2011年

5月

23日

適応職

震災直後に救援物資にお米を出させていただいた名古屋H氏。その後彼は仕事の合間を縫って石巻や東北の支援を続けてされてます。頭が下がります。今は福島市の果樹園で放射能を測定しながら放射性物質を少しでも除去出来るような方法を模索しておられます。私は農業からの意見をさせてもらってます。

お茶をはじめたくさんの農産物に広範囲に影響が出始めています。改めてエライコトニなっているという実感をひしひし感じます。

これからまだまだ大きな変化がやってきます。農業は環境適応職です。どんな環境にも対応していく心構えだけは出来ています。そのためにも多くの引き出しを持っておきたいものです。

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コメント: 1
  • #1

    W氏 (月曜日, 23 5月 2011 16:22)

    元神戸YMCA(当然、阪神の被災者)で、横浜Yを経由して、現在、国際医療支援団体総主事である友人のコラムを無断で転載。ゴメンなさいO氏!(世界中の被災地を回っている)
    重たい通信をいただきました。


    4. 今月のコメント~今月も「震災」一色です。ご容赦ください。
    l 被災地の光景―生きた証
     5月初旬の1週間ほどの被災地の旅。インドネシア大津波の後のスリランカ、破壊し尽くされたアフガニスタン・カブールの無惨な光景と重なり、戻った後も、心も体も鉛の如くずっしり重いままです。・・・新生釜石教会前の赤テントの「街角保健室」に協力しています。行き交う人たちが立ち寄り、お茶を飲みながらお話とケアも、という“まちのほっとステーション”です。あるご婦人は、「家は基礎から跡形もなく洗い流された。そして夫も。けれど先日(夫は)見つかった」と。それを聞いていた同じく被災者の若者が「見つかっただけ良かった。うちはまだ親類が2人行方不明のままです」と。さりげなく交わされる、悲痛な会話。私たちはただ聴くばかりでした。・・・釜石市文化会館で、瓦礫撤去で見つかった写真・アルバム・証書や位牌などの展示があるとのことで、「何か一つでも見つかれば」と釜石に来られたのでした。「何か一つでも」、それはかけがえのない、生きた証なのでした。

    l “瓦礫(おもいで)”―命の深さ・広さ・尊さ
     瓦礫撤去で見つかった残留品・遺品・・・一つひとつに暮らしのぬくもりがありました。一つひとつが何かを語りかけているようでした。「生きたかった」と。
     受付のノートには、「写真1枚・位牌一つ・生徒手帳1冊・確定申告書類」、などと記帳されていました。生徒手帳
    1冊・・・、「あるはずだった」明日、続くはずだった日々。一瞬にして断ち切られてしまいました。
     釜石で出会った僧侶は、瓦礫と化した仏壇の「魂を抜き」、解体する作業をしていました。犠牲者の検死に立ちあう医師のお話も伺いました。名前が特定できず、「番号」となった遺体の確認。過酷な現場です。
    亡くなられた方々の火葬の前に弔いの式を執り行う宗教者のことも聞きました。様々な形の被災者支援があること、命の深さと広さと尊さを学んだのでした。

    l 想定外と想定内
    「想定外」~原発事故に際し、某電力会社が頻繁に使った言葉です。原発事故直後から海外のメディアは“クライシス”を報じ、自国民を退避させる国もありました。時間がだいぶ経って、「実は・・・」と次々と明かされる事実。私たちは、海外のみならず様々な媒体、何より「人つながり」で原発の恐怖という、封印されていた<不都合な真実>を知る伝手がありました。国内報道は、既成事実の「上書き」の印象でした。
    けれど、とどのつまり「想定外」、という言葉に押し込まれ、責任はどこかへ逃げたままです。
    「☆原子力村用語辞典/安全=危険が発覚しないこと、科学的合理性=学者が理解できる範囲、核燃料サイクル=原発を永続させる呪文、想定=限界強度に収まること・・・」(朝日 2011.5.17 /素粒子)
    結果、“エクソダス”(集団脱出)を余儀なくされた民・・・。愛する故郷を逃れ、移民となった人たち・・・。
    一方、「想定内」というTV 番組がありました。東京ディズニーランド特集(フジTV/Mr. サンデー)です。
    ・ TDL の従業員は9 割がアルバイト。しかし年180 回も園のどこかで防災訓練があり、非常時は指示待ちではなくスタッフ個人の判断で行動してよい。・・・私はTDLの広報担当者でも、民放TVの宣伝マンでもないのですが、その番組からTDLでは「何が最優先されるべきか」という哲学が隅々にまで行き渡り、笑顔を絶やさず実践されたことに驚きました。
    想定「外」で信用を失い、想定「内」で信頼を得る。分かれ目は「普段の行い」と「現場(人)への信頼」でした。それは教訓であり、命綱でもあります。