も途中で両脚が攣りそうになった。

山登りなんて30年ぶり。
山登りなんて辛いし地道すぎて好きくない。
それでも4日続けると体が欲してくるから変。

20年ほぼ毎日登ってくるおじさん、
今日は一日に登るのが2回目だと言うご婦人。
あんな急な山道をすごい勢いで登っていく
トレイルラン野郎。
ぴょんぴょん跳ぶように登っていく子供たち。
トレイルランの人たちの真似をして
なだらかな尾根でアハハハと笑いながら
スキップしてみた。
ああ、こんな感じなんだな。
少しだけトレイルランの気分がわかった。

登る時のキツさは昔やってたアイスホッケーに似てるなぁ、ymcaの頃は子どもたちと一緒に
3000m級の山々を山小屋で何泊もしながら
縦走したなぁ、米づくりのこと、家族のこと、
友人のこと、仕事のこと、いろんなことに
感謝して思い出してた4連チャンだった。

明日から仕事。
しばらく山登りはお休み。

右足が出る左足が出る、
息が切れる、一歩一歩登っていく。
そんなありがたいことはない。


3連チャン山登り

3連チャンの山登り。
朝もやの中登って頂上では「おお!」
見事な雲海。

一人頂上で休憩していると、
男女5人グループが写真を
撮ろうとしていたので、
「私が撮りましょうか?」と
声をかけてみる。

みんな喜んでくれて
「いや〜ありがとうございます!
あなたに撮るのお願いしようか
ちょっと悩んでたところだったんです」
と言うので、

私もすかさず
「いや〜私も実は(シャッター押すのに)
一回300円にしようか500円にしようか
悩んでたところだったんです!」
一同ギャハハ、笑顔のいい写真が撮れました。

撮影後
「それでは約束ですので」
と手を差し出すと
「こ、この人から!」
「この人がお金持ちですから!」と
お互いお互いの方を指差してアピールするから
また一同ギャハハ。

今日は山道ポイントに
「嘆きの岩」「救命ヘリの幻聴」
狭い山道を駆け抜けて行くなんて
危ないじゃないか💢という
煽りのかっ飛びトレイルラン野郎には
「マーベリック」と新たに命名。



元旦2023山登り

大晦日に続き元旦も同じ山に登ってみる。

昨日は3000mの山に登ってるのかと
思うくらいキツくてキツくて撃沈。
でも人間の調整能力ってすごい。
昨日は片道1時間に7、8回は休んでた
登りも今日は休憩なしで頂上に到着。
キツさは半分に、
600mくらいの山登りに感じた。
(実際には313m)

元旦の今日は初めての山登りの人が
多かったみたい。
私だってたった2回目の山登りなのに
風体が風体だからか、いろんな人に
「頂上にはあとどれくらいですか?」
とか聞かれる。

すかさず
「もうあと5時間で頂上です!」
と答えると
「ええええ!5時間!」
と驚かれたところで
「ほんとはあと10分で頂上ですよ!
眺めがいいから楽しみにしててください」
とまるで何十回も登ったベテランのように🤣

山ですれ違う人は100%「こんにちは」と
互いに声を掛け合い狭い山道を優しく
譲り合う。
どうしてなんだろう。

登山口から数十mまではその世界。
登山口から100mほど離れるとお互いに
山登りに来たんだなとわかっても
急に知らんぷりして挨拶しなくなる。
どうしてなんだろう。

今日はただ歩くのもつまらないので
山道の要所要所に
「馬の背」とか「サーカスサーカス」
「大曲のダンディ」とか「膝殺しの丘」
「愛と絶望の断崖」とか名前を付けて来た。

発想次第で単調な山登りも
いろんな楽しみ方ができるものだな。
一年の計は元旦にあり。



大晦日山登り

東京から帰省した娘と二人で山登り。
この山には小学生以来50年ぶり2回目。

「標高が3135mもあると空気も薄いな!」
「俺のことは構わず先に頂上を
目指してくれ!」
などと大袈裟にケラケラ笑いながら
登った山は山登りと言っていいのか?
標高僅か313.5m。
普段住んでるところは標高600mだから
たった半分しかない。

ところがそれが驚くほどキツいのなんのって。
おかしいなぁ。
小学生の頃はこんなキツく感じなかったのに。
二人でヒーヒー言いながら頂上に辿り着き
ヒーヒー言いながらやっとの思いで下山した。

山登りは人生にも経営にも似てる。
だれも怒らないからゆっくり一歩一歩
登って行けばいい。
経営も人生も駆け足で登るとすぐ
息切れか怪我をする。
そんなことを考えながら大晦日。
明日は新しい年が始まる。



ふるさと納税しよう。

今年もふるさと納税では全国たくさんの
方々から八百津町に寄付を戴き、
山ちゃんの甘酒や、お米、発芽玄米も
「返礼品」としてたくさん使っていただいた。
ふるさと納税は過疎高齢化に悩む地方の
自治体にとっても我々事業者にとっても
本当にありがたい制度。

一方で「ふるさと納税はお得」と言う
フレーズをよく耳にするようにもなった。
ふるさと納税は元々縁ある市町村を
応援しようという制度だから
本来「お得」とは言わない。

残念ながらふるさと納税の趣旨は
「お得」が先行し過ぎて年々
単なるショッピングサイト化
してしまった感があるのも事実なのだ。

お得という表現も「返礼品」に
人気ランキングや売上ランキングがあるのも
もっと言えばポイント還元なるものがあるのも
本来の趣旨に照らせばおかしい。
でもこの流れはきっと止まらないだろう。

ふるさと納税は12月31日まで。

ふるさと納税に携わる者の一人として、
本来の趣旨「〇〇町や〇〇市を応援したい」
「この事業者にがんばってほしい」
と言う気持ちをもう一度反芻しながら、
寄付されるばかりではなく
私も他の市町村さんに向けてふるさと納税を
申し込もうと思う。





28年のお付き合い

私が米作りを始めたのと、この建物施設が
完成したのはちょうど同じ時だから同級生で
もう28年のお付き合い。

暑い時も寒い時もずっと一緒、
楽しい時も苦しかった時も一緒だった。

今年も無事に作業を終えることができた。
乾燥機に籾摺り機、精米機に小米取り機、
色差選別機に計量機、真空包装機に低音倉庫、
軽トラックにトラクターにコンバイン、
シャベルローダーに田植え機、
ドライブハローにロータリー、
草刈機にウイングハロー、
畦塗り機に肥料散布機、
種蒔き機にコンプレッサー、
フォークリフトにその他諸々の機械群、
八百万の神の国日本では全ての機械にも
魂も神も宿る。
「みんなみんなありがとうありがとう。」

無事に今年の仕事を終えることができた。
ありがとう。ありがとう。

てんこ盛り

明日午前中で今年の仕事は終了。
新年の仕事始めは1月4日から、
発送は10日から始まる。

お正月は仕事を離れて読書三昧がいい。
読みたけど時間がなくて読めてない本が
てんこ盛り、早く読んでくれと唸ってる。
そうだ、自分にとって本は目の前に置かれた
美味しそうな料理のような存在。

まずはこの本から頂こうかしら。
22歳の時に1年数ヶ月アメリカに留学した
ことがあって、当時そのまま続けて
韓国か中国にも留学しようと考えてた。

本当に中国に留学してたらアメリカのような
快適な留学生活にはならなかっただろうな。
中国留学、できなかった疑似体験を
本の中でしてみよう。

2022年

明後日の午前中で2022年の仕事は終了。

今年は波乱ずくめの一年だった。
これまでに経験したことのないような
よくない事件が連続して起きた。
よく精神的に耐えてこれたと
自分を褒めてあげよう。

でもよくないことはずっと後になって
「ああ、そういうことだったのか」
と気付き必ず幅と実力につながる。

わるいことはその後起きるいいことの
きっと「先払い」なんだろうな。
いいことはその後更に起きるいいことの
きっと「先取り」なんだろうな。

と言うことは、いいこと悪いことの
先はどっちにしても
いいことが待ってると思えれば
いいってことか。

もうすぐ一年が終わる。
来年は自分にとっても周りにとっても
平穏な年になるといいな。

出た、近江商人。

近江商人が映画に。

近江商人のことは2〜3年前に現地滋賀県まで
何度も足を運んで随分調べてたから
かなり詳しくなった。

「売り手よし、買い手よし、世間よし」の
三方よしの近江商人の考え方が好き。
一方で「近江商人の歩いた跡にはペンペン草も
生えない」とその成功を妬まれてたのも事実。
 
調べまくってた近江商人、こうして
時代が追い付いて映画になる日が来るなんて!
とってもうれしい。

作付け計画

来年春からの作付け計画を決めた。

時代の流れや売れ筋や農地の変化で一年たりと
同じ作付け計画になったことがない。
複雑に条件が絡み合う作付け計画を
12月中に決めるのは歴代最速。

来春から新しい品種にチャレンジする。
お米作りは子育てにそっくり。

どの子も今年のこの写真のように
伸びやかに美しく育ってほしい。

光風荘226

湯河原町の光風荘。
226事件で牧野元内大臣が河野寿陸軍大尉ら
8人に襲撃された226東京以外で唯一の現場。

襲撃目標だった槙野氏は普通の爺さんと
勘違いされ、あろうことか襲撃グループに
よって石垣から抱きかかえられ
光風荘を脱出して無事だった。
つまり襲撃は失敗に終わった。
何度も起きたヒトラー暗殺事件もそうだけど
いくら綿密な襲撃計画を立てても
予定通りことが運ばないことが多い。

殺害された護衛の警察官との相撃ちで
負傷した河野大尉は熱海の陸軍病院へ。
後日兄から差し入れられた
果物ナイフで自決する。

戦前日本を揺るがした226事件。
事件現場の光風荘には河野大尉や
事件関連資料がたくさん展示されてる。

やっと見にいく機会に恵まれた。
何度もネットで確認したが、光風荘展示室は
連日午後2:30までしか開いてない。
わざわざ遠くから行くのだ、
ミスるわけには行かない。
見学時間も念頭に入れ計画し時間も
十分余裕をもって無事に光風荘に到着した。

見れば植木屋さんの何人かが忙しく
庭の樹木の剪定をされている。
その中のお一人に「光風荘の入り口は
ここからでいいでしょうか?」と尋ねると

「あ〜、今日やってないよ。」
ガーーーーーーン!
年末年始は休みって!!!

……これも226事件の現場ならでわなのか、
計画はうまく運ばないことが多い(号泣)。

パトリオットという響き

プーチンもバイデンもゼレンスキーも
●魔なのか。
戦争を止めない指導者。
もっと長引いた方がいい事情。

アメリカのウクライナに対する6兆円の
更なる軍事支援、そのお金が
流れる先はウクライナじゃない。
巨大な軍需産業兵器メーカー。

「正義」や「悪」や「愛国心」と言う言葉が
そんな簡単な構図を覆い隠す。
単純な言葉に騙されない。

ロシアのミサイルを撃ち落とす
パトリオット。
パトリオットの語源は「愛国者」。
ある意味わかりやすい。
愛国心を煽れば煽るほど桶屋が儲かる。

ひしひし

ネット広告を見て確か100円だか200円で
購入した「日本滅亡論」藤井聡。
僅か87ページしかないのでサクッと読める。
どうして日本だけが世界に比して
沈没していくのか?
内容はほとんど知ってた。

現在の日本の大卒初任給は21万円。
(これは私が大学生だった35年前と
ほとんど変わってない。)

アメリカ初任給48万円。

スイス初任給78万円。

韓国初任給30万円。

初任給。。。。初任給。。。

大卒初任給でこれだけの差がある。
そして今後この差は間違いなくもっと開く。

ボーッとしてるうちに、
日本の底力はすごいなんて思いこんでるうちに
韓国なんてって馬鹿にしてるうちに
まだまだ大丈夫でしょと言っているうちに
誰も責任取らない、変えられないという
日本の悪いところがモロに
浸水から沈没を加速する。

責任取れよ政治家と官僚。
責任取れよ自民党に公明党。
責任取れよ政治家選んでる自分と国民。

「日本滅亡論」の内容は大袈裟ではない。
原因と対策が至極簡単明瞭な本だった。
日本、それでも変わんないだろうな。
ちょっと絶望感が否めない。

残念でならない。

人間って面白いなぁ

珍日本紀行 都築響一。

表紙こそ普通だけど、中身は例えば秘宝館や
聞いたことのないような私設博物館など
B級というかC級というか、怪しげというか、
胡散臭いというか、昭和レトロというか、
人間が産み出したなんともへんちくりんな
施設が何百箇所!も載っている。

全てが綺麗で美しく洗練されて
センスよくまとめられた現代施設とは
まるで違い、本来、人とは混沌としてて
かっこよくなく胡散臭いということを
再認識させてくれる本。

洒落たイタリアレストランに対して
煙モクモクの七輪ホルモン焼きの店と
いう感じの本。
なんともたまらない。


日陰の男

仕事場は−3℃。
そして一日中日陰🥶

通り過ぎてる無数

東海道新幹線の車窓から見える範囲内限定で
歴史遺構をずらりと並べた本。

名古屋からの往復で実はこんなに沢山の
歴史的遺産があるなんて!
そしてこんな本があるなんて!

あゝ、今度新幹線に乗る時には
とてもじゃないけど居眠りなんか
していられない。

夢のようなありがたさ

楽天でこんな上位にランクイン
させてもらってるなんて夢のよう。

泣けて来るほどありがたい。
ただひたすらありがたい。

ふるさと納税返礼品の年内発送は
残すところあと4日。