クラウドファンディング

可児高校ではフィールドホッケー部の
キャプテンだった。西日本大会ベスト8。
当時のポジションはスイーパー、
足だけは速かった。

オリンピックに出場した顧問の先生から
国体や早大(先生の母校)に推薦してあげると
言ってもらえたけど高校3年間で
もうお腹いっぱい(T ^ T)お断りした。
去年40年の歴史、可児高校ホッケー部は
廃部したらしい。 

スケート未経験だったけど神奈川大学では
憧れのアイスホッケー部に入った。
未経験でもがんばって4年生で
神奈川県ベスト6選手に選出、副キャプテンも務めさせてもらった。
ポジションはレフトウイング、スケートは
並みだったが陸上ホッケーの経験のお陰で
ポジショニングはまずまず、リバウンドを
「ごっつあんゴール」するのが得意だった。

その後北アイオワ州立大学に留学、
英語も喋れないのに一人で校内中に部員募集の
張り紙をしてアイスホッケーチームを立ち上げた。

農業に就いてからは名古屋のインライン
ホッケーチームから声がかかり
監督兼選手としてプレー。

フィールドホッケー、アイスホッケー、
インラインホッケー、3種類のいずれも
マイナーなホッケーを全て網羅した人は
天然記念物オオサンショウウオより
きっと希少だろう。

今回、神奈川大学アイスホッケー部の
後輩たちが、高騰する防具や活動費で
クラウドファンディング。
アイスホッケーは防具に用具、リンク代、
合宿代、とにかくお金が恐ろしくかかる。
私たちが学生の時ですら一人年間
数十万円はかかってた。

入部したはいいが全くの未経験、
スケートが滑れず氷の上ではヨチヨチ
小学生達に馬鹿にされて転びまくって
何度も大怪我して歯を食いしばったあの頃。
それから40年近くが経つ。

現代のお米作りで根性論は通用しないけど、
農作業で辛い時にはよく
「あの大学アイスホッケーの地獄の練習を
思い出せばこんなの屁だ!」
と何度も自分に言い聞かせて来た。
今ある自分は間違いなくアイスホッケーの
お陰でもある。

後輩たちのクラウドファンディング。
出番だな。
喜んで。

それにしても創部が昭和20年終戦の年とは
知らなんだ!