ひまわり

イタリア1970年の名作「ひまわり」
デジタルリマスター版が岐阜市の映画館で。
ソフィアローレンがもっと好みの顔だったらなぁ。

夫婦が戦争で引き裂かれ、
戦後ソ連とイタリアそれぞれ
家庭を持って元には戻れない物語。
映画の中で出て来るソ連の地方は
いまのウクライナ。

日本でも夫が徴兵され外地で戦死の公報、
戦後残された妻が仕方なく再婚したところで
戦死したはずの夫が戻って来るという話が
たくさんあった。

当時は家を守るために再婚相手が
夫の兄弟というケースも多く、
より状況が複雑になることも。

戦争に追いやる側は人の人生が狂ったところで
何とも思わないし責任も持たない。

見も知らぬ外国の密林で餓死や戦病死、
南方の島に辿り着く前に輸送船ごと溺れ死ぬ、抑留先のソ連のツンドラ地帯で凍死する。
一体誰にどんな権利があって多大な人々に
そんな辛酸を舐めさせ、死地に追いやる
権利があるというのか。

「名誉」や「国家」なんてのは戦争や
死に追いやるために非常に便利な言葉。
落ちもしないミサイルに国民を恐怖させ
防衛費をガッポリ増加させるなんて
いとも簡単なこと。

防衛費なんて聞こえはいいけれど、
僕らの税金はそのままアメリカの軍需産業様
に消えていく。
そんな勝手なことしていいと思ってるのか?
と聞けば、国家の危機ですから!
国民の生命と財産を守るためですから!と
大義名分を声高に叫べばフリーパス。

お金かければ守れると言うのは幻想。
国家予算を全部防衛費に使っても守れない。

洋の東西を問わず
「金持ちが戦争を始め、貧乏人が戦死する」