広島から80年

広島原爆から80年。
この日が来るといつも思い出す。
アメリカに留学してた36年も前、広島長崎の
原爆についてアメリカ人の何人もの学生と
議論になった。

「あの原爆がなければ数十万人のアメリカ
兵士が死んでた。だからあれは正義だ」
口々にそう言うアメリカ学生にびっくりして
囲まれて私は言い負かされた。

今なら「あの原爆投下は明らかな国際法違反、
謝罪してほしい」と言い返せる。
だいたいアメリカの大学生は地理にとても弱く
日本がどこにあるのか知らないばかりか
「日本は中国のどこだ?」と聞かれたのも
一度や二度ではなかった。

反対に日本軍が南京で殺した人数は何千人か
何万人だったのかなんて議論はもういい。

日本軍は外国の中国に軍隊を送って殺した。
その日本の言い分は、日本を「守るために」
仕方なく中国やアジアに進出し、殺した。

アメリカ軍は長崎広島の一般人の上に
凄惨な原爆を落とした。
アメリカの言い分は大勢のアメリカ兵士を
「守るために」仕方なく原爆を使用した。

ウクライナだってロシアだってみんな自国を
「守るために」仕方なく殺し合ってると言う。

だから洋の東西をとわず「守るために」と
聞いたら要注意。
どの国も戦争は必ず「守るために」仕方なく
始めるのだと言う。
つまり「守るために」と言い始めたらそれは
「攻撃する」とほぼ同じ意味だと学んだ。

原爆を始め戦争で310万人の日本人が死んだ。
その310万人が教えてくれたことを
無駄にするものかと思う。

80年前の朝8時15分、広島市で私は妻や
まだ小さな子供と楽しげに話をしていた。

そんな私と私の家族の上にアメリカは
アメリカを「守るために」と言って
原爆を落とした。

「守るために」と誰かが言い出したら
私は反射的に疑ってみる。