8月6日

広島の原爆でその年だけで21万人の人が亡くなった。

主語は広島や福島やガザやアフガニスタン。

主語を自分に置き換えてみる。

 

僕は通学途中でピカドンで苦しんで死んだ。

私の妹と母は一瞬にして・・・。

私の妻と子供は生き残ったが内蔵が・・顔が・・。

私の恋人が・・赤ちゃんが・・

私は一瞬で骨まで焼けて死んだ。

それまで幸せだったのに。

最後に水が飲みたかった。

僕は訳も分からず死んだ。

死んだのは戦時中の広島の人ではない。自分だ。

 

誰でも自分に重ねて想像することはできる。

ところが、想像ができないから原発は再稼働し核兵器を持とうとし、集団的自衛権が通る。「繰り返しません過ちは」合掌するだけでは許されない。