見えないモノを見る

最近の雨は激しい。日差しが無い夏に加え、稲達はよくぞこんな雨にも風にも耐えていられるものだと感心しきりです。でもこの雨や風がないとやっぱり稲はできない。少なくてもダメ、多くてもダメってことだけど、人間の都合のいいようにお天道様はしちゃくれない。それが当たり前の自然現象。その自然からお恵みの一部「お米」を頂く。だからお天道さんに感謝。天に文句を言うとそのまま自分に戻って来るのは自分も自然の一部だから。

原発で天を汚してしまったから、私達も汚れる。原発事故の時「ゴメン、知らなかった」という言い訳の代償は、こともあろうか子供や胎児たちに向けられる。責任がなく、最も弱く、最も守られるべき存在に一番の被害が及ぶという悲劇。「目に見えない。時間が経たないと分からない。」と言う。だけど、目に見えるようになった時、時間が経った時、私達は2度目の言い訳をするのだろうか「ゴメン、知らなかった」。知らんぷりはもうできない。