前後半のギャップ

先日見たイラン映画が反体制派の人たちが
主人公ならばこの映画は体制派の家族の物語。
「聖なるイチジクの種」

前半はさすがイラン映画、人物の細かな
心理描写が丁寧でいい。
ところが後半はどうしてそっち行っちゃうの
と言う無理無理単純な展開に残念さが残った。

そう言えば般若心経も前半は量子力学にも
通じる究極の真理が書かれてるのに、
後半はこのお経は凄いから信じなさいと言う
どこかの信仰宗教のような、前半と同じお経?
と首を傾げたくなるような内容。

この映画も般若心経も前半後半で監督や
作者は別人なんじゃないか?
で、それを無理にくっつけて一つの作品に
繋げちゃったんではないか?という
あくまでプライベートな疑念を持っている。