2015年

2月

23日

残酷のモノサシ

アメリカの戦争映画を観たときの独特の違和感。映画「アメリカンスナイパー」はひょっとしたらアカデミー賞を取るかもという噂もあるが・・圧倒的に欠けているのはイラクの被害者たちの視点。唯一イラク人が殺害される時にその家族が泣き叫ぶシーンがあるが、殺害はアメリカ兵によってではなく同じイラクの過激派によってなされる。映画では狙撃手のアメリカ兵士のPTSDを取り上げるが、この狙撃手によって160人もの殺された側のイラク人、目の前で狙撃され殺された本人の家族達のPTSDはもっと強烈なはずだ。

 

テロは悪だというが、親兄弟嫁子供友人がアメリカ軍に惨殺されたら僕だって間違いなく復讐に走る。満足に武器を持たなければテロに走るしかない。首を切り落とす野蛮というけれど、空爆で一度に何十人も体ごと吹き飛ばしたり手足をバラバラに内蔵を飛び散らせ、しかも結婚式や葬儀にミサイルや爆弾を誤爆するのは首を切り落とすことより何倍も野蛮で悪、まさにテロなのではないのか。


アメリカがイラクを空爆したと全く同じように、立派なジェット攻撃機でイラクがアメリカを空爆したらテロや野蛮とは言わないのだろうか。いや、いかなる方法や手段や正当性をもってしてもアメリカに歯向かえば、それは全てテロ呼ばわりされるに違いない。


テロ=悪、イスラム=悪、イスラム国=悪、あまりにも単純な演出トリックに引っかかってはいないだろうか。

沢山の戦争や戦死や悲劇を経験してきたのに、なお相手に対して欠如し続けてしまう視点はアメリカの弱点そのもののような気がしてならない。私たち日本人だって単純な演出トリックに引っかかような視点しか持てなければ悲しくも恥ずべきことだと思う。

 

情報は圧倒的に一方的だということを常に忘れてはならない。