永遠のものなど何一つ存在しません。

全ては刻々と変化し続けています。

こんな風にはっきり認識し始めたのは一去年のことでした。

今日も人生で、また来ることのない一日でした。

自分で人生を漕いでいると気負わず、ただ風を受けて進むように帆を高く上げよ~っと。

全ては自分の中にあり、その自分は全て周りにつくられているのだから。

今日もこんなことがあって、こんな風が吹きました。

明日は明日の風が福~地。

 

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ない(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

田植えから約1か月経った田んぼ。

毎朝すくすく育つ姿を見て喜んでるのに
今朝見たら苗がない。

ない。

苗がなくなってる。
夜の間に小動物たちがおたまじゃくしを
食べに暴れ回って苗を踏みつけ
泥の中に埋めてしまったのだ。

ない。

田植えした苗がない。
昨日まで葉を揺らしていた苗がない。



革命のファンファーレ

出だしは面白かった。
お笑いの大御所ダウンタウンの松本にも
遠慮なくかかっていく西野。

途中からはビジネス書にあるパターンで、
常識を疑って仕掛けていく視点は面白い
ものの、本質を語っているのか
まやかしなのか少しワクワクしない。
これが今の若い人の革命なのか?

手法や逆点の発想はよかった。
もうそこからは卒業しかけてる私としては
次はもっと彼の中の本質を
聞いてみたくなった。

田舎農機具あるある

田舎農機具あるある。

まだ現役バリバリで使っている軽トラや
農機具に頻繁にこんな名刺やチラシが
挟まれている。やめてください。
なんならこっちが買取りたい。

買取業者は中国人が多かったけど
最近ではスリランカ人が多い。
流暢な日本語を操る頭のいい人が多いけど
都合が悪い話になると急に日本語が
通じにくく「わからなーい」と言う顔をする。
やはり頭がいいのだろう。

この農機具は売れない!と断ると
それではあの農機具は売ってくれと、
外からでは絶対に見えない倉庫の中の
一番奥に置いてある機械を外から指差す。
勝手に何回も倉庫の中を物色してるのだろう。

実際被害に遭った同業者によると〜

朝農機具倉庫に行くと沢山の農機具が
あった倉庫が空っぽになっていた。

トラクターを田んぼに置いてお昼ご飯に
家に帰ると僅か1時間後に消えていた。

100m先に農機具を置いて休憩してたら
トラックがやって来て5〜6人の男が
降りたかと思ったらヒョイッと積んで行った。

農機具屋からユンボを平然と運転し
路地を曲がったところで
トラックに載せようとしてた。

豆腐の配達で店先に車の後部のハッチを
開けて戻ったら、ハッチが開いたまま車が
走り去って行った。

同業者はみんな武勇伝を持っていて、
笑っちゃいけないけどどこか笑ってしまう話が
尽きない、田舎あるある。



ジェネレーション

5月に東京で結婚したばかりの一人娘が
中学の同級生の結婚式に出るのにチラリと
見せに来てくれた。
 
仕事、お金、趣味etc話せば話すほど
私が若かった頃とはまるっきり価値観が
違っていて目を丸くした。

今は25歳の彼女たちもやがて歳を重ねて、
そのまたもっと若い世代と話をして
「私たちの若い頃とはまるで価値観が違うわ」
と目を丸くする時がきっと来るのだろう。

そう思うと自分達の信じてる価値観なんて
随分不確かで、ゆらゆらしてるんだなと
不思議な感覚に陥る。

元気で生きてくれればもう十分有り難い。

6年遅れ

尼崎の駅の本屋さんの店頭にうず高く
積まてていたこの本。

もう6年も前に話題になった過去の本なのに
なぜ今本屋の店頭に??
そこで気になって世間様から6年遅れで
読んでみることに。

明快。
明晰。
嘘がない。
隙がない。
同業や先輩から嫌われ好感度が低いと
言われる理由が少しわかる。

ちょっと思考回路が似てておもしろい。
さぁ読み進めよう。

「あめゆじゅとてちてけんじゃ」

宮沢賢治の妹トシ死の直前の有名な言葉。
「みぞれを取ってきてください」

映画 銀河鉄道の父。
宮沢賢治は農業界では超有名だけど
私はなぜか好きになれず、映画にも期待せず
どうせ美化されまくりの伝記だと思いきや。

実際の賢治のダメダメ人生がそこまで
美化されたり神格化されていないのに
好感が持てたいい映画。

枕元のメモ帳に鉛筆書きされていたのが
死後発見されたあの有名な詩
「アメニモマケズ カゼニモマケズ〜」が
どんな状況や心情で書かれたのか
よく表現されていた。

いつか花巻に行こう。

29年前は村の端っこの田んぼだけに
遠慮して現れていたイノシシ。

年々その頭数も勢力も拡大し、
村の中心部にある田んぼでも荒らすように
なってしまった。

今では例外なく全ての田んぼを10000ボルトの
電気牧柵を張って猪の侵入を防いでいる。

電気牧柵の機器や電線だけでも何十万円、
張るのにすごい手間と時間がかかる。
それで一安心、、、ではなく、さらに
それを突破して来る猪も。
イノシシが家族で襲来すると
3日でその田んぼの稲は全滅する。

どんどん増え続けるイノシシ。
やりたくもない狩猟免許を取って
もう何十頭もに檻で猪を捕まえては
殺してきたことか。

近年はその電気牧柵を軽々と飛び越す
鹿の害が猪の害を越してきた。
こうなるともう止める手段がない。

「自然との共生」なんて生やさしい
きれいごとはここでは通用しない。

あっぱれ!取り込み詐欺

20年前一度だけやられた取り込み詐欺。
商品を仕入れれるだけ仕入れ、
代金を支払わずに計画倒産するから
取り込み詐欺と呼ばれる。

残念ながら頭がいい。

その悪徳会社は埼玉県にあった。
私は15万円の被害だったけど、家電店は
数千万円、和菓子屋は数百万など
たった2ヶ月弱で全国被害件数は数え切れず
被害金額は数億円。
支払い日に倒産したと通知が送られ
突然会社が消えた。

次の日から埼玉県の会社のあったビル前に
騙された人が押しかけたが。。

そのビルの事務所家賃も未払い、
騙すための電話 NTT代金も未払い、
電気代も何もかも未払い。

極め付けは、電話を掛けて来た人物も
アルバイトで(本人は騙すつもりなどなく
指示された通りに営業として電話している)
その人件費も未払い。
なんと、詐欺の電話をかけてる本人自身が
真っ先にまるっきり騙されてたのだ。
つまり元手ゼロで儲け数億円。

これでは素人が敵うはずがない。
「おや?」「ん?」と相手との会話や
ススメ具合で僅かでもおかしいと
感じたら自分の第六感は信用した方がいい。
実際その経験のお陰で同じような危機を
何度か回避してきたけど
授業料は高かった(T ^ T)

おや?取り込み詐欺の対処法

悪徳詐欺業者による中小や個人経営を狙った
取り込み詐欺が後を絶たない。

私も20年くらい前に一度だけ15万円ほどの
お米を騙し取られたことがある。
ちょうど田植えの忙しい時に東京の会社から
まとまったお米の商談が入った。

何か「おや?」と違和感を感じたので
本当にその会社が存在するのか確認するために
田植えを早めに終え法務局に走り
その会社の登記簿を取った。

確か2000円の登記簿謄本と500円の抄本
どちらにしますか?と窓口で聞かれ
じゃ500円の安い方でと答えた覚えがある。

登記簿抄本では事前に会社案内をfaxして
もらった通りの会社が本当に存在していた。
ただしペーパカンパニーとして。

結論から言えばその時2000円をケチらず
登記簿謄本を取るべきだった。

登記簿抄本は会社の存在はわかるが
役員や会社の変遷はわからない。
一方、登記簿謄本は全部履歴書証明、
役員や会社の変遷まで全部記載されている。

後の祭りそのものだけど
怪しい会社を見分ける簡単な方法の一つに
登記簿謄本で
会社そのものや役員が不自然に短期間で
コロコロ変わっていたらその会社は
かなり恐ろしく怪しい!!!と
疑った方がいい。

ホームページも口コミもどれだけでも
きれいに立派にできるから信用しない方がいい。
会社に対しての悪い口コミは、専門のいわば
入れ墨消しの業者が存在してて、
悪い口コミなど片っ端から消している
ということも後から知った。(号泣)


空に田植えしてみた

今まで撮った写真の中でかなり
気に入っている一枚がこれ。

田んぼに映った風景を単に逆さまにしてみたら
あら不思議、空に田植えしたみたいに。

苗が育つと水面にこんなにきれいに空は
映らなくなる。
雲も太陽も風もこの一瞬だけの一枚。

写真の構図にも

無用な争いごとが起きないように
「山ちゃんのお米」はロゴにも
商品名にも登録商標がかけてある。

登録商標の権利は15万円したけれど
想像以上に強い。
「山ちゃんのお米」を「やまちゃん」と
平仮名にしようが「ヤマチャン」と
カタカナにしようが発音が同じなら
権利者以外は使えない。
効力の範囲も「お米」に限らずお餅や飲料、
お菓子、弁当などとかなり広い。

商標を無断で他人が使用すると
損害賠償が発生する。
不思議なことにその効力(賠償)の
開始時期も特許庁が商標を認める前、
出願時から発生する。
登録商標とは要するに早い者勝ち、
これを先願主義と言う。

では登録商標がかけられない写真や
文章などはどう保護されるのだろう。
それはご存知 著作権。
不正競争防止法というのもある。

ではこの写真自体ではなく、この写真の
構図には著作権があるのだろうか。
判例を調べてみると、
写真の意図した「構図も著作権」として
保護される可能性があるのを知った。
(みんなが共有し、動かない風景などは
著作権と認められない)

この写真と構図はwebでも印刷物でも
長年使い続けていて、お陰でかなり多くの人に
「山ちゃんの甘酒」と認識されている。
このように期間と認知度がある場合、
写真も写真の構図も著作権として
認められる可能性が高い。

軽く考えてるといきなり損害賠償請求が
届くなんてこともあり得る商標や著作権。
私も知らぬ間に他人の権利を
侵害しないように気をつけようと思う。

贅沢

ここが毎日の私の仕事場。

毎日のことだし29年目の変わらぬ
仕事場だからもう慣れてしまってるけれど、
時々ひどく贅沢な仕事場なんじゃないかと
しみじみ思う瞬間がある。

朝は原付でブーンって田んぼを見回って
一日が始まり、夕方はまた原付でブーンって
田んぼを見回って一日が終わる。
少なくとも一日2回は全ての田んぼを
一周10km弱ブーンと回るのだけど、
その間に出会ったり見かける人は平均0〜2人。

ちなみに29年間人に出会う回数が
少ないことで「寂しいなぁ〜」と
思ったことは一度もない。
四六時中誰かに合わせているよりも
一日中誰にも出会わないってのも
現代日本では結構希少で贅沢なこと
かもしれない。

生きてる実感がほしくなったら畦や道端、
空き地に咲いてる花を見ればいい。

人間にではなく、虫たちに受粉させるのに
「見て見て!私を見て!」ってこれぞ命って
感じで咲いている。

大きい花に小さな花、赤に白に黄色に白。
それぞれがそれぞれに咲いていて
その時の自分の感性で必ずどれかの花に
共鳴したり反応する。

生きてる実感がほしくなったら畦に咲いてる
花を30秒、いや15秒だけ見つめればいい。
どんなに忙しくても15秒くらいある。
きっと「見て見て!」って聞こえてくる。


ボッチとホッケー

尼崎にいる大学アイスホッケー同期に
会いに行く。
大学を卒業してからもう35年も経つけれど
4年間苦楽を共にした仲間はかけがえのない
心からの友。

当時の部活では下級生は練習中に水を
飲ませてもらえなかった。

練習の熱気でスケートリンク天井の
骨組みから水滴がポタリポタリと落ちる。
すると氷の上に穴が空きそこに親指ほどの
大きさの水溜りが何ヶ所かできる。
その水溜りを私たちは「ボッチ」と
呼んでいた。

どうしても喉が渇いてもうダメだとなると
そのボッチをめがけてわざと転ぶ。
転んで痛がるフリをしながら
先輩にバレないようにボッチに溜まった
僅かばかりの水を素早く啜(すす)るのだ。

僅か数センチのボッチの上にちょうど口が
来るようにいかにも練習中の転倒を
装い転ぶのは難しい。
更にボッチの上に辿り着いたとしても
中に溜まっているはずの僅かな水が
既に仲間によって飲み尽くされている
こともある。そんな時は
砂漠のオアシスに辿り着いたと思ったら
それが蜃気楼だった的にガッカリした。

例え大き目のボッチに辿り着いてもゆっくり
すすっていられない「いつまで倒れてるんだ!
早く立て!」と先輩からの怒号が飛んでくる。
そもそも錆びた天井の鉄骨から落ちてきた
水滴と何が入っているかわからない水溜りの
水を奪い合うように啜る異常。

誰が呼んだか「ボッチ」

上級生になると氷にわざと転んでボッチの
水を啜っている後輩たちに
「なにやってんだ早く立て〜!」
僕らはみんなボッチを啜って上手くなっていった。


職業病

新幹線に乗ると沿線の田んぼが
気になって仕方ない。

ザッと通り抜ける車窓からの農村風景に
ああ、ここは田んぼが広くていいなぁとか
ああ、こんな平地で休耕田なんて
もったいないなぁとか
ああ、ここの地域はすごく上手に
農作業するなぁとか。
目を閉じて見なきゃいいのに
やっぱり気になって見ちゃう。

何百何千も目に入る沿線の田んぼを
一瞬でここは!ここは!と判断し続ける。
だから気が休まらない。
毎回新幹線から降りる頃には目が回って
疲れ切っちゃって😭
これって職業病だよなぁ。

どこ

あまりに高温の日が続いたせいで
急速に肥料が分解し田んぼが一面青藻。
植えたばかりの稲が藻に飲まれて、どこだ?

青藻はまだ気温が低い朝には少しで
気温が高くなる昼が発生のピークで
夕方には減っていく。
そして雨の日にはどこかにいってしまう。

生きてる実感って外にはなくて
なにを見ても聞いても自分の中の
気づきにしかない。
改めて周りを見てみると、たくさんのことに
「気付いて!」と草が稲が蛙が風が太陽が
私に語りかけてくる。

なにを見るかじゃなくてどう感じるのか
それが大事なんだろうな。

暑ッ

一昨日までガクブルの寒さだったのに
なんという暑さ。

田んぼにいっぱい水を入れてあげて
苗は気持ちよさそうにしてるけど
水に手を入れてみると
水が熱ッ!

標高600mある福地でも、5月としては
経験のない暑さ。
史上最高の気温だと思う。


始まりの終わり

小嶋さんに手伝っていただき苗箱洗い。
苗箱洗いは春の終わりを告げる最後の作業。
あ〜、無事に忙しい春を乗り越えられた。

明日からはひたすら田んぼの草刈りや
田んぼへの水入れ、そして草刈りや
除草剤散布に草刈りに草刈りに草刈りと
草刈りの日々が始まる。

小指の先と比べてもこんなに小さな花が
一生懸命に咲いている。

清馬さん、巌さん、教授、常美さん、
これまでに仕事を助けていただき
先に見送った方々。
私は故人の夢をちょくちょく見る。

今日は常美さんが夢に出て来て下さった。

晩年より少し若い顔をされてた。
あれはどこなんだろう。
商店街の入り口で常美さんが
私を見ているのに気づいた。
「あらら!常美さん!」
「お、久しぶり」
うれしかったなぁ。
二人で一緒に商店街の長い下り坂を歩きながら
お互い「元気だったか?」と尋ね合い
「常美さんには聞いてもらいたいことが
山ほどあります!」と言ったところで
私が感極まり我慢できずに大泣き。
それを見た常美さんも大泣き。
もうその後は言葉にならない。
結局なにも話せなかった。

また会いに来てください!

ブルッ

今日は寒かった。。ブルッ。
よほど田植えをしてた5月上旬の方が暖かい。

そんな中でもこんな小さな体で
がんばってる苗たち。
みんな抱きしめてあげたくなる。

クラウドファンディング

可児高校ではフィールドホッケー部の
キャプテンだった。西日本大会ベスト8。
当時のポジションはスイーパー、
足だけは速かった。

オリンピックに出場した顧問の先生から
国体や早大(先生の母校)に推薦してあげると
言ってもらえたけど高校3年間で
もうお腹いっぱい(T ^ T)お断りした。
去年40年の歴史、可児高校ホッケー部は
廃部したらしい。 

スケート未経験だったけど神奈川大学では
憧れのアイスホッケー部に入った。
未経験でもがんばって4年生で
神奈川県ベスト6選手に選出、副キャプテンも務めさせてもらった。
ポジションはレフトウイング、スケートは
並みだったが陸上ホッケーの経験のお陰で
ポジショニングはまずまず、リバウンドを
「ごっつあんゴール」するのが得意だった。

その後北アイオワ州立大学に留学、
英語も喋れないのに一人で校内中に部員募集の
張り紙をしてアイスホッケーチームを立ち上げた。

農業に就いてからは名古屋のインライン
ホッケーチームから声がかかり
監督兼選手としてプレー。

フィールドホッケー、アイスホッケー、
インラインホッケー、3種類のいずれも
マイナーなホッケーを全て網羅した人は
天然記念物オオサンショウウオより
きっと希少だろう。

今回、神奈川大学アイスホッケー部の
後輩たちが、高騰する防具や活動費で
クラウドファンディング。
アイスホッケーは防具に用具、リンク代、
合宿代、とにかくお金が恐ろしくかかる。
私たちが学生の時ですら一人年間
数十万円はかかってた。

入部したはいいが全くの未経験、
スケートが滑れず氷の上ではヨチヨチ
小学生達に馬鹿にされて転びまくって
何度も大怪我して歯を食いしばったあの頃。
それから40年近くが経つ。

現代のお米作りで根性論は通用しないけど、
農作業で辛い時にはよく
「あの大学アイスホッケーの地獄の練習を
思い出せばこんなの屁だ!」
と何度も自分に言い聞かせて来た。
今ある自分は間違いなくアイスホッケーの
お陰でもある。

後輩たちのクラウドファンディング。
出番だな。
喜んで。

それにしても創部が昭和20年終戦の年とは
知らなんだ!

春の片付け

軽トラにコンバインに田植え機にトラクター。
米農家4種の神器。

ほかにフォークリフトとユンボと
シャベルローダーで最低不可欠7種の神器。

他にも
低温倉庫に精米機に色彩選別機、
乾燥機に籾摺り機に小米選別機、
自走式草刈機に背負い草刈機、
肥料散布機に畦塗り機、
ロータリーにドライブハローetc
数えたらキリがないくらいの農機具群。
これを基本一人で扱う。

野菜農家は人件費、米農家は機械設備費。

春に酷使したみんなを洗って整備して
農機具倉庫に運んで。
もうちょっとで片付けも終わり
通常営業に復帰。



道の駅 可児ッテ

岐阜県は全国一道の駅が多いのだと。

ずっと農作業で忙しかったから久しぶりに
道の駅可児ッテに納品。駅長は中学の先輩。

以前は産直販売流行りで
①大垣イオン②各務原イオン、
③伊木山ガーデン④関のふるさと農園、
⑤道の駅志野織部⑥道の駅可児ッテ、
⑦山の直売所⑧湯の華市場⑨とれった広場、
⑩和菓子屋亀喜と10箇所(敬称略)の
お店に商品を置いていただいてた。

10箇所車で巡って値札を付けて棚に出して。
朝早く車に商品を満載して晩までキリキリ舞に
急いでも一日では回り切れなかった。

若かったなぁ〜。

産直店舗への納品って、留守になるし
農作業できないし、自分で棚に並べなきゃ
いけないし、時間と手間と経費が想像以上で
(車の減価償却や燃料費保険代に時給やその他の
経費を厳密に計算すると)利益はかなり薄い。
産直店舗の販売手数料は平均20%。
高速道路の売店とかなら
50、60、70%超えも普通。
生産者同士の値引き合戦もさることながら
想定外だったのが相当数の万引き(T ^ T)
これが痛かった。。

販売店舗と農業生産者では力関係が
あからさまに違う店舗もあった。
「おい、そこの若いの。
自分の棚出しが済んだらうちの店舗の
品出しも(無償で)手伝っていけ!」
と納品の度に店長が命じてくる店もあった。
もちろん断ってたけど、
今ならこう返すだろうな
「はい!それでは今度、貴殿も私の農作業を
(無償で)手伝いに来てね💋」

それにしても以前は
どうやって多忙な農作業の合間に
10箇所の店舗を回っていたのだろう!?

それから店舗での販売を縮小して
ネット販売を中心に。
現在は店舗販売は可児ッテ、とれった広場、
亀喜の3箇所のみ。

振り返るといろんな方々、
いろんな店舗さんにお世話になって
ここまで来たんだなぁ。



ほんのたまに

横幅だけでも10m、長さは3〜40mもある
ビニールハウスのビニールを畳んで片付ける。

遊んでるわけではない。

折り畳んで行くと空気が大量に入り込み
うまく畳めないから、全体重でビニールに
乗っかって空気抜きを繰り返す。
巨大な空気だまりに対して
体重が軽いと空気は抜けてくれない。

「太っててよかった!」と思えるタイミングは
人生でほんのたまにしか訪れないものだけど
これがその貴重な瞬間。

グッナイ

村中のあっちこっちの田んぼを
植えに植えてくれたこの田植え機は
300万円だったっけ?
400万円だったっけ?
もうわけがわからない。。

今日までガッツリ乗ってた田植え機なのに
これで来年の春まで丸一年出番はない。
稲作は一年にごく短い期間しか使わない
高価な農機具ばかり。。

最新型の田植え機はGPSが付いて
手放し運転もできるけど価格はとうとう
600万円を超した。
高過ぎてもう買えない。

この子はもう何年目の田植え機だろう。
感謝を込めてきれいに洗ってあげたら
農機具倉庫で来春まで長いお休みに入る。

グッナイ!ご苦労様!ありがとう!


人生29回目の田植え終了

無事に田植えが終了。
なんとありがたいことだろう。

5月1日からずっと田植えを手伝って下さった
小嶋さんありがとう😭
種蒔きを手伝って下さった
岩田くん、吉田くんありがとう😭
育苗ビニールハウス張りを手伝って下さった
惣ちゃん、軍ちゃんありがとう😭
肥料や苗、農機具、その他諸々で
お世話になった二村商会さんJAさん
ありがとう😭

田植えの日にはなぜか不思議と
必ず晴れてくれたお天道さんありがとう😭
酷使によく耐えてくれたトラクターや
フォークリフトに田植え機ありがとう😭

みんなみんなみんなありがとう😭

さぁ怒涛の片付けが始まる。

王手

いよいよ田植えも終了間近。
もう少しだ。
もうひとがんばりだ。
ヘロヘロだ。
田植え以外のことは考えられない。
しあわせだ。
こんなに集中して寝ても覚めても
田植えで頭も体もいっぱいなんて。
あまりの酷使で田植え機の油圧シリンダーの
調子が日に日におかしいしくなってる。
田植え機よ、もうちょっとだ、
お前もがんばってくれ。

稲作界のカリスマ

米農家になったばかりの頃、周りに
お米の師匠はいなかった。独学。
ネットのない時代、とにかくあらゆる
稲作関連の本を読みまくった。

「よし、この人だ」
民間稲作研究所の稲葉光圀さん(故人)の本を
手本にして勉強会にも何度か参加した。
もう一人のお手本が不耕起栽培普及協会の
岩澤信夫さん(故人)。
どちらも稲作界では有名なカリスマだった。

右も左も分からず藁をもすがる思い。
自分でもよく貪欲に勉強して実践したと思う。

そしてお米作りを始めて10年が経った。
「そうか、自分で探すしかないのか…」
いくらカリスマを真似てみても
何度試してみてもうまくいかない。
お手本のカリスマ師匠のお二人と
自分の中で静かにはっきり決別した。

今から思えば日本中、土も水も温度も日照も
何もかも違う自然条件で、いくらカリスマが
「こうしたらお米作りはうまくいきます」
と力説しようと、そんな魔法の農法が
あるはずがない。

カリスマだけじゃなくていろんな農法を
提唱してる方々の情報もシャットアウト、
稲作の勉強も意図的にやめた。

誰かに頼ってる場合じゃない。
ここ福地の稲作で、どうしたら成功するか
なんて答えを知ってる人なんて一人もいない。
そんな当たり前のことに気付くのに
10年もかかった。

勉強する代わりにもっと注意深く稲を見よう、
もっと覚醒して経験値を上げよう。
そして自分の方法を見つけよう。
そう思った。

この本は駆け出しの時のバイブルだったけど
もう開くことはない。
米作りにもいろんな農法があって、
いろんな流派があるけれど、私はどこの
農法にも属さないし私に属してもほしくない。
実際私にはお弟子さんが4人いるけど
研修終了後誰も私を真似ないで自分の方法を
編み出す。
(独立後すぐは師匠の私の言うことより
やっぱり市販のカリスマの本を
信じちゃうのが笑えるw)
それでいい。それがいい。

それぞれが知恵と経験を振り絞り
その土地でそれぞれの方法を見つけていく。
だから農業は面白いんだ。

農業に限らず商売や経営、生き方だって
なんだってみんな一人一人が
ちゃんと自分で見つけていく。


波波

昨日の大雨後の田んぼ。
排水が上手くいかず、田植えしたばかりの
小さな苗が完全に水没してまったく見えない。
かわいそうなので溺れない程度に
田んぼの水を抜いてあげる。

それでも東南アジアが原作の稲は
水には基本めっぽう強い。
このまま2〜3日水没、溺れたままでも
死なない。
多分最長4-5日は大丈夫だと思う。
刃先がほんのちょろっと水面に出さえすれば
茎はヒョローっと長くなるけど、その後は
普通よりむしろ丈夫に育つことが多い。

不耕起栽培というのがある。
耕してないと水があっても土が硬くて
田植えできない。そこで棒で土に
グリグリ穴を開けそこに苗を植える農法。

柔らかい普通のたんぼの土に植えた苗は
田植え後1ヶ月経っても土から抜けるけど
不耕起栽培で硬い土に田植えした苗は
驚くべきことに翌日にはもう根が張って
抜けない。不思議で仕方ない。

植物にストレスを与えると逆に丈夫に
育つのを、知ったかぶりをしてプロ風に
言うなら「エチレン効果」と呼ぶ。
しかし、稲について人間がわかってることは
じつは小指の先ほどにもならない。

水没した苗、硬い土に植えられた苗が
どんな生理で丈夫になるのかほんとは
稲に聞かないとわからない。

可児

生まれ育ったのは岐阜県可児市。
子供の頃は可児郡可児町だった。
普通この「可児」が読めない。
カゴでもカジでもなく正解は「カニ」。

織田信長の実母は土田午前(ドタゴゼン)、
織田信長を本能寺で殺した明智光秀、
織田信長を守った森蘭丸、坊丸、力丸も
可児市出身。
そして戦国最強の武将と言われた可児才蔵も
可児郡御嵩町(これも読めないミタケチョウ)の
出身で一時期は明智光秀、豊臣秀次の
家臣でもあった。
可児市は結果的に織田信長と因縁がある。
歴史好きには楽しくてたまらない。

可児才蔵を改めて調べてみるとやっぱり強い。
戦国とはいえ何人殺してるんだ。
斬り殺した相手が多過ぎて首を持ち運べない。
斬った首や口に笹を刺して自分の戦果の
証拠としたから別名「笹の才蔵」

才蔵は戦国を生き抜き、主君福島正則に
ついて安芸国広島で没している。
今度広島市に行ったら祀られてる
才蔵寺に参ってみようと思う。

さて、以前行ったのが遠く大分県臼杵市。
ここに九州最古の味噌醤油醸造で
有名な「カニ醤油店」さんがある。
カニは可児。
1599年に岐阜稲葉の殿様の国替に
ついて行った可児氏や商人たちが
臼杵で醸造を始めたのが始まり。
臼杵市を調べていくとこれまたおもしろい。

臼杵市に広島市。
長い歴史で可児が繋がってるなんて
歴史好きにはたまらない。

もっとも私の父は熊本県、母は福島県出身
だから、可児市に歴史的繋がりは全くない。





敵わない

もうすぐ88歳になる父に最後まで
敵わないだろうことが2つ。

一つは将棋。素人ながら四段。
過去に一度だけ油断したところを三の丸、
二の丸、本丸とスルスル突破し天守閣3階まで
追い詰めたことがあったけれど、
4階からモノの見事にうっちゃられた。
あれは人生で最初で最後のチャンスだった。
今でも二人で「あの時は!」と語り草。

もう一つはこの太田橋。
美濃加茂市と可児市をつなぐこの橋は
大正末期に作られた文化財級。
子供の頃はこの橋の袂から
「日本ライン下り」と言う天竜川下りのような
20人乗りほどの観光木造船が出てた。

若い父が橋の上から観光船を見ていると
見知らぬ酔っ払った乗船客が
「おーい!飛び込んでみろー!」と叫ぶ。
父はそれに応えて
「よーし!見てろよ〜!」とこの橋から
本当に飛び込んだのだ。
一体どういう調子乗りなのだろう。

父はこの界隈では2000人くらいの大きな
工場に勤めていたが、今でもこの会社に
勤めていた70代から80代の世代の人
(すごい人数)に出会うと
「私の父をご存知ないですか?」と
父の名前を出すと「あー!君はあの
橋から飛び込んだせいちゃんの息子か!」
とビックリされる。

それもそのはず。
父は「よーし!見てろよ〜!」と別の日にも
そのまた別の日にも少なくとも3回は
飛び込んでいて、
最後の飛び降りの日は水が浅く
川底の石に尻をしこたま強く打ちつけて
立ち上がれずそのまま愛知県犬山市まで
流れて行き、引き上げられた先から
そのまま入院するという伝説ホルダーなのだ。

高い所が大嫌いな私はこの橋を通るたびに、
見るたびに父「飛び降りのせいちゃん」
の理解不能な偉大なる稚拙さに
いまだに恐れおののいてしまう。

何が何でも息子が父を越える必要はないが。
父を超えるならこの橋から4回は飛び降り
犬山市ではなく名古屋港まで
流れつかなければならない。
冗談ではない。
やめてほしい。




“May the fourth”(5月4日)

植えたばかりの苗。
まだちっちゃくて頼りなげで大丈夫かと
心配になるけれど、秋にはちゃんと
立派な穂をつける。

東京にいる一人娘のさくらが今日結婚した。
お相手は同じ大学の一つ先輩。
IT系に勤める彼はスターウォーズの大ファン。

スターウォーズで出てくる有名なフレーズ
「May the force be with you」
(フォースと共にあらんことを)からもじった
“May the fourth”=5月4日はファンの間では
特別な日で、その日に結婚と決めてたそうだ。

おめでとう。末永くお幸せに。
楽しくなるな。


一つ一つ

天気に恵まれ田植えは順調に進んでる。

代掻きも終わりこれでこの春の
トラクターの出番は終了。
早速「ありがとう」ときれいに洗って倉庫に。

一つ一つ忙しい春の作業が終わっていく。
「無事」ってなんとありがたいことだろう。

29年前に初めて乗ったトラクターは
三菱の30馬力だった。
運転席はオープンで降ってきた雪が膝に
積もって「寒い🥶死ぬ🥶」と
ガタガタ震えながら耕してた。
今から思うと操作性も使いにくい
トラクターだった。

次はクボタの41馬力のトラクター。
キャビン(運転席がガラスで覆われてる)に
なって冷暖房、苦手なディーゼルエンジン音も
ある程度遮音され格段に快適になった。
サイズもよく気に入ったスペックだったけど
最後は後輪の車軸が折れドナドナ。

そして3代目が今乗ってる外国製の
マッセファーガソン72馬力。
馬力はうちにはスペックオーバーなほど余裕。
デカい。デカすぎる。でも楽。
国産と比べてエンジンの粘りが全然違う。
この外人のお陰で随分疲労が軽減されたけど
逆に自分はどんどん歳を重ねていくから
行って来いな感じ。

人力では一生かかってもできない
作業をサクッとやってのける強者トラクター。
産業革命バンザイ🙌

トラクターは昔から1馬力10万円が相場。
だから72馬力は720万円。
そこに運転席キャビンが付くと
プラス100万円以上。
後ろの作業機は別料金、写真のなら
プラス200万円。

ああ、1000万円のトラクター。
泥泥の田んぼで酷使されオイル漏れに
電装品の故障なんて当たり前。
ああ、トラクター、この春は「無事」に
終わってくれて「ありがとう。」

しろかき終了

この春は合計75時間トラクターを運転した。

酷使に耐えてよくがんばったトラクターにも
自分にも労いの言葉をかけてあげたい。

永遠に続くように錯覚する代掻き作業も
今日が最終日。
粘り強く耐えていれば必ず最後の達成感が
待ってくれているからがんばれる。

あと一週間で種籾の準備〜種蒔き〜
肥料撒き〜耕起〜代掻き〜田植え
までの春の長いロードが終わる。

さぁ!

立派に育ってくれた苗達よ、出番だ!
今日から田植え開始。

朝から雲ひとつなく、これ以上ないくらいの
田植え日和。

毎年手伝って頂くきぷらす工房の小嶋さんと
二人で村中の田んぼを緑に変えていく。

病に臥せっている仲間、おじさん、おばさん、
おおたか静流さんに坂本龍一さん、同業者、
奏でたくても歌いたくても
叶わないたくさんの大事な人。

田植えは米農家にとって労働と共に歌や舞踏。
頭をいっぱい使って、体をいっぱい使って
さぁ今日から始めるよ。

明日から皐月(さつき)5月。

皐月の「さ」の語源は田の神や稲の御霊。
田植えをする月だから「早苗月」(さなえつき)が短く皐月(さつき)になったとも言う。
いずれにしても皐月は田の神や田植えと
縁が深い。

桜の「さ」もやっぱり田の神や稲の御霊。
「くら」とは神が座す場所のことを言い
合わせて、田の神が座す場所が「さくら」

明日から皐月。
そして明日から田植えが始まる。
お米農家と田の神が一緒に
なって田植えする皐月がやってきた。



感謝して褒める

田植えがもうすぐ始まる。

今年の苗作りはタイミングも天気も
育ちも段取りも工夫も文句なく
29年目で一番の出来。
苗達たった一枚の脱落者もなく全員合格!
「こんな苗作りを目指してた」(号泣)

天気と苗、手伝ってくれた仲間たちに
先ず感謝を捧げたい。

それから

育苗ビニールハウス建て、種籾の準備、
種蒔き、毎日の水やり、朝晩のビニール
ハウスの開け閉め…数え切れない
段取りと判断と動き。

自分自身の体と頭そして気持ちや気力に
対しても慈しんで感謝して褒めてあげたい。

 「大変よくできました💮💮💮」

ドライブハローと申します

トラクターの後ろに付いてる作業機は
その名をドライブハローと言う。

カバーの内側にはたくさんの短い耕運刃が
あって、それで水の付いた田んぼの土を
攪拌して水平に均す。(代掻きと言う)

うちのドライブハローは横幅が4m20cm。
とてもこの幅で道路は通れないから
道路走行時には油圧で3分割に折り畳まれる。
この作業機だけで価格は200万円ほど。

トラクターの後ろの作業機は着脱可能で
この代掻き専門のドライブハローの他にも
耕す専門のロータリー、畦塗り機、
肥料散布機、トラックの代わりをする
運搬用のトレーラー、草刈機などなど
が必要に応じて装着される。

トラクター一台で何役もこなせるけれど
トラクターと後ろに着脱する諸々の作業機を
トータルすると1500万円を超える。

そして1500万円はトラクター関連のみ。

そこに田植えをする田植え機(400万円)も
稲刈りをするコンバイン(900万円)も
含まれてない。

恐ろしいことにこれらは消耗が激しく、
数年単位で買い替えの必要がある。
私の場合28年間でトラクターは3台目、
田植え機は4台目、コンバインは7台も
買い替えてきた。

更に収穫した籾からお米にする乾燥機
(1台200万円✖️5台)、籾摺り機(250万円)
精米ライン(450万円)、フォークリフト
(100万円)に軽トラック(一台70万円✖️2台)
シャベルローダー(200万円)、
ユンボ(200万円)、施設建物(4000万円)
他にも種々雑多な機械類を含めると
これまでに機械だけで軽く1億円は
かかってる。計算したくな(泣)

そして更に恐ろしいことに、私は
プロの「お米専業農家」としては
恐らく日本で一番小さなサイズ。
これまでに私より小さいな経営規模の
お米専業農家に出会ったことは一度もない。

うちがこれまでやって来れたのは
大袈裟ではなくかなり奇跡に近い。
振り返っても「よくここまで来れたな」と
思うより「。。。。」震えてくる。

本当ならプロのお米作りをしたい若者を
歓迎し応援したいのだけど、就農希望者が
来ても
「失礼ですが、あなたには無理じゃない?」
ってところからどうしても話に入って
いかなくてはならないのがこんなお金の事情。

いや、もっと少ない投資でできないことは
ないけれど、それ、かなりの実力と体力と
経営判断できるか特殊な人でないと。

いわゆるゆるい農的な暮らし、農業に
晴耕雨読を求めて来る人には
そもそも合わないし無理(T ^ T)

その人の人間的価値とお米専業農家に
なれないのには全く相関関係はない。
ただ、せっかく米作りやたいと思って
来てくれる人にもそんな話を毎回
しなくちゃいけないのも残念。


ひたすら

もうすぐ田植えが始まる。
朝から晩までトラクターで一日過ごす毎日。

都会だと日本に田んぼがあるなんて
忘れちゃうけれど、今日本中の農村は
大忙し。

こんな風景の中で毎日ひたすら仕事が
できるなんて、高層ビルに囲まれて窮屈な
スーツと革靴よりも贅沢だなぁ〜。

カキイレドキ

こうやって田んぼを鏡のように
田植え直前の姿に変えていくのが代掻き。
耕した田んぼに水を入れ田植えできるように
泥泥にするのが代掻き。
田植えや稲刈りの何倍も時間のかかる
根気とセンスのいる作業。

さて、もうすぐ世間はゴールデンウィーク。
このゴールデンウィークというのには
若い時から縁がなくていつも仕事仕事だった。

観光地ではカキイレドキらしい。
縁起物の熊手を連想して「掻き入れ時」だと
ばかり思っていたら「書き入れ時」と
書くのが正解。
大繁盛で帳簿を「書き入れる」のが
忙しいからカキイレドキと言うのだと。

いくつになっても知らないことばかりだな。

今年は苗の成長が早く、もういつでも
田植えができる状態。

成長のピークを過ぎると苗の力が弱るから
これからは田植えまで成長じゃなくて
ブレーキをかけなきゃいけない。

右奥の苗の葉っぱが黒い。
その訳はこの苗は古代米の黒米だから。
黒米はお米だけじゃなくて葉っぱも茎も
黒いのが特徴。

黒米と呼ぶけれど実は黒ではなくて紫色。
紫の色素が重なっていき、
特にお米粒は真っ黒に見える。
品種名は「朝紫」
よく知ってる人がつけた名前だとわかる。

雨と山桜

山桜の花盛りは2日ほど前。
今日は冷たい雨が降ってその花を散らす。

道路や軽トラに舞う花びらが
季節の移り変わりと「もうすぐ田植えだよ」と
教えてくれてるみたい。

来年は違う日に咲き、違う日に散る桜。
毎年繰り返してるようだけど
今年に桜は今年だけの桜。
見てる私も今年だけの桜。

丸一日

ほぼ一日中この風景。
代掻き作業はあと延べ一週間くらいか。

ディーゼルエンジン音が昔から嫌いで
一日トラクターに乗ってるとひどい
耳鳴りに悩まされる。
スプーンと食器が接触する高い音で気が変に
なりそうになるから、うちのスプーンは
金属製はなく全て木製。

田植えが始まると指や腕を酷使するから
箸が持てなくなる。
がんばりどころの1ヶ月。


御札

うちのトラクターはマッセファーガソン社の
外国製72馬力。
私には分不相応な有名な世界的メーカー。

今日から代掻き作業。
ドライブハローをトラクターに装着して
点検していざ田んぼに。

外国製のトラクターだけど、安全祈願で
「馬頭観世音菩薩urara」ステッカーを
貼り付けた。
うららのことを生前可愛がってくれた
後輩が作ってくれたオリジナル
御守りステッカー。
「うらら作業の無事を見守っててね。」
これで今年も大丈夫🙆‍♂️

人も動物も死ぬと神様仏様になって
残された者を守ってくれるという文化は
どこから来てるんだろうといつも思う。
キリスト教やイスラム教なら一神教だから
死んでも人も動物も神仏にはならない。
実は結構独特な風習。

来るぞ来るぞ来た〜

田舎生活に欠かせぬ軽トラック。
八面六臂の大活躍。

ところが田舎は高齢者ばかり。
時速10kmで農道のど真ん中を走る軽トラ。
無茶苦茶ゆっくりなのに抜かせない。
自分の背後に車がいるなんて夢にも思って
ないから無敵に急な進路変更する。

バックミラーはただの飾り。
ウインカーも飾り。
例えウインカーが出てても信じちゃダメ。
車検も免許も保険もあるのか冗談ではなく
かなり怪しい。

2車線なら中央線を越えて来て正面衝突に
なりそうなんて日常茶飯事。
当の本人は何事もなかったようにブーン。

前で車が停まった。
その車の運転席側を追い抜く時には厳重警戒。
私の車が抜くその瞬間にきっと運転席の
ドアをバタッと開けるに違いない。
最徐行して3、2、1、バタッ!危ない!!
やっぱり今回もどうしてそこだけ
見事なタイミング。。。

農協前に車が停まってる。
きっと後ろなんて見ないで私の車が
通りかかる瞬間にいきなり発進して
道のど真ん中に躍り出るに違いない。
最徐行して3、2、1、あ、危ない!
お見事完璧なタイミング。
本人なんにも気づかずブーン。

そういう人に限って高齢者の免許講習では
得点がよかったと自慢する。
圧倒的な交通量のなさと子供の少なさが
田舎で高齢者の運転を可能にさせてるけど
運転免許は少なくとも80歳で
打ち切りがいい。危ない。

イイネ!

SNSで見知らぬ方々に「いいね」を
押しまくるのも、見知らぬ方々に配信して
「いいね」を押してもらうのも
自分には合わないな。

そんなでもう何年も前にFBもインスタも
撤退してしまった私。
(復活したくなったらまたやればいい)

だからこのページは「公開日記」にした。

これは(公開)「日記」なんだから 
配信はしない。
「いいね」も(でき)ない。
コメントも(でき)ない。
フォローも(でき)ない。
誰がアクセスしてるのかも知らない。

どうしてるのかな〜って、たまに
気軽に覗いていただければ💋

写真の、これがほんとの「いい根!」
ちっちゃな種籾から出た根っこたちが
もうこんなに分厚く張ってる。
いやぁ〜いいねぇ。

舞台監督って!

実家からえらいもんが出てきた。
劇団飯島組の公演チラシ「瓦礫見聞録」
舞台監督に私の名前!

主宰は演劇の盛んな早稲田大学出身の
四谷にお住まいのご夫婦だった。
懐かしいなんてもにではない。
37年前。劇団はもう随分昔にない。

舞台監督なんてなってるけど、実際には
裏方のお手伝いをさせてもらったくらい。

アイスホッケー、バイト、演劇、
バックパッカーにバイク。
ほとんど毎日寝ないで興味の赴くまま
突き進んでいた青春の日々。

一度だけ参加した劇団裏方。
劇団がこんなに大変でお金にもならなくて
でもそこに集う人達は恐ろしくパワフルな
人達ばかりで驚きの連続だった。

ラブレター337

28年間毎月欠かさずに続けてきたことがある。
お客さんへのラブレター。

今まで28年✖️12ヶ月=336通。

A4用紙の表裏。
パソコンは使わず手書きにこだわっている。
どれだけ忙しくても文章が出てこなくて
二晩くらい徹夜しても、農作業で握力が
なくなって字が下手くそなっても
パソコンに頼らず必ず手書きで書く。

毎月お米に同封する手書きのお便りは
その月にお客さんに伝えたいことを
心を込めて書く。

今月は29年目に突入したから、
今日書くラブレターは337通目。

お前が行け

戦争を現実的なものにしてどうする💢
戦争を現実的なものにしないよう努力するのが
政権与党の仕事だ。この人は○○なのか。
いや、こう言う輩に票を入れた人こそ
責任を感じてほしい。

安全な場所にいるお偉い人々が若者達を
戦場に追いやる。
「戦争するって決めるならお前が行け」

現実的って。。
兵器の質、軍事費、量、人口、経済、食糧
国家予算の何倍を軍事費に費やしたとしても
例えば仮想敵中国には絶対に勝てない。
戦争しなくても中国から輸入が止まっただけで
1ヶ月もしないうちに経済も食糧も
レアアースも日本はアウト。
日本を負かすのにミサイルも
武器も必要ない。

ちょっと考えればわかるのに
ミサイル飛んで来る!って危機煽って
危ない危ない!って。
輸入に頼ってる現実の方が100倍危ないわい。

素人かよ。

1位か2位

苗の芽揃い葉揃い色揃いは
29年目にして一番か二番の出来。

苗が安定していると他の作業に集中でき
ありがたい。

まさに親孝行の子供達。

朝ビニールハウスを全開にするところから
一日が始まり、夕方ビニールハウスを
全閉にして一日が終わる。

病気の子(苗)がいたり、カビに取り憑かれ
そうになってる子(苗)がいる年は
見回る度に心配で心が乱れるけれど
今年はみんな元気で気持ちいい。

お誕生日

今日4月17日は3年前に天国に旅立った
愛馬うららの誕生日。
ほんとの誕生日は不明だけど20年前の
今日にうちに来てくれたから今日が誕生日。

彼女のお陰でどれほど人生が豊かになって
どれほど楽しい時間が過ごせただろう。
彼女との17年間と言う時間は私の宝物。

そして亡くなってからの3年半、
うちでは一日も欠かさずうららが
必ず会話に出てくる。
遠くに行ってしまったけれど
近くにいるのを毎日感じてる。

うらら、あらためて、うちに来てくれて
ありがとう。お誕生日おめでとう。

写真は13年前に廃校になってしまった
福地小学校最後の運動会で私と共に
リレーで爆走するうららの姿。
そう、うちの小学校運動会は馬が
リレーと綱引きに参加した。
村中の人気者だった。

路傍の観音様

近所の道で見つけた多分これは馬頭観音さん。
観音さんの頭上に載った馬でほぼ判断できる。

今まで何度も通ってたのにここにずっと佇んで
いらっしゃるのに今日初めて気付いた。

「嘉永二酉天 十一月日」と彫られてる。
調べたら確かに嘉永二年は1849年の酉年。
今から174年も前。
ペリーが黒船で浦賀に現れる4年前。

当時は車やトラックとしてトラクターとして
大活躍してた馬。亡くなると馬頭観音さんの
碑を建てて祀った。
だから馬頭観音は日本全国にたくさんある。

このお馬さんは病気で亡くなったのか
老衰だったのか、事故だったのか、
それとも出産がうまくいかなかったのか
174年前の出来事を想像してみる。

私も17年間連れ添った愛馬を
3年前に亡くして馬頭観音の碑を造った。
この馬頭観音には馬主の名前も馬の名前も
彫られてなかったけれど、家族同然に
可愛がってた馬を亡くした主人の辛い思いや
感謝の念が私には痛いほどよくわかる。

馬頭観音の顔を優しく撫でてみると
174年前の見知らぬ馬主と気持ちが
通じ合えた気がしてうれしくそして
かなしくなった。

29

ついこの前芽を出したばかりの赤ちゃんだと
思っていたらもうこんなに成長してる。
親はなくとも子は育つ。

毎日成長の勢いを増す苗達からパワーを
もらう。

29年目のお米作り。
改めていい仕事だなと思う。

ほぼ

お陰様で苗の成長はほぼパーフェクト。
目揃いも背丈の揃いも色も今のところ
申し分ない。

毎年芽が出なかったり、カビが生えたり
苗作りはハプニングの連続だけど
こんな年があってもいい。

ありがたい。

いのちの壱という品種の苗。
お米粒は大きく体も大きく従って
生まれたばかりの苗も他の品種より大きい。
順調すぎる。

もうこんなに育っているけど、喜んで
ばかりはいられない。
あまりに早い生育は田植えの準備が
間に合わない。
もうちょっとゆっくり育ってね。

米ヌカと大豆

昨日は田んぼに米ヌカを撒いた。
今日は田んぼに大豆を撒く。
米ヌカと大豆でお米ができる。

どちらも食べられるのに肥料にしちゃうのは
もったいないけれど、消化分解されずに
大量に入っているかも知れない家畜糞に
比べたらこの上なく安心。

続きを読む

撒いているのは

田んぼに撒いているのは肥料の米ヌカ。
精米した時に大量に出る米ヌカを田んぼに
戻してお米でお米を作る。

「循環型でSDGSだ!」なんてどこかで
聞いたようなダサい表現は使わない。
だって29年前からずっと米ヌカ撒いてるもん。

SDGSって聞こえはいいが、利権や
お金の匂いがプンプンする。
それに正義っぽい言葉には必ず裏があって
た易く信用できない。

米ヌカを使ってお米を作るのはいいとして、
散布してるトラクターも動かす軽油も
全部輸入品。
米ヌカ使ったらSDGSなんて私には
恥ずかしくて言えない。
正義の味方って信奉されてる「有機農業」
だって一皮めくれば
いろんな矛盾をはらんでる。

お食い初め

「お食い初め」は生後100日の赤ちゃんが
一生食べ物に困らないようにとする儀式。

今日は生後7日目の苗達は遮光カバーを
取り除く。
これで苗達は直接太陽を浴び光合成を始める。
同時に川からの水が苗床に導かれ、苗達は
初めて自然界の水をたっぷり吸う。

だから、今日は苗にとっての「お食い初め」
スクスク大きくなってほしい。

以前親しい方から赤ちゃんの「お食い始め」の
写真を送っていただいたことがある。
「山ちゃんのお米で「お食い初め」させて
もらいました」とありがたいメッセージが
添えられて。
米農家としてこれ以上光栄なことはない。

食べるって生き物として大事。
人として大事。

太陽や雨がお米になって赤ちゃんの体になる。
「私たちは例外なく太陽の子であり
雨の子であり風の子でもある」
そう思うことがよくある。

神様っ!

種蒔きから6日目。

もう、一人一人抱きしめて
あげたくなるくらいかわいい。

まだ小さな根から一生懸命に水を吸い上げ
まだ小さな葉っぱの先っぽに水滴を付けて
キラッキラに輝いてる。

いのち。。。

思わず
「神様っ!」って
叫びたくなる。

やがて伝統芸能

私は1966年生まれ。

生まれてから米農家は減り続け、今や20%。
生まれてから米作付けは減り続け、今や40%。
やがてお米作りも伝統芸能になるのだろうか。

さぁ日本人、何を食べて生きていこうか。
いつまでもお金にモノ言わせて外国から
輸入なんてできないってことが、
最近の食品値上げでばれちゃった。

日本の食料自給率は預かり知らぬ所だけれど、
友人や知り合い家族がどうか飢えませんように。

どうした新海誠監督

新海誠監督「すずめの戸締り」

どうした新海誠。。

阪神大震災に東北地震と津波、他にも
記憶にまだまだ新しい災害の被災者が
この映画を観たらどんな思いをするだろう
という心配と心痛が最初から最後まで
付き纏う作品。

「君の名は」はとても好きな作品だった。
それは題材が隕石で起こり得ないレベルの
ファンタジーだったから。
でもこの映画は生々しい震災や津波を
題材にた割に、登場人物やストーリー展開も
残念ながらかなり浅く感じた。

この題材で興行するのはまだ問題だと思う。
観てる自分が被災者の方々に申し訳なく
感じる、点数の付けられない後味の悪さ。


4days

種蒔きから4日目。

生まれたばかりの芽にはまだ葉緑素がない。
このまま白い芽がいきなり太陽光に当たると
芽焼けを起こして枯れちゃう。

幸い今日は雨だから強烈な陽射しがない。
徐々に光や紫外線に慣らしていくには好都合。
遮光カバーを一枚剥がしてあげる。

赤ちゃんに離乳食を始めるのと
どこか似てる気がする。

住吉エリオさん

もう20年以上前からの友人住吉エリオさん。
私の実家岐阜県可児市近隣には
日系ブラジル人がたくさん住まわれてる。

ブラジル人はなぜかバーベキューが大好きで
 彼からは何度もブラジル人仲間たちの会に
誘ってもらったり、こちらのイベントに
誘ったり。

朝のニュースを見てたら
アナウンサーが
「在日ブラジル人の様々な相談を
23年間ずっと続けている方がいる」
と言った時点で
「あ、きっと彼だ!」ピーンと来た。

これまでの相談者は500人以上。
全てボランティア。
20年以上前から彼はそんなオーラを放ってた。
誰にでもできることではない。
今度会ったらいろいろ教えてもらおう。

残留農薬検査


毎年お米の残留農薬検査をしてる。
検査費用は結構高い(T ^ T)

残留農薬は白米に比べ玄米の方が圧倒的に
検出されやすいし、玄米で購入される
お客さんも多いから必ず玄米を試料に
測ってもらう。

検査する農薬は202項目。
検出下限値は0.01 ppm。
当たり前だけど今年も農薬202項目

全て不検出。

一般のお米のお客さん、甘酒のお客さん、
レストランさんはもちろん、沢山の保育園さんにもお米を使っていただいてる。

この検査結果がみなさんのより安心安全の
判断材料になってくれたらいいな。

10000時間の法則

耕す。

このトラクターは3代目。
トラクターの寿命は走行距離じゃなくて
アワーメーター。
まだまだ新しいと思ってたらちょうど
900時間を超えた。人間で言ったら30代。

1代目2代目で2000時間くらいだったか。
合わせて3000時間だとすると
1日まるまる8時間として375日。
一年以上乗ってることになる。

ラジオを聞いてたら「一万時間の法則」
と言うのがあるそうな。
一万時間費やせばどんなことでもプロレベル
になれるそうだ。
10000時間って、1日まるまる8時間として
1250日、3年半の計算になる。

「石の上にも三年」って、なるほど
昔の人はよく言ったものだなぁ。

種蒔き2日目

いつもの年なら育苗ビニールハウスを
いかに保温するかに気を使う。
ところが今年はいかに放熱して
温度を上げないようにするかに気を使う。

種蒔きたった2日目の姿。
例年なら5〜7日目くらいの姿。

ビニールハウスを朝から全開、放熱しても
今まで見たこともないようなペースで
芽を出している。
史上最速。
いや、最初から早過ぎる。

鶯、タラの芽、つくし、カエルの鳴き声、
全てが例年に比べ10日ほど早い。

お芽出とう

史上最速。

気温が低い年には1週間経ってやっと
出てくる芽が、今年は昨日蒔いた種が
もう土の中から芽を出し始めた。

芽が出るのはありがたいことだけど、
育苗用ビニールハウスの温度が上がり
過ぎると焼け死んじゃう。

育苗初日から育苗ハウスは全開。

史上最速

種蒔きと同じ日に仕事場の桜が咲く。
こんなことは今まではあり得ないこと。
史上最速の桜の開花。

いつもは種蒔きの日は寒くて厚着をしても
凍えてガタガタ震えてる。
去年だったか気温は2度だったと
手伝ってくれる仲間が言ってた。
今年は20度。

「百姓は毎年一年生じゃからな」
もう亡くなっちゃった多くの古老たちが
口を揃えて言ってた。
その言葉の本当の意味がやっと分かる
年頃と経験年数になって来た。

ありがとう

今日は一粒万倍日。

種蒔きした育苗トレイを育苗ビニールハウスに
並べて置いていく。
これが結構大変なんだけど、気の合った
4人でワイワイ順調に作業も無事終了。

毎年このメンツでの種まきだけど
この4人で作業するのは年365日のうちで
たったの一日。

お三方、今年もありがとう!!



今日は一粒万倍日

今日はめでたい種蒔きの日。
何がめでたいって今日は一粒万倍日。

読んで字の如く今日種蒔きをすると
一粒が万粒になるめでたい日。


種蒔き

いよいよ今日は種蒔き。
これから蒔く種籾たちに今日お手伝い
していただける仲間たちと
豊作の祈りを捧げて作業の始まり始まり。

準備よし!

苗を育てるビニールハウス準備よし!
種蒔き機械の準備よし!
種籾の芽出し準備よし!
フォークリフトのオイル交換整備準備よし!
仕事場の種蒔き仕様の配置準備よし!
種蒔きで使う山中の水源整備準備よし!
種蒔き品種ごとの苗箱枚数準備よし!

明日は大事な種蒔き。
今日は早く寝よう。

稲の苗の新芽を食べ荒らすカモシカも
こちらの種蒔き準備状況を偵察するために
村の中心部まで出て来た。
かなり近付いても逃げない。
憎たらしい。

影の役者

稲作にはたくさんの工程とそれを助ける
同じ数の機械や道具がある。
目立たないけど一つ一つの機械や道具が
それぞれの役割を果たしてくれて
秋の稲穂につながる。

この芽出し温水器も今日でお役御免。
あなたのお陰で種籾たち全員が目を醒し
種蒔きを無事に迎えることができる。

この機械、ユンボと同じく
活躍するのは一年で10日ほど。
一年に一回の役目を終えると
来春まで長いお休みに入る一番手。

ひとつひとつ

田んぼの畦補修や排水管を新設する作業に
活躍したユンボが泥だらけの勇姿で
無事に帰還。

人の手だったら1ヶ月&腰痛間違いなしを
1日もかからず完成させるユンボは
正義の味方、エンジェル👼救世主🦸‍♂️

田植えまでの数え切れないほどの工程、
大事な作業を一つ一つ
無事に終わらせていく。

ゆっくり

春の作業は田植えが終わるまで毎年
ひっちゃかめっちゃかの忙しさ。
だけど今年は焦る心にブレーキをかけて
意図的にゆっくり作業を進めてる。

焦ったり急ぎ過ぎるとせっかくの
お米作りが楽しめない。
大丈夫、もう29年目なんだから
ゆっくり動いても経験でなんとかなるさ。

仕事場前の桜はまだ咲かない。
いいよ〜ゆっくりで。
その方が長く楽しめる。

57

3月29日。

57歳。

さあ、はじめよう。

一斗二升五合

3月29日。

昔可愛がってた弟分が名古屋に
オリジナルプリントのTシャツ屋さん
「ALL DAY」を開店したのが
9年前のちょうどこの日。

私が言うのもなんだけど、最初に会った時は
どうにもならないような若者だった🤣
それが今じゃ立派な大繁盛店のオーナー。
驚くべき化けよう。
9周年おめでとう!

米農家からの心からの祝福は
  「一斗ニ升五合!」
     👇
一斗👉五升の倍(ごしょうばい)
二升👉升升(ますます)
五合👉半升(はんじょう)

誕生

3月29日。
命が産まれた瞬間。
種籾から少しだけ白く出てきたのがお米の芽。
「オギャー!」


メルカリにも

メルカリにも
「売り手よし」
「買い手よし」
「世間よし」
の近江商人が大事にしてた
三方よしの商いがあるものなんだな。

ここが私の仕事場!

逃げも隠れもしないぞ。
ここが私の仕事場。
どの作業も大変なことばかり。
毎日ヘロヘロになるまで。
そしてたまの幸せ感。
田んぼが、私が来るのを、
稲を植えてくれと待っている。
これが私が28年前に選んだ仕事。
待ってろよ田んぼ。
待ってろよ自分。

君の名は

福地でも桜がちらほら咲き始めた。

これは多分、白い木蓮。
花言葉は崇高とか威厳とか。

私の場合、花は花びらよりも中心部を
拡大して見てみたくなる。

これまたお見事!
宇宙!
曼荼羅!

苗床作り

4人で馬鹿っ話しをしながらビニールハウスを
張って苗を育てる苗床を作る。
普段は一人で仕事してるからとても楽しい。

でも、風が強いと人間4人が必死に抑えても
ビニールが煽られ凶暴な恐竜のようになって
吹き飛ばされちゃう。

だから「風が吹きませんように!」
「風が吹く前に!」と数日前から祈る。
一旦無事ビニールが張れたらこっちのもの。

「ほっ!」
安堵の笑顔で記念撮影。


種まきまで一週間

今日も冷たい雨。
それでも足元に春。
種まきまで一週間。

そこかしこ

 標高600メートルのここ福地は
まだ全く桜が咲いていない。
今日も冷たい雨が降っていたけど、
やっぱり春の足音はそこかしこ。

私にとっては29回目のお米作り。
今までは忙し過ぎて、追われてばっかりの
春だったけれど、もうたくさん
経験してきたんだから周りの生き物や
草たちにも目線を落として
春の足音も聞いていきたいな。

去年は4月1日に初めて蛙の鳴き声を聞いた。
今年は3月25日の今日、去年比一週間も早く
うるさいくらいに鳴いている。

さて、私、お店の看板とかフォントや
名前を見るのが大好き。
通りがかったお店の看板は
ハンバーグのお店だから
「コネル」だって🤣

栄にあったバン串(バンクシー)と言う
商標ギリギリの焼き鳥屋さんは
その後どうなったろう?

劇団名「カムカムミニキーナ」は
カムカム👉おいでおいで!
ミニキーナ👉見に来〜な!
つまり
「おいでおいで見においで!」が
劇団名だと気づいた時には感動した🤣

有り難い

ありがとうの語源は有り難し、有ることが
滅多に起きないから有り難しでありがとう。

八百津町ふるさと納税、返礼品の
人気ランキング上位6位中で山ちゃんの甘酒と
山ちゃんの発芽玄米が3つもランクイン。

八百津町には全国区のお酢屋さん、
栗きんとん屋さん、お肉屋さんなど名産品が
多い中で、ランクインしてもらえるだけで
本当に光栄、まさしく有り難いこと。

おもしろいな

隣り合わせた初対面のお客さんから
高価なワインを頂いた。

店主さんのご好意でそのワインを3種類の
ワイングラスで飲み比べさせて頂けた。

同じワインなのにワイングラスを変えるだけで
まるで違う味わいや顔つきになる。

食べ物や飲み物が「生きている」と実感できる
ことはとても嬉しいし大事なことだと思う。
「生きている」とは「変化」なのだろう。

日本酒だと同じお酒でも4合瓶より一升瓶の
方がなぜだか知らないけど絶対においしい。
おちょこも数種類用意するとやっぱり同じ
お酒なのにお猪口によって味が違う。

面白いな。

がんばってる姿

これから2ヶ月とても忙しくなる。
その前に自分の中の仕切り。
名古屋は上前津のグロッグ さんにお邪魔する。
人が頑張ってる姿を見ると自分も頑張んなきゃ
と言う気合が入るから不思議。

忙しくなる前に

忙しくなる前に愛知県江南市の
re-cafe さんに立ち寄る。
もう古い友人で私はこの方の料理のファン。
ワンオペで全部こなすって尊敬する。

春告鳥

標高600mのここ福地も今日は
Tシャツ一枚で汗ばむ陽気。

でも桜はまだ咲いてない。
麓の街から咲き始め、今はおよそ標高200m
まで開花が駆け上がって来てるところ。

私はまだ聞いてないけれど
「もう鶯の鳴き声を聞いた!
今年は一週間早い!」と言ってる人がいた。

鶯は春告鳥。

まさか

ユンボで田んぼの畦や用水路を補修中。
農業を始める前には、まさか自分が
こんな機械に乗るとは夢夢思わなかった。

機械が好きでない私でも、かれこれ20年以上
操っているとなんとかなるものだなぁ。

気付けば一人で多くの
乗用機械を使いこなしている。

軽トラック
トラック
トラクター
コンバイン
シャベルローダー
フォークリフト
スクーター
電動スクーター
乗用車
ダンプカー
車載トレーラー
ユンボ
田植え機
肥料散布機

これは乗用だけで、乗用以外の機械なんて
この倍はあって。
全部一人で使いこなしてると
思うとうれしいやら悲しいやら。

機械好きじゃないんだけどなぁ。。。

バッキバキ

トラクターのタイヤが減ると田んぼの中で
スリップして出て来れなくなってしまう。
減りが目立ってきたし、4月から価格が
爆上がりすると聞きフロンタイヤを交換、バッキバキのタイヤ山になって帰ってきた。

トラクターのタイヤって恐ろしく高い。
もう田んぼで擦り減らしたくない。。
このまま床間に飾っておきたい。。

晩白柚

晩白柚を「バンペイユ」と読める人は
どれくらいいるのだろう。
語感が日本離れしてまるで中国語みたい。
ちなみに中国語で読むとワンバイヨウだから
中国語でもない。

95%は熊本県八代市で生産される
 ザボンで最大規格。
こんな大きな柑橘は初めて見た。。
バンペイユ、柑橘のすごくいい香り。

選ばれし者

とんでもない塩っぱい水を作る。
どれくらい塩っぱいかって、
こんなに卵が浮くぐらい。
興味と時間があれば小さなボウルに
卵が浮くほどの塩水を作るのにどれくらいの
塩が要るのか試してみて。
驚くほど大量の塩が要る😈

卵がこんなに浮いてしまう塩水を作ったら
そこに種籾を入れる。
中身が充実してない籾は
ものの見事にプカーと浮く。
もったいないくらい浮く。
無念、浮いた種籾たちは使われることはない。

一方、中身がぎっしり詰まった種籾は
底に沈む。
種まきする種籾はこうして沈んだ
優秀な選ばれし者だけが選別される。

「塩水選」と言う。

昔は海の近くでは海水が、海のない地方では
泥水を作って比重を利用した。
卵はその浮き方が塩水濃度、
比重計の役割を果たす。
大昔からある簡単で確実な選別手法。

これくらい卵が浮く塩水比重だと
種籾はこんなに大量に浮いてしまう。。
とにかくたくさん浮く。
そんなに浮かなくてもいいのに!
頼む!沈んで!と
願いを強くしてもたくさん浮く。
もったいないけど大事な選別。

誰が始めたんだろう。
永遠と続いている豊作への第一歩。


サバイバルチャイニーズ

サバイバルレベルながら私が中国語を
話せるのはこのDVDドラマのお陰。
もう10数年前、レンタルビデオに通って
10話くらい見てた。
この度、メルカリで入手懐かしい〜。

恥ずかしながら私の中国語の単語数は
すごく少ない。
けれど、少ない単語を駆使して
反対に正確な文法など一切無視して
自分で作った中国語小噺がいくつか。

少ない単語でも中国人を笑わせるだけの
度胸と経験だけは十分積んできた🤣
それを見た周りの日本人は、
私がすごく中国語ができるように
思うみたいだけど
そりゃ〜もう実はひどいもの。

弟は中国に何度も長期出張してたから
私より中国語ができる。
弟と二人、周りに聞かれちゃ都合の悪い話を
する時は、中国人でもわからないくらいの
日本語なまりの中国語が便利。


反応

戦艦や零戦のプラモデルの箱絵で超有名
私たちの憧れだった故 小松崎茂さん。
子供の頃、この人の戦艦や戦闘機の絵を見て
ワクワクが止まらなかった。

機械物だけではなく漫画も描かれていた
ことを初めて知った。

人物画でもやっぱり絵が上手い。
惚れ惚れする。

最近は洗練され過ぎた平成令和モノより
生きる力や迫力、うっすらと胡散臭かったり
生活や昭和の匂いがするものに
より強く反応してしまう。


しあわせの黄色いハンカチ

日本一海に近い駅✖️幸せの黄色いハンカチ。

無人駅のホームには500円ガチャで
黄色いハンカチが買える。

そのハンカチにホームに備え付けてある
マジックで願い事を書いたらホームに飾れる。

一定期間飾られた黄色いハンカチは
神社に奉納、幸せを祈願して
もらえるという素敵なシステム。

ここを訪れるたくさんの人が幸せに。
考えた人は偉い。

青い海と青い空と幸せの黄色いハンカチの
見事なまでのコントラスト。

キリンレモンのテレビCMに使われ
マクドナルドも列車に協賛。

日本一

日本一海に近い駅。
手摺のないホームのすぐ後ろは直接海。

彼方の匂い

どの街にも匂いがあって、それは多くの場合
歴史に裏打ちされていて、どの街に行っても
どんな歴史の背景と街の成り立ちの関係が
あるのかを探るのが好き。

地元の人を掴まえて昔の話を聞いてみると
出てくる出てくる決して本にもネットにも
ない情報が。
かつての女郎街なんて最たるもので
今はどこも寂れているけれど、
調べていけばいくほど当時の人の活気が
伝わってくる気がして不思議。

今日は以前から興味を持って調べてた女郎街の
家でボンボンと育てられてたと言う方と
偶然出会ってかなり長時間立ち話で
たくさんいろんなことを教えていただけた。

昔のことを懐かしそうに生き生きと語られる
ボンボンの表情の奥に、
今はなきかつて栄華を極めた
活気ある街の風景を見た。


身ぐるみ

中部国際空港の搭乗口近くに飛騨の家具。
自由に座れる匠の家具50席ほど。
どのに行っても無機質な空港で
素晴らしい試みがあるものだなぁ。

そう言えば留学してた時、
ロサンゼルスの空港で普通に列に並んでたら
空港警察に突然腕を掴まれ別室に連れて行かれ
訳も分からず身ぐるみ剥がされパンツ一丁に
させられたことを思い出した。
もちろんなにもなく無事釈放。

そうだ。初めての海外旅行は上海。
安いチケットだったからたった上海行くのに
なぜかフィリピンはマニラ経由。
マニラ空港で乗り継ぎを一人待っていると
空港警察が寄って来て
「警察手帳を買わないか?」と聞いてくる
そんな馬鹿な、いらないと拒否すると
「じゃ、この拳銃買わないか?本物だよ!」
と拳銃をホルダーから出して見せてくる。

かわいい人相のせいなのか
日本の税関ではかなりの高確率で止められる。

中国雲南省の空港で空港警備員が
あっちから歩いてくる。
すれ違いざまにその警備員とお互いに
「あれ?!」
お互いマジマジと顔を見つめて
「おおおお!」
今では体格も大きく立派な青年に
なってるけれど、小さな農村で小学生の頃から
毎年のようにずっと可愛がって遊んで
あげてた子だった。

中国の空港など手荷物検査の列が1km以上!
になってたこともしばしばあった。
時間通りに飛んだらかなりラッキー。
搭乗口など1分前に何の予告もなく
変更されるなんてのもよくあって
緊張してないと置いてかれる。
中国南部が大寒波の時には、24時間以上
飛行機が飛ばなくて客が一部暴徒化して
受付カウンターの上に乗っかり
「飯よこせ!」の大合唱。
航空会社が給食のようにご飯を運んできて
お陰で飢えずに済んだ。

インドネシアでは友人が賄賂を使いVIP待遇。みんな税関や検疫で長蛇の列を作ってるのに
特別な出口をノーチェックですり抜け
サクッと入国、並んでる何百人の人達から
「あいつだけなんで特別なんだ!」💢と言う
視線を一身に受け。

空港にはいろんな思い出がまだまだ一杯ある。


ご霊場マップ

昨晩というか今朝までのJ氏ご夫妻とのサミットは、わずか数時間の休憩時間を挟み再開。

5番霊場・島原水屋敷を経て8番霊場・喫茶店パストラーレまでご案内したところで残念ながら時間切れ。サミット閉幕。「岐阜に帰って飲み直そう!」という不思議なお別れの挨拶になりました。ご夫妻には全ての霊験アラタカナ霊場をご案内できなくて残念でしたが、これは次回のお楽しみです。

私が島原に来るようになってもう18年。その間いろんな飲み屋さんや名所をいろんな方から紹介していただいて、私の頭の中には「島原不思議霊場7番」マップが出来上がっています。要するに私の琴線に触れるような一般の観光マップには載ってないような面白い場所7選です。数多くの面白プレイスから7箇所限定にするので大変な作業ではありますが、お陰様でかなりレベルが高い選択になったと自分では自負しています。

さて、今日は気付けば大晦日。

大晦日の夜は、もう10年以上 3番霊場バーの「GOOD MAN」で年越しすると決まっています。よって、この店では毎年大晦日12時近くになると毎年私達一行を待っていて下さり、「おお、現れましたなMr.大晦日の男!」と迎えてくれます。親戚の男衆と居合わせたお客さんと元気に酔っ払いながら「HAPPY NEW YEAR!!」帰り間際には必ず「今年もう一度やってきます!」そう、今年の年末の大晦日にまたやってくるので今年中というのはうそではありません。

恐ろしく寒い夜道を「GOOD MAN」を後にしてアーケード商店街の飲み屋さんを求めてさまよう酔っ払い男衆。あっという間に時間は過ぎて・・気付けば・・ああ・・今日も朝の4時まで梯子してみんなで飲んでしまいました。

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Jサミット

J氏ご夫妻が岐阜は瑞浪から島原に訪ねに来てくださいました。J氏は元外国船航路の無線士で世界60カ国を股にかけ、その後の経歴も何冊もの本に出来るほど面白い経験をされてきた人物です。奥様は大学の看護課の教授で、彼女が島原ご出身、J氏も同じ長崎県五島のご出身、で、今はたまたま岐阜の隣町にお住まいと言うご縁からこの年末島原サミットが実現しました。

雪降る島原にご夫婦の到着直後、島原一番霊場(と私が個人的に呼んでいる)古本屋「吉四六」さんへ。許された者だけが通していただける奥の間にて古代史のお話から始まりお泊りの南風楼で乾杯開始~アーケードの居酒屋~スナック七万石~鉄板焼こばち(7番霊場)~スナックラブラブ(準霊場)を経由し完全に雪見酒・・気付けばオヤオヤ朝5時(爆)

このご夫婦とのお話はどれだけ時間があってもたりましぇん~。

J氏とお会いしたのはわずか一ヶ月に満たない時間ですが、島原で飲み交わせる喜びと幸せを感じながら、世代を超え旧知の友といった錯覚に陥ります。

J氏ご夫妻朝までお付き合い頂き誠にありがとうございました。

しまばらスタート。

 

 

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ごゆっくり

中部国際空港セントレアから長崎へ。航空会社も経費削減の折、今まで無料だった機内サービスのコーヒーも300円の有料になっていました。

それでもお茶と水だけは無料で「では、お茶を」とお願いするとスチューワーデスから「かしこまりました」と小さな紙コップにお茶を注いでもらいます。ニッコリ満面の笑顔で(無料の)お茶を渡されるときには「ごゆっくり、お召し上がりください」って・・・ごゆっくりお召し上がりになるほど紙コップは大きくなく、更に無料のお茶をごゆっくりお召し上がりになるほどリッチな気分にもなれず一気に飲み干す。

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納会

今日は仕事納め。朝から林酒造さんのイベントでお餅の販売、道の駅可児ッテさん、渡辺酒屋さん、個人宅さんに配達を終え、夜にはいつもお世話になっている福地の佐々木建築さんの盛り上がっている納会にお邪魔しました。

薪ストーブを囲み林酒造さん会長さんから頂いたうなぎと、社長さんから頂いたお酒と、社長のお姉さん(料理研究家)から頂いた自家製ローストビーフに舌鼓。酒を酌み交わし、みんなでゲラゲラ笑って納会も無事終了。大工さんに建具職人に板金職人に農民の飲み会はとにかく酒が飛び交い痛快です。都会の人が見たらちょっとタジログに違いありません。

今年も最後までありがとうございました!明日から長崎は島原です。みなさんも一年間お疲れ様でした。

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苦笑門

ああ、今年が終わっていくぅ~。去年の年賀状はこんな感じでした。今年のは今朝までかかってやっと完成。師走ですね。今日もあっち行ってこっち行ってバタバタの一日でした。今年最後もバタバタするくらいやることがあって本当にありがたかったです。

帰って来たら深夜12時まで仕事場で農機具屋さんと打ち合わせ。昨日ある農機具の5年ローン(我が社にとっては巨額ローン)がやっと終わって「ああ、何とか払えたぁ・・」とホッと胸を撫で下ろしていたら・・・農機具屋さんその情報をしっかり知っているんですね~ぇ。(泣)年末にもかかわらず間髪入れずに次なる農機具の売り込みです(爆)「笑う門には福来たる」とは言いますが農機具ってどれもウン百万円単位だから夜12時までず~っと苦笑い。

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最終28日

28日は仕事納めです。可児市・林酒造さんで行われる「新酒試飲量り売り」で一日お餅販売にお邪魔します。量り売りは28日29日30日と3日間開かれます。

写真はお酒の一生プロジェクトでみんなで作った田の神さまです。田んぼから今は酒蔵さんに鎮座して酒の絞りまで見守って頂きました。お酒は無事に完成したそうです。このまま年を越して年明け新年会でみーまさんに再び遷都される予定です。

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正月休み

今年はいろんなことにチャレンジした年でした。このブログもそう。

いいこともそうでないことも盛り沢山あって、結局のところ「いいこと」も「そうでないこと」も「実は無いのだ」と言うことを学びました。

ただ、この一年はちょっと特別・・きっとずっと忘れないと思います。

さて、年内のお米の発送などは12月28日(火)で終わり、新年は1月7日から始めます。

お正月は嫁さんの実家・長崎県島原市に帰省します。

つい一カ月前に瑞浪市の百姓学校で初めてお会いした元航海士と大学教授のJ氏ご夫妻。12月30日には忙しい中を島原まで来て下さり一緒にワーワーやります。今年は最後の最後まで楽しくなりそうです。

写真はお酒の一生プロジェクトでご一緒しました可児市の「林酒造」さんの「恒例・新酒試飲量り売り」のご案内です。こちらをご覧ください。 http://www.minotengu.co.jp/index.html

 

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出会いの一年

品川の飲み屋街の一角にあるその名も「腹黒屋」やる気のネーミングです。

名古屋に帰り「みーま」さんの飲み仲間、K氏、M氏、H氏と合流。今池の新たなお店を教えてもらい、新栄ではフランス料理のシェフと出会い今年の数多くの人との出会いを象徴するかのような楽しい晩になりました。みんなみんな自分の仕事にプライドを持ってがんばってます。自分では経験できないことを沢山教えてもらい、自分をつくってもらうありがたい仲間達です。気付けばあと一週間でお正月。はやっ。

 

さて、名古屋今池たちのみBAR「みーま」さんから新年のご案内を頂きましたのでご覧下さい。 http://www.tebakara.com/index.htm

 

「お酒の一生プロジェクト」新年会。
開催日時決定。

1/15(土)6時頃~9時頃
詳細後日。
とりあえず、日時決定、そのうちにご案内します。
早めに日程の確保をお願いします。
只今のところ、立ち飲み形式、30人ほどを予定しています。
お早目のエントリーをお願いします。

田植えした米がお酒になりました!
林酒造「みーま1号」(福地五百万石純米大吟醸)
1.8L  3,500円
720ML 1.800円
詳しくは、店頭で。

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神宮外苑

ただいま東京は神宮外苑ロイヤルガーデンカフェ青山から更新しています。

店のパソコンからの更新、田舎者にはなんだか変な気分です。

神宮外苑のいちょう並木通りの入り口に位置するこのカフェは落ち着いた感じのオシャレなお店です。立地条件もバッチリで周りの環境も「ここは東京?それとも福地?』というくらい木が沢山なので神宮に行かれたらお立ち寄り下さい。

外苑から青山のフランフランへ。商品陳列がとても楽しいお店で勉強になりました。たまの東京は街歩きするだけでも楽しくてヒントが一杯。

ロイヤルガーデンカフェ http://royal-gardencafe.com/

フランフランhttp://www.francfranc.com/

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再会

東京の日野自動車のエンジニアとして一年間再来日した中国人青年・於君25歳。

彼は数年前、可児市のマンションに同じ中国人技術者3人と住んでいて、私がよく彼等のマンション上がり込んでは、一緒に遊びに出掛けたり仲良くさせてもらいました。於君が中国に帰国した後も今年2月上海で再会、現地では大変お世話になりました。先日再来日の電話をもらいこの度品川で再会。

年齢差約20歳の中国人青年と日本人オッサンの、単語や文法や発音の間違いはお互い一切指摘し合わない、優しくもかなり怪しい中国・日本語会話が品川に響く夜。

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行進裏話

楽しかったパレードからもう3日も経ってしまいました。行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・時は一瞬も止まらず進んでいきます。

昨日まであった飾り付けされたトラクターはもうありません。

さて写真はトラクター飾り付けで個人的に一番気に入っていた大行燈。みんなに事故がないように般若心経をしたためてみました。クリスマスなのに。

行進しながらガンガン流すクリスマスソングには北島三郎「北の漁場」他の演歌を数曲を忍ばせ、みんなからは大ブーイングの中、山ちゃんと北島三郎のこぶしの入った歌声を拡声機でガッツリ熱唱~(爆)クリスマスなのに。

今日は仕事場の大部分を占拠していたトラクタートレーラーを外に出し、やっと心置きなく仕事が出来る態勢で気持ちよく精米作業。気付けばお正月まで残りわずか10日。あぁ光陰矢のごとし。

 

 

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解体

今日はパレードを終えての疲労感が体を覆い放心状態、それでも仕事を終えた夜は4人の仲間とトラクターの飾り付けの解体作業。何日もかかった飾り付けも本番は当日僅か2時間でその役目を終え全て解体されます。ちょっともったいない気もするけれど、花は散るから美しい。そこが他の公園や家に飾られたイルミネーションとは全く違うところです。

わずかな時間に強烈に光を放つからより鮮烈に自分達や人の記憶にも残るというものです。全てを撤去したトレーラーの上で仲間と互いの話を咲かせました。準備が大変だからこそ楽しみも大きくなります。仲間達最後までありがとうございました。福地のクリスマスはこれで、お・し・ま・い。

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誰だ国境を引いたのは

朝方までパレードの打ち上げ2次会。朝からみんなで昨晩のパレードの会場とコースの清掃。あぁ、まだトラクターの飾り付け解体が残っている。

午後はいつもお世話になっている可児市国際交流協会のフェスティバルに。

パレードにご参加の名城大学K教授はこの協会の理事、同じくパレードに参加の呉服屋K氏、私の3人がバラバラにお邪魔しました。この3人、つい数時間前まで朝方まで一緒に飲んでて、ここでまた再会(笑)。協会メンバーのブラジル人の何人かも昨晩のパレードにご参加の仲間で「昨日は楽しかったね~」とここで再会。

写真はフィリピン(山岳民族?)の踊り。会場はブラジル、ペルー、フィリピン、中国、イスラエルなどなど多国籍で盛り上がっていました。

そこで以前から知っているイスラエル人H氏としばし話をしていると「山田正隆、好久不見(お久しぶり)」と上海にいるはずの中国人友達Y氏からお電話。再来日して東京に一年いるとのこと。また面白いことが起きそうです。

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ありがとう ありがとう 

寒い中ご参加の80人のサンタクロースさん、沢山のギャラリーのみなさん、遠方から激励のご連絡を下さったみなさん、ありがとうございました!!お蔭さまで「福地トラクターパレード2010」は無事に終了しました。ホッ。

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あと1日

トラクターパレードまであと1日。今日は百姓学校さんが電飾を飾り付けする馬車を仕事場に引き入れ、東京から来られたA氏S氏が電飾されるシャベルローダーをお貸しした後、名古屋で開催の「新農業ゲノムプロジェクト愛知シンポジウム2010」に直行。イネゲノムと新品種の難しいお話を分り易く教えて頂き、パレード関連で方々に連絡を取って福地へ帰り、我がトラクターの飾り付けの仕上げをしてたら「あぁ、日付変更線」。くまさんや山口生花さんみーまさんから激励の言葉を賜りました。下段左が朝の百姓学校号の馬車の原型、それが名古屋から帰った夜には下段右の状態になってました。これからパレードで流す音楽の編集にかかります。

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暖簾分け

実はトラクターパレードの発祥の地は福地ではありません。

私の農業の盟友くまさん(中津隈氏)のアイディアで京都・綾部市で始ったのが最初です。

もう15年程前になりますかね。くまさん毎年のようにトラクターパレードを見においでと私を綾部に誘ってくれてたんです。

一度は見に行きたいな~と思っていたのですが、行きそびれていた10年前の11月、私、徹夜が二晩続いた仕事疲れで夜に軽トラを運転中、居眠りして車をひっくり返してしまったんですね。

車が横っ飛びして「ああ、車って空飛べるんだ・・」って目が醒めて、次の瞬間には死ぬかと思いました。車は廃車。

朝になって「人間いつ死ぬか分らないなぁ。くまさんの所に見にパレードを見に行っている時間はない!福地で始めてしまえ!」ってナゼカシラ思ってしまったんです。

くまさんには後日快く暖簾(のれん)分けして頂き、福地で「見たことはないが、トラクターパレードというものがあるらしい。やろう!」と仲間に声を掛けて回りました。「ダメなら一人でやるか・・」とも思っていたのですが、ところが次々に「面白いじゃん」て予想外の反応。田舎の人は手先が器用でいろんなものを作ることに長けているんです。

それで事故から僅かな2週間経たないうちにトラクターパレードを始めることになりました。

 

その後京都のくまさんの所のパレードは、長らく10周年を迎えたところで幕が降りました。中心リーダーのくまさんに負担があまりにも集中し過ぎてたんですね。当時くまさんがどれくらい大変な思いをしたのか私にはよ~く分ります。

案の定、始まった福地のパレードも最初の5年ほどはいろんな負担がかなりの部分言い出しっぺの私一人に集中していました。正直ホント辛いことも多かったけど、今となってはお金を出しても出来ない経験を沢山して人生の勉強になりました。

今は、役割はみんなで分担するのでだいぶ楽になって「ありがたや~」

お蔭さまで今年は福地もパレード10周年を迎えることが出来ました。

暖簾分けして頂いた盟友くまさんの10周年に並ぶことが出来て嬉しく思います。あなたに出会わなければ福地でパレードはあり得ませんでした。

パレードが始まる瞬間、毎年必ず私は盟友くまさんのことを思い出します。

「くまさん、今年も沢山の笑顔を生み出してくれるきっかけを与えてくれてありがとう。」

 

 

 

 

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輩(やから)

せちがない世の中、この年末の忙しい中、仕事以外で体力と時間と手間をかけて自分自身のみならず、みんなにも幸せを振り撒こうとするこれらの輩はみんな馬鹿者で、みんな幸せ者だと思います。

勇気もやる気も優しさも努力して出していないとすぐにしぼんじゃう。

人は人に喜んでもらえて幸せになれる。

他人と自分の境界が溶けていく瞬間。

時間を使って、頭を使って、体を使って、お金も使って、最後は「感謝」が残る。

いよいよパレードまであと2日。

明日は、名古屋でイネゲノムと稲の新品種のシンポジウムに出席してきます。

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涙の「乾杯」

こちらは大工のI氏と八百津町役場のK氏が飾り付けしているトラクターです。こちらもパレード3日前にして突貫工事中。お蔭さまで我が台は今晩の作業で何とかほぼ完成に漕ぎ着けました。

電飾を数多く付けるのでバッテリーの電気量では遥かに足りず、各トラクターはガソリンエンジンの発電機を積み込みます。ところが、これがクセモノ。

パレード中にエンストしたり、ガス欠したり、配線がショートしたり、ひどいものは配線が燃え出したりとトラブルの主因です。

ある年など、さて出発しようと発電機のスターターの紐を引くと紐が「プチッ」と切れたら最後、もう二度とエンジンは掛かりません。これまで何晩も何晩もかけて作った電飾が一度も輝くことなくこれでパー、水の泡、頭真っ白。その時はたまたま仲間が予備の発電機を持っていて大急ぎで発電機を載せ換えてギリギリセーフでした。

パレード初めの年など、まだみんな電飾にもパレードにも慣れてなかったので発電機のトラブル、エンジントラブル、などで次々とパレード中にトラクターが故障、なんと12台中4台があえなく途中でリタイヤ脱落し8台だけが戻って来たこともありました。

ある年は、トラクターと飾り台がカーブで「ボキッ!」と折れ、慌てて乗っているサンタ達が降りて手で押さえながらゴール。またある年には出発した途端にトレーラーが「パーン!!」と声高らかにいきなりパンク!「何晩も寒い中苦労して飾り付けしてしてきたのに~!」泣く泣く離脱していきました。

今まで全車トラブルなしの年はありません。

そんなこんなで初回からある伝統が生まれました。

その年トラブルの起きた台の運転手がパレードの打ち上げで「乾杯~!」と音頭を取ることに。ああ、誠に不名誉な「乾杯」の音頭取りは、お互いに飾り付けの苦労が「寒いほど」分るので、実はトラブルに見舞われても落ち込むなと言うみんなの優しさでもあります。(ホントか?)

お蔭さまで私の台はロープライトがショートしバチバチと煙を出し燃え出しながらも、M氏が「俺達が苦労して作った電飾を消してたまるものかっ!」と根性で両手で押さえながらゴールした以外に、これまで大きなトラブルもなく「乾杯」の音頭をとったことはありません。

さて、記念すべきパレード10周年を迎える今年。

号泣しながら笑って「乾杯!」の音頭をするのは誰だ!?(笑)

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6人

トラクターを大の男6人がかりで寄ってたかって飾り付けしているところです。車体は銀紙で巻き左右のガラス窓も撤去し電飾をギンギンに付けていきます。パレードではクリスマスソングをガンガン鳴らします。あとは音響と配線と細かな照明の追加。仕事が終わってからの寒い中での連日の準備作業に流石に疲れてきましたが、当日の天気予報は今のところ晴れ。さあ、あと4日。

 

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真剣

パレードの飾り付けに励む仲間達。大工のI氏、八百津町役場G氏、建具職人G氏、写真家K氏、私、それに今晩は八百津町の水野設計室M氏がご参戦。この真剣な表情を見て下さい。飾り付けも突貫工事で終盤を迎え、みんなのアイディアで今日はまた面白い飾り付けが出来ました。作業が終わったのは今晩も12時。寒い中、みなさん本当にお疲れ様でした。幸せだなぁ。

福地小学校はこの春廃校になりましたが、パレードには廃校時の教職員8人が勢揃いで参加されると言う嬉しいお知らせもありました。前に勤めていた小学校に全教職員が再集結するなんて聞いたことがありません。学期末で忙しく、遠くに転勤された先生も何人もいらっしゃるのに、本当に嬉しいことでついホロリ。

パレードまであと5日。

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あと6日

Tシャツ職人を目指すK氏が作ったTシャツ(シルクスクリーンプリント)。思わずストーリー展開を考えてしまう絵柄で、理屈抜きに私のツボにハマってしまいました。「ああ、この後どうなるんだろう?!」緊迫した3人の表情、婦人の頭だけ変えられた色、構図のバランス、Tシャツなのに見た瞬間にそれはTシャツを超えてます。ちなみにこのTシャツ、K氏がプレゼントして下さいました。ありがとうございました!嬉しい。

今日も建具職人G氏と八百津町役場T氏と私の3人でトラクターの電飾の飾り付け作業。Tシャツ作りと同様ただ電飾で綺麗なだけでなく、見る人達が思いっきり笑顔になれるような飾り付けや仕掛けができたらいいな~。

パレードまであと6日。

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妖精?妖怪?

大学時代はアイスホッケーをしていまいた。ホッケーとフィギュアの違いはあるものの、スケート技術は基本同じなのでフィギュアスケートを見るとついついスケーティングの足元ばかりを見てしまいます。

スケートって転ぶとハンパなく痛いですよね。私も練習中転んで腰を強打、一カ月松葉杖だったことがあります。プロテクターをつけているアイスホッケーでもそんな大怪我をします。それに比べて彼女達は防具なしの生身。しかも空中で何回転もするなんて本当に恐ろしくて信じられません。それともひょっとして彼女達に痛点はないのか!?

もう一つ信じられないのがあの耐久性です。アイスホッケーの試合ではプレーヤーとベンチの控えの選手とが30秒程で必ず交代します(ベンチでは秒数を計る役がいます)。なぜ30秒かと言うと、信じられないかも知れませんが、それ以上は辛すぎてプレーできないのです。スケートとはそれほどタフな競技です。試合状況によってはたまに交代できないで60秒もプレーを続けていると、全くと言っていいほど動けなくなり「なにやっとんじゃ!コラァ!早く交代せんかい!」と確実にベンチの全員から怒鳴られます。ところがフィギュアスケートのフリーは2分30秒?ゲゲゲの長すぎ・・全く想像を超えた世界です。ひょっとして彼女達には3つも4つも心臓が付いているのか?

ちなみに当時一流選手になるにはリンク代とコーチ代で家が一軒建つと言われてました。

だから、いろんな意味で一見可愛らしく見える「氷上の妖精」は、私にとっては「氷上の妖怪」にも見えてくるのです。

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キッパリ

先晩4人でパレード準備、休憩タイムの一コマ。頭の中は仕事・パレード準備・仕事・パレード準備・・・仕事をしているとパレードのことが気になってしょうがなくなり、パレードの準備をしていると仕事のことが気になってしょうがなくなるので誠にどっちつかずの今日この頃、トホホ、困ったもんです。自分のトラクターの準備だけでなく、円滑にことが進むよう裏ではいろんな調整ごとや参加者の方々への連絡が必要で、あっという間に一日が過ぎていきます。

みんなも忙しい師走に準備が大変過ぎて、今年は参加断念の車両も何台かあります。

いいんです、それで。こんなこと人からプッシュされてやれることではありません。

みんないろんな忙しさや事情を抱えながら集まって、ひと時を・一緒に・楽しむ。

今年の参加者も約80人の大所帯。でも人数や盛大さに意味はほとんどありません。「盛大」「有名」「誇示」・・勘違いはいつもここから始まります。気をつけよう。だから「なんで断っちゃうんだ!勿体ない!」という意見も今まで沢山あったけど、毎年のように来るテレビ局のパレード取材依頼は一切キッパリお断りさせてもらってます。仕事でも同様にお断りしています。(ただし地元密着ケーブルテレビさんとお互いに校正が出来る記事についてはみんな納得の例外)

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寒くて熱い福地

今日は一時雪で吹雪ました。外は雪の降る山の中なのに、うらら牧場横のK氏Tシャツ工房は大賑わい。TシャツK氏は尾張旭市から、Tシャツ大量発注をしに来てくれたのは可児市のマルホウ呉服店K氏、そこに土岐市から画商Mちゃんが遊びに来てくれ、私を含め8畳ほどの狭い工房で不思議な集い。Mちゃんが到着するとそれまで吹雪いていた空から日差しが・・「Mちゃん、あなたはもしかして晴れ女?」と尋ねると本当に「はい、晴れ女で有名です」と笑顔。

3人には製作途中のトラクタートレーラーを見て頂きました。一同「おお、デカイ!」現在我々のトラクターチームだけでも参加予定者は私、可児市K、可児市N、尾張旭K、八百津M、小牧K、福地I、福地G、名古屋X、福地G、八百津Kの11名(場合によってはこれに名城大学学生15名が加わる)大所帯。みんなで盛り上がりましょう!一緒に盛り上がりたい方は誰でもOK急ぎエントリーして下さいね。(当日飛び入り参加はできません)

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極み

トラクターパレードの準備の遅れを取り戻すように急ピッチで作業を進めています。今晩も各々の仕事が終わってから深夜まで建具屋G氏、写真家K氏、八百津町役場G氏、大工I氏、私の5人で作業をしました。

写真左奥はトラクター、手前が飾り付けをして引っ張るトレーラーです。フラットなトレーラーが一日で二階建ての構造物に変わりました。二階部のお立ち台を作っている二人を見て頂ければ、大体の大きさが想像できると思います。「去年と同じ台では面白くない!」と毎年けなげに出し物を変えてしまうので、前年の作りモノの経験が役立ちません。

そこで、製作に当たっては緻密な設計と仲間との統制の取れた意思統一・ミーティングを十分に重ね・・・など一切ありません。「ほんじゃ、今年もやるべ。」と、設計図全くなし!(爆)イメージ図すらなし!(大爆)それでも「どうなっているのだ!?」という人もなく作業が進み、形になっていきます。誠に自分達にとっても不可思議な現象です。

グハハ・・まさに行き当たりばったりの極み!「これでいいのか!?」あと10日でパレード。

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素敵>馬鹿

仕事場にトラクターとトレーラーをパレードの電飾の飾り付けをする為にドッグ入りさせました。準備には相当な時間と労力がかかります。パレードまで(わずか)残り11日。今年は例年になく遅い準備始めになってしまいました。

これから連日頭の中はパレードのオン・パレード。

準備初日の今日は建具屋G氏・写真家K氏・八百津町役場G氏と夜7時から11時過ぎまで製作しました。本番はたった2時間のパレードですが、準備には恐ろしく時間と労力がかかり、一銭の得になるどころか、お金もかかるばかり、寒い夜の仕事場で凍えながら黙々延々と製作していると身も心も疲れてきて「オラ、何やってんだろうなぁ・・馬鹿だなぁ・・」と思えて来ることも実は度々あります。でも、そんな心理を乗り越えて連日深夜まで仲間達と製作し続けていると不思議な感覚に陥ります。「普通ならやらないよなぁ。こんなことをやれるって幸せじゃん。素敵じゃん。へへん。」

12月18日、福地クリスマストラクターパレードはお蔭さまで10年目を迎えます。

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みなさんごめんなさい!

柄杓片手に顔をしかめつつ「みなさんごめんなさい!」と言っているのは、お酒一生プロジェクトのthe田植えでご一緒したW氏(この春横浜にご転勤)。先日は彼と横浜で朝まで飲み交わし、今回は彼がわざわざ休暇を取って横浜から八百津~可児お酒巡り。花盛酒造さんでは蔵の中を丁寧にご案内頂き、林酒造さんではみんなで仕込んだお酒の醸し具合を拝見。「みなさん私だけ先にちょこっと味見させて頂きごめんなさい!ほんのちょこっとです。」杜氏に案内して頂いた樽の中を覗きこむとまだプツプツとお酒は息をしていて、芳醇なリンゴのような甘い香りがフワ~。「こりゃスゴイ!うは~いい香り!」

お邪魔しました林酒造さん、花盛酒造さん、渡辺酒屋さん、佐々木建築さん、今日は大変お世話になりました。

今日は彼とご一緒させて頂き、彼のお酒に対するまなざしの優しさに感心し勉強になった一日でした。遠く横浜からお酒の出来をずっと気にして下さっているW氏、そして彼とのご縁を作って頂いたみーまさん、田植えの仲間のみなさん、そして今日ご一緒させて頂いたTシャツK氏・R氏あらためて「ありがとうございます!」

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つながったのかつながっているのか

百姓学校の忘年会にお誘いいただき瑞浪へ。忘年会最中、トンボ玉作家W氏によるトンボ玉体験教室もあり、20人ほどの忘年会は楽しく深夜に及びました。今晩初めてお会いしたJ氏に「九州にはご縁があって、私の父は熊本出身、嫁さんは長崎出身です」と話していると「なに?」J氏も長崎県五島のご出身でした。その上偶然にも私の嫁さん・J氏の嫁さんも出身地が長崎県島原市と言うことが判明。酔っ払い二人の話し言葉は途中から完全に長崎弁。「山は、よか男ね~!」

氏は世界60カ国を股にかけて仕事をされていたそうなので、面白い話が沢山聞けそうと楽しみにしていたのですが、結局長崎話一色で朝5時、時間切れ。お楽しみ話は「お正月の帰省・長崎県島原でしよう!」言うことになりました。世の中広いようで誠に狭い。

写真はトラクターパレードのカウントダウン表示板と担当K氏。あと13日でパレードです。

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軽トラ?家?

軽トラの様な家、または家の様な軽トラ。今日同じ八百津町内からトンボ作家W氏が一度お会いしたいとご来福。この軽トラの荷台に載っている家は、実はトンボ玉工房になっています。イベント会場に到着すると家の三方が開いてトンボ玉教室に早変わりするそうです。気合い入ってます。屋上は緑化されて、屋根は一面芝生が張ってあるそうです。いろんな人がいるものですね。そんなこんな話をしているとW氏私と同じ歳と言うことが判明。盛り上がったついでにW氏と共に今晩は瑞浪市の百姓学校忘年会にお邪魔します。忘年会・・一年があっという間に過ぎていきます。

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何のために

睡眠時間を削って半ば気を失いながらやっと辿り着いたDVD最終第11巻。中国語のリスニングの練習にと思って見始めたものの、内容が日本の昼ドラの上を行くグデグデさ。目を覆うばかりのグデグデの展開に、とても中国語どころではなく「もうやめてくれ~」というストーリーに最後までお付き合い。グデグデなら途中で見るのをやめてしまえばいいのに、そこが人間の弱いところです。結局最終話終了後も何とも言えない生ぬるい風がしっかり体にまとわりついてました。ただ、イケ面でない中国人俳優さんの演技は上手かったです。

全11巻を看破して覚えた中国語フレーズがたったの二つ(爆)

え~っと、一つは・・・あらら・・もう忘れてる!なんだ自分がグデグデじゃん!

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現代農民の携帯メール

可児市道の駅「可児ッテ」さんから11時12時13時15時18時20時に毎日送られて来る売り上げ状況定時連絡メールです。現在11種類の商品を置いていますが、売り上げがあると定時集計で商品×単価×売上個数=合計金額が自動配信されて来るシステムです。売り上げの多い日は「ありがたや~」少ない日は「うむむ?ひょっとしてサイバーテロで数字が改竄されているのでは?」と、どうしても一喜一憂してしまいます。ちなみに売り上げが一つもないとメールは一度も配信されません(涙)山の上にいながらにして売り上げ状況が分かり、商品の欠品が出ないようにとのシステム、非常に便利で現代的ですが・・売れば補充に往復約2時間、売れないと精神的に右往左往でどちらにせよ一日中とらわれることになります。ありがたいようなそうでないような、嬉しいような悲しいような、でもありがたいような・・まずどっぷり一度は漬かってみる覚悟でいます。毎日の記録を取り続けていると、数字からうちの商品に限らず今お店で何が起こっているのか、どんな状態なのかがおおよそ読めるようになります。

 

 

 

 

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観自在菩薩=観音

一年は早いですね~もう師走。そんな中、待ってました、カラーレーザープリンター。インクジェット印刷は水に弱く滲むし、ランニングコストや耐久性を考えての購入です。我が村の先輩I氏が所長のCanonにお願いして購入しまた。普通の小さな会社でも標準装備されているカラーレーザー。16年農業を続けてやっと買えました。だから嬉しいです。そう言えばお昼に横浜から電話を頂いたW氏もCanonさん。

さて、来春からM木材会社さんの100坪の倉庫を賃契約させて頂くことにもなりました。レーザープリンターも倉庫も直接農作業には関係しないように見えるかも知れませんが、どうしてどうして実に大事な構え・展開の一歩です。現代の百姓は農作業だけをしていてはダメで、浅くても全方位の知識が必要です。・・と言うかこれ、何の職業でも同じですね。

さてさて「Canon」って会社名としてはなかなかセンスのいい響きですが、語源は「観音」だったってご存知でしたか?実にありがたい社名です。

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よだれ

コシヒカリ・ミルキークィーン・たかやまもち(もち米)・ひだほまれ(酒米)・五百万石(酒米)・あきたこまち・はなの舞・赤米・黒米(ジャポニカ)・黒米(インディカ)・緑米・香り米・大黒米・ひとめぼれ・まなむすめ・亀の尾・・・まだあったかな?気付けば16年間で作ったお米の品種は16品種にもなっていました。多分県内を見渡してもこれほど多品種を作った農民はいないと思います。一つ一つが私にとって大事な勉強、貴重な実地経験です。

今日はOO県の農業試験場から新品種シンポジウムのご案内の電話を頂きました。この試験場は農民では知り得ない次元の違う研究をされていて、研究の主任が親しくして頂いているK女史のお兄さん。私が東南アジアの国々に行くのも、お米のルーツと言われる中国雲南省に毎年行っているのも現地の稲を勉強できるからですが、この主任さんが得意なのは何とアフリカの稲。この試験場にはアフリカの稲の他200種類もの稲が見られます。本では知ることのできない遺伝子配列レベルのお話と実用直前の新品種のお話が聞け、う~~~~ん、こういうのワクワクします。こういうの、よだれが出てきます。があ~楽しみ!

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これも出会い

みーまさんにて「秘密のお酒の会」参加の皆さん。みーまさん、全8種類のお酒の飲み比べと美味しいアテ、楽しい時間をありがとうございました。立ち飲みBARもこの日は特別に椅子席。ところが習慣とは恐ろしいモノです。椅子に座ったみんな「なんか違う。落ち着かない!あぁ立って飲みたい~(笑)」実際通称「先生」は家ではわざわざ立って飲むそうです(爆。 大分県出身通称「博士」K氏はまだ若いのに日本酒の経験知識共に造詣が深く「知らないことはあるのだろうか?」と毎度驚かされます。喫茶店経営通称「ひろみちゃん」はどのお酒にもウンウンと頷いきながら「あ~これもおいしい~♡」お酒達も喜んでいました。私は味そのものより、お酒の作り手のご苦労やストーリーに思いを馳せるのが好きです。日本酒って一口目と二口目、三口目と四口目で味がどんどん変化するのを知ってますか?知れば知るほど奥が深くて楽しいですよ。あぁ、今日も新たな仲間と新たなお酒と出会えてたのしかった~!謝謝!

その後「博士」と二人、アンダーグラウンドな「エンディ」スタートで今池のパトロール開始。博士と別れ一人でパトロール中「どうですか一杯?」と聞いて来る見知らぬ客引きのお兄さんを、逆に説き伏せて関係ない店に引きづり込み「逆客引き」成功、一緒に飲んでしまいました。海老蔵にならないよう気をつけます(緊)

 

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お酒のお勉強

ここがよくブログに登場する名古屋今池にある日本酒立ちのみBAR「みーま」さん。一昔前の立ち飲み屋さんとはイメージが全く違います。2階は有名なライブハウス「TOKUZO」。

今日は「みーま」さんで「秘密のお酒の会」

日中は目一杯仕事頑張って行って参ります。いろんな珍しいお酒が頂けるそうです。今日は店内は禁煙・素行の悪い人は即退場と言う真面目な会らしいです。先日もマスターから電話があって「山ちゃん今回は酔っ払わないように!」と直々に事前注意がありました。お酒頂いてどうしたら酔わずに済むのだ?(爆)と言うことで、いつになく真面目にお酒に対面してきます。

酒米(真面目に言うと酒造好適米)をつくる農民としてお酒の味・ラベル・蔵の考え・みーま店主の会の進め方・お酒の紹介の仕方・お集まりのメンバーの言動・立ち居振る舞いetc・・せっかくの機会、いつもと違う感覚で真摯に勉強してこようと思います。福地からはいつもの飲み仲間・佐々木建築S氏も一緒にご参加。いかん・・いつもの単なる酔っ払いで終わらないように彼とは離れていよう。

みーまさんHP→http://www.tebakara.com/index.htm

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やっぱり裏アリか。

副題は「大嘘だらけの食料自給率」。時間を見つけては今読んでいる本です。日本の食料自給率は41%で低いから自給率を上げよう!と聞いたことがあるかも知れません。農民には(私も)「日本の食料は我らが作っているのだ」と言う自負心がどこかにあります。ところがこの本、農民の「自給率自負心」を根底から覆すような本です。残念ながら短いブログで説明するにはちょっと難しいカラクリですが、内容には今のところほぼ納得。端的に言うと食料自給率の低さは作られた数字で、さて、何のための数字かと言うと国民のためではなく農水省や全農林の為に存在している数字だと言うことがスパッーと分り易く書いてあります。だとすると・・食料自給率を声高に叫ぶ農民はアホと言うことになってしまいます。まだ半分しか読んでませんが、これから後半の内容が楽しみです。やっぱりカッコいい言葉や大義名分には裏があったか・・それにしても為政者側の「だましのテクニック」はいつも流石で感心します。

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スーパーバイザー

この前収穫が終わったと思ったら、もう来年の作付計画。経験や本からでは補えないことに直面した時は、岐阜県の農業機関(お米の試験場)の稲作専門技官K氏にいつもお尋ねしています。もう15年も前からのお付き合い♡今日もある品種の栽培について「おぉ!そうだったのかっ!目から鱗!」まさにスーパーバイズ。

私もお米の勉強は嫌いではないので、市販されている稲作の本は片っ端から読み漁り、17種類?のお米を作り、経験年数も16年、稲作の理屈はそこそこ分ったつもりでいるのですが、どうしても理屈や経験からでもガテンの行かない理解不能なことが度々起きる訳です。そんな時K氏に尋ねると必ずどの本にも載ってない、例えば遺伝子の話などからも理路整然とお話し頂ける訳です。こういうちょっとやそっとでは聞けないお話はタマリマセン、目がランランしてきます。

帰り道、以前から気になってた中国語教室に立ち寄って中国人先生と中国語で短い面談。で、「あなたの様な方はグループレッスンには向かないのでプライベートレッスンをお勧めします」・・って・・どういう意味?(笑)

 

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来たれマジな若者

就職超氷河期らしい。大学を卒業したら必ず就職しなければならないらしい。優良企業に入ったら沢山お給料がもらえて安定した生活が望めるらしい。こんなに内定率が低いのに、就職するのでなく自分の力でお金にすると言うもっと高尚な発想はないらしい。

就職超氷河期と言うものの中小企業の募集には振り向かないらしい。結局仕事を選んでいるだけらしい。大学は就職予備校化しているらしい。親が就職活動の手伝いをするのは当たり前らしい。

入社試験に100社も落ちて、それでもなお入社試験を受け続けるのは根性人と呼ぶべきなのか?単に価値観や発想が変えられず、あくまでも、絶対に、何が何でも、会社から給料をもらわないと気が済まない人なのか。もうそろそろ気付いてもよさそうなものです。みんながちゃんと希望の就職できる恵まれた世界なんて元々ないってことを。ちょっとの時代の幻想でした。

さてさて、無ければ自分で頭使って体使って何とか食って行くしかないですもんね。これが世界の当たり前。もしかしたら、いい時代になっているのかも知れません。

本気で農業に生活と人生かけてみようと言う方がいましたら是非山ちゃんまでご一報ください。(マジです)

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笑顔

アンパンマンが「パン」ではなくて「お米」飾り巻き寿司に。カワイイ♡そして見掛けだけでなくホント美味しかったぁ~。これ、今日ご来福された八百津給食センターN女史の作です。

N女史と初めてお会いしたのは廃校数か月前の福地小学校保健室、その時の会話はきっと一生忘れないだろう盛り上がりで意気投合、私は一度に女史のファンになってしまいました。まさにバイタリティーの塊の様な方で、料理・花・陶芸・絵・ガラス・菜園・バレー・ゴルフetc・・くやしいくらい何でも自分でやっちゃう。いつでもどこでも「アンパンマンだろうが何だろうがスパ~ンと手巻きにしちゃいます!」と言う意気が・粋で・生き生き・私や周りまで気持ちを晴れ晴れさせて下さいます。Nさん、いつもありがとう~!!トラクターパレードも一緒に楽しみましょう~!!  

12月1日山ちゃんのお米「古代黒米」が町内の学校給食に出ます。YMCA時代に子供たちのアトピーや喘息をたくさん見たことが農業をやることになる元々のきっかけでした。黒米を食べてくれる町内の子供たちも、このアンパンマンのように笑顔でいてくれると嬉しいです。

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プロですね~

タイムカプセルのシールを中津川市の看板屋さん「マツバクラフト」さんにお願いしました。

円筒にシールを貼るのですが、そこはプロの技、正面・高さなどのレイアウトから貼り付けまでの作業が

一ミリのずれもなくビシッとしたお仕事でした。手を抜かず、しっかり仕上げる。シールを貼るという一見単純な作業の中にもプライドや思いを垣間見た気がしてとても参考になりました。彼の作る看板のクロワッサンやフグも本物そっくり。マツバクラフトさん、ありがとうございました!またお世話になります。

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ひょっとして生きてるのか?

球体関節人形製作作家に出会いました。

本物の人間と見間違わんばかりの力作に、ただただ圧倒。

現実と独特の空間に引きずり込まれます。 

さてこの人形作家は誰でしょう?  ↓をクリックhttp://www19.jimdo.com/app/sc0a9dead5e8c5ff1/pcc7d88168b18238f/

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カウントダウン

みんなが通る県道脇の掲示板に小学生たちが登校日のカウントダウンを始めた。全校生徒は9人だから8日からスタートして0日まで一人ひとり数字とコメントを書き上げた。「あと8日」は一年生の作品。「いままでありがとう」数字の8の中の顔は涙を流しながら、でも笑っている。深い・・実に深い・・・ 君の感性におじさんは脱帽だ。

 

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残りわずかな日々

3月中旬~の小学校職員室の予定の書かれた黒板。

毎月予定が書き込まれてきたこの黒板・・

あぁ・・・もう来月は新しい予定が書き込まれることがないんだな~

子供たちの声も先生の声も、もうこの校舎からは聞こえないんだな~

とても信じられない、なんだかとても不思議な気持ちです。

 

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福地小学校廃校記念タイムカプセル設置

最後のPTAとなるみんなと共にタイムカプセルを製作しました。吊り下がっているのがそれです。

どうですこの斬新なデザイン

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お疲れ~

私の大事な娘うらら。馬は横になると内臓に負担が掛かるので、一日1~2時間ほどしか横になりません。その代わり立ったままで居眠りする名人です。今日は珍しく牧場でゴロリ。お疲れなのかしらん。馬としては既にご高齢のマダムうらら。これから春に向かって冬毛が抜けていきます。どういうセンサーが働いて毛が抜けるタイミングを決めているのかいつも不思議。

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「冬は何してるの?」とよく聞かれます。

畦や田んぼの修理はユンボでしてます。

休耕田を含めると山ちゃんの任されている田んぼは111枚。

あんまり田んぼが多くて機械を使わないととても補修ができません。

この時期は百姓というよりは、さながら土木作業員です。

何日も何日もユンボに乗り続けますので、腰が痛くなります。

 

 

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