銀シャリ

ただただ白いご飯の上に卵、海苔、いくら、
ふりかけ、漬物、なめ茸などなどシンプルな
おかずを乗っけただけの写真を集めた本。
シンプルなのにじつに美味しそう。

今はお米あまりの時代だけど、日本人は
ずっと食べるのに苦労してきた歴史。
庶民がお米を十分に食べられるように
なったのはやっと戦後のこと。

それまではお米は権力者の食べる贅沢品、
貨幣の代わり、富の象徴でもあった。
麦混じりではあったけれど軍隊に行けば
お米がお腹いっぱい食べられるのを心底
楽しみにしていた若者は多かった。

銀シャリのシャリとはお釈迦様の骨、
仏舎利が語源、輝くほど艶やかな
白飯のことを言う。
日本からの食糧が途絶えた南方戦線で
「もう一度銀シャリを食べたかったな」と
言って餓死していく兵隊も多かった。
「銀シャリ」という言葉を聞くと私は
お米に対しての羨望の感とそこはかとない
寂しさをいつも感じてしまう。

今は飽食の時代。
ご飯のことをわざわざ銀シャリとも呼ばない。
外国産小麦でできたパンやパスタや麺が
お米を駆逐して、そのかわり農家は
田んぼでお米を「作らないと」僅かな
減反補助金をもらえる。

一度耕作しなくなった田んぼが再び
お米作りの田んぼに復活することは
ほぼほぼない。
街では田んぼはビルや住宅地、工場敷地に
姿を変え、高齢化した田舎ではどんどん
荒地と化している。
銀シャリという言葉も
もうすぐ通じなくなるに違いない。

日本の人口1億2千万のうち輸入が止まれば
10分の9は餓死する。
国を守るってアメリカ製の一機100億を
遥かに超す戦闘機やミサイルを
買っている場合か、さめざめと泣けてくる。
そんなことにうつつを抜かしてる間に
今まで足元から地域が崩れていく過程や
田舎の現状をまざまざと見てきた。

どんどん急速に廃れ荒廃していく田舎の
田んぼを見ていると、日本人は一体どこに
向かってるのか、いや、連れられていくのか
心底不安になることがある。

幸いウチにはお米は売るほどある。
ウチがお米を作ってる間は、
もし万一なにかエライことが起きたら
家族を連れてウチを目指して来てほしい。
ずっと前から本気でそう思って
お米を作ってる。