御嶽宿(みたけじゅく)

中山道、御嶽宿(みたけじゅく)。

八百津町の東も西も南も隣接する街には
江戸時代の大動脈、中山道(なかせんどう)が
通っていて御嶽宿は日本橋から49番目の宿場町。
残念ながら八百津町には中山道は通ってない(T ^ T)

日本橋から京都まで宿場数は69。
例外を除いて現在の大きな国道やバイパスは
旧中山道からは別の場所を通っているので、
その分宿場町は寂れてしまっている所が多い。
どの宿場町も昔栄えた本陣や大きな商家の多くは
今や市町村管理の資料館になっている。

八百津町もかつて木曽川の船運物流終点地で
ほんの一時期だけ栄華を極めた。
ほんの一時期。
それまで長らく栄華を独占してたのは
八百津町の下流の兼山という街。
女郎屋だけも10軒以上あったそうだ。
兼山も今はそんな栄華があったなんて
信じられないほど静まり返ってる。

栄えるには地理的条件に加え例えば塩や
海産物などの「専売」権利を幕府から
もらっている場合が多い。
もちろんその見返りに専売をもらった街や
商家は幕府に多額のキックバック献金をする。
森友や加計学園と同じ政府お墨付きの特権。
ここ御嶽宿もやはり塩の専売権利を
認められていたそうだ。

権力者が代わり、専売権利が消滅すると
その利権を今まで指をくわえて見ていた隣町が
一挙に同じ商売を始めて旧街道街は廃れていく
と言うのが一つのパターン。
その時起こるのが、どうか専売権利を
外さないでくださいという時の政府に
対する旧勢力の嘆願。更なる多額の賄賂。

専売にあぐらをかいて本当の商売、
つまり工夫して売る思考回路を長らく
停止していれば専売制がなくなれば
あっという間に衰退するのは
当然の成り行きなのだろう。

時代の流れと言ってしまえばそれまでだけれど、
自分だったらどうしただろう。
旧宿場街から学ぶことは多い。

今回は御嶽宿だったけど中山道は駅伝みたい。
次の宿場町を訪れるのが楽しみになった。