敗戦記念日

どうした訳か小学生の頃から戦記ものを読んだりお年寄りに戦争の話を聞くことが大好きでした。大人になってもそれは続き、数えきれないくらい戦争関連の本を読んで、大学生の時には自衛隊の幹部候補生を受験しようとマジに考えたこともありました。そんな私に見えてきたこと。

 

「戦争」とは自分や家族や友人が腕をもぎ取られ、内臓や目玉が飛び出している光景です。

 

これが想像できないと「愛国心」や「忠誠」や「大義」などの言葉に惑わされ利用されます。

それほど私達は弱く浅いです。

自分の最愛の人や自分自身の致命的な傷を目の前にした時、大義も愛国心もへったくれもありはしません。

 

勇ましい言葉が踊るのは戦争中も現代も変わりはなく、人はある昂揚感を持ってそれらの言葉に酔う事で、起こり得る痛ましい光景の想像力を奪います。

そもそもあれ程沢山の人が、まだまだ生きたかったろうに何のために死んでいったのか、死に追いやられなければいけなかったのか。反対に殺さなければならなかったのか。

どれだけ大義や美辞麗句を並べてみても納得できません。

それは、あれ程沢山の亡くなられた兵士・主婦・赤ちゃんの一人がハッキリ「自分」だと想像できるからです。

あんなに沢山の人(自分)が亡くなったのだから、誤魔化さない。

 

サムライ・武士道・大和魂・日本男児・そん言葉にも実は実体なんかありはしません。昂揚感を持った言葉の幻想の危険性。

「戦争」とは自分や家族や友人、または自分が腕をもぎ取られ、内臓や目玉が飛び出している光景なのですから。

私達は浅くて弱い。それを利用する側は頭がイイ。

いつも注意していないとまた同じ事を繰り返し、知らず知らずにNOと言えない体制に組み込まれます。

だから一見正義に見えたり、一見カッコ良い言葉にはいつも気を付けています。

 

さて、映画「切腹」はとてもいい映画だと思います。あえて戦争映画ではありませんが、武士道や名誉・魂・誇り・家柄などの言葉の幻想がよく出ている映画だなぁと思います。この映画、白黒映画ですが非常に評価の高い有名な映画でビデオ屋さんには大抵あります。ちょっと残酷なところもありますのでそう言うのに弱い方にはNGですが、よかったらいつか観てみて下さい。