山ちゃん:山田正隆プロフィール


紆余曲折を経てたどり着いたお米作りもお陰様で25年目になりました。

  アメリカ留学➡警視庁➡横浜YMCA➡米作り

 

     留学から警視庁へ〜

大学を卒業後、私はアメリカの片田舎アイオワ州に一年半ほど留学しました。当時その大学には30数ヶ国からの留学生たちが寮で生活していて、毎日いろんな国の留学生と話ができました。

 

そんな中、若かりし私が一番ショックを受けたのは、中南米や東南アジアの友人たちの母国の治安の悪さ、悲惨な社会情勢の話でした。日本では安全は空気みたいなものですが、彼らの家族や親類がいかに危険で悲惨な環境下にいる話を聞いて次第に「人にとって一番大事なのは治安ではないだろうか」自然にそう思うようになりました。

 

一度しかない人生、自分なりに価値のある生き方がしたい。「警察官になって人々の安全を守ろう。」

こうして、留学中はFBIや現地の州警察、郡警察、町警察などを見て回り、日本へ帰国後迷わず警視庁警察官になりました。

 

人には何かしら取り柄があるもので、警察学校を卒業するとすぐに検挙率は署内でトップになりました。「困っている人を助けるんだっ」毎日のように起きる事件の対処にやりがいを感じ大忙しでした。

今思い返しても警察官は天職だと言えます。

ところが・・・毎日たくさんの少年犯罪と接しているうちに疑問を感じていきました。

 

       警視庁からYMCAへ〜

治安も大事だけれど・・捕まえても捕まえても犯罪は一向に減りません。これではモグラたたきと一緒ではありませんか。よく考えてみれば、本来、人を捕まえることより悪さが起きないことの方がいいに決まっています。どうしたら人は悪さをしないだろう・・と思考えていると「人にとって一番大事なのは教育ではないか」という考えに行き着きました。

 

自分の大事な一生をかけていく仕事です。治安から教育…天職と思えた警察官からの方向転換には、ずいぶん悩みましたが「よし、一度しかない人生、教育にかけてみよう!」警視庁を辞め、青少年の教育に力を入れている(財)横浜YMCAに転職する決心をしました。

 

        YMCAから農業へ〜

横浜YMCAでは願いが叶い、子供たちの野外教育を担当させてもらえました。年がら年中子供たちとキャンプや山登り、海に雪山。泣く、叫ぶ、喜ぶ、抱き合う、喧嘩する、歌う、食べる、寝る、「都会の子供たちを自然の中で思いっきり遊ばせることができる」ダイナミックな毎日に、この職もやっぱり天職に感じられました。

 

ところが、キャンプに参加する多くの子供たちがアトピーや幼児糖尿病、喘息などに苦しんでいました。そんなこどもたちの姿をたくさん見たことで、またまた疑問を感じ始めます。

「子供たちとのキャンプは本当に楽しいけれど・・いくら教育がよくてもこんなにたくさんの子供たちが健康に苦しんでいる。。この苦しみは食べ物が原因なのではないか?・・私に安全な食べ物はできないものだろうか・・」

 

そんなことを考えている最中に阪神大震災が起き、横浜YMCAから西宮YMCAに救援スタッフとして派遣されました。

被災直後で水もガスも出ず、物資もなかなか届かない中、やっと届いた賞味期限切れのおにぎり一つ、カップラーメン一つが、なんとありがたかったことでしょう。

子供達への安全な食べ物への想いとが相まって「人にとって一番大事なのは食べ物ではないのか」疑問は確信に変わりました。

「人生を安全なお米をつくることにかけよう!」結局お世話になった横浜YMCAを辞め、何も知らないお米作りの道に入りました。28歳の時のことです。

    

          農業をはじめてから〜

農業を始めて最初の数年は、精神的にも肉体的にもギリギリでほとんど記憶がありません。ただ、たった3日目であまりの農作業のキツさに「農業は想像以上に辛過ぎる。農業を選んだのは失敗だっ(号泣)」半泣きでそう思ったことだけは覚えています。

 

知識も経験もゼロ、ただ「安全なお米を作るんだ」という気持ち一つで始めたお米作りでしたが、振り返ってみればあっという間です。いろいろありましたが、お陰様で農業人生も現在24年目を迎えました。

 

         農家になってよかった〜

今は食べ物があふれている異常な飽食の時代です。

本来ありがたいはずの食べ物が、ややもすると悪者扱いされることすらあります。無炭水化物ダイエットをはじめ、見た目や数値が最優先される、心や本質とはかけ離れたおかしな世の中です。

「農業に転職して何が一番よかったですか?」と聞かれることがよくありますが、私はお米作りを通して毎日食べ物に対する畏敬の念やありがたさを実感できる人間になれたとことが、一番うれしいことだと思っています。

 

    このホームページでは、お米作りや商品を通して、私が気づけたこと、大事に感じたことをみなさんに少しでもご紹介できたらと思います。

少し長い自己紹介になってしまいましたが、よかったらどうぞお付き合いください。

 

                                          山ちゃん(山田正隆)



父:熊本県熊本市、母:福島県郡山市                            

昭和41年生まれ

 岐阜県可児町立春里小学校 

可児市立蘇南中学校 

可児市立西可児中学校 

 岐阜県立可児高校普通科

岐阜県有数の進学校になるとは知らず

ニコニコしながら新設高校に入学。

開けてびっくり、強制勉強漬けの日々に心から

この学校に入ったことを後悔。

生まれ変わったら、この高校には二度と行かないことと

将来絶対先生にはならないことを心に誓う(涙

 陸上ホッケー部キャプテンで、進学校でなぜか筋肉を鍛える日々。

勉強のため強制的に部活を辞めさせられていく多くの同級生の中で

しぶとく運動部を続けたお陰で、いわゆる足の速い子枠

みたいな扱いで人生最大のモテ期が訪れる。

英語の期末試験で学年180人中178番の成績を収める

下にまだ2人いると思いきや、先生から呼び出され

「山田な、この時2人風邪で欠席だからなっ。」

「えっ。それって。」うなずく先生。

 

神奈川大学法学部法律学科

待ってました!暗黒の高校時代から解き放たれる青春期

アイスホッケー部、劇団、バイク、 バイト

中国アジアへのバックパッカーに明け暮れる

ほとんど寝た覚えがない

東京自由が丘の広告代理店に就職を決めるも

「やっぱり、世界が見たい!」

アメリカに留学する(公式見解)

・・・大学時代に好きな女の子に振られ続け

「同じ日本の空気を吸うことが耐えられない(泣)」と

ヘタレな自分を認め

アメリカに海外逃避する(非公式見解)

 

 

アメリカ北アイオワ州立大学 

全く英語が話せないのに「えいっ!破れかぶれだ!」と

アメリカの岐阜県のような所に約一年半留学する

この大学が一番学費が安く、日本人が少ないとのことで。

「これはペンです」的な英語力にもかかわらず

「えいっ!破れかぶれついでだ!」と

大学でアイスホッケークラブを作る。

大学のHPによると、今ではこのアイスホッケー

立派なクラブに成長しているが、その成り立ちが

英語が苦手な日本の青年が身振り手振りで

アメリカ人を集めたとは載っていない。

そういえば、集まったアメリカ人の半分くらいは

アイスホッケーなのにアメフトの防具を身に着けていた(爆)

語学コース、その後の学部での同級生は36か国。

多くの中南米・アジアの留学生仲間の影響で

「人にとって一番大事なのは治安だ!」

帰国後警察官になることを決める 

 

警視庁警察官警察学校

超自由な羽ばたけるアメリカ生活から帰国

一転、警察学校という6か月間の超管理閉鎖社会に隔離される。

「なんじゃこりゃ!?」

不条理のオンパレードも今からすれば

何冊も本が書けるくらいの笑いネタ豊富な監禁生活

白いものも黒と言われれば黒です!と言えるようになる。 

学科・拳銃・運動と人生最高の成績で

卒業式では同期80人中2番の成績で無事ご卒業

成績優秀者は父母まで表彰され「誉れ高い息子」として

意気揚々と所轄警察署に配属

 

警視庁王子警察署 

配属されてすぐに検挙率は署内でトップ争い。

署内の検挙率ドル箱ルーキーとして大事にされる。

ある種の才能なのか、当時はすれ違うだけで悪い人が分かった。

 今でも警察官が自分にとって天職だったと思う。

続けていれば、間違いなく公安部の配属

ちゃんと出世もしただろう。 

ところがちょっとこれは言えないが、警察の数々の闇を見てしまい

仕事は「天職」だったが「転職」することに(号泣)

 多くの少年犯罪ともいたちごっこを繰り返し

治安は確かに大事だけれど、私にはもっと大事なことがあるのではないか

「人生をかけるべきは教育だ!」

と(天)職を決意する。

「誉れ高い息子」がそうでなくなるので

父母が大変なショックを受ける

→自分自身の人生を歩む覚醒と決意をする。

 

 

(財)横浜YMCA健康教育部

野外キャンプ担当 多数の企画を任せてもらう。

よく終電逃して徹夜で仕事して、

朝掃除のおばちゃんにほうきで

つつかれて起こされてました。

当時も仕事場に泊まるのはご法度だったので、

見つかって始末書も何度も書いて、

上司から「お前、始末書書くのうまいなぁ。

どこで覚えてきたんだ?」「あ、警察です・・」

 無人島から北海道の雪洞泊など

年中子供達とのキャンプ漬けの日々

そんな楽しい毎日を送りながらも

多くの子供達がぜんそくやアトピー、

幼児糖尿病などに苦しむ姿を見て

教育も大事だけれど私にはもっと大事なことがあるのではないか

「人生をかけるべきは食だ!!」

と辿り着き農業を目指すことに。

  企画力や創造性はYMCAで随分鍛えられました。

現在、古巣横浜YMCAの保育園の園児たち

山ちゃんのお米を食べて育ってくれています。

こんなに嬉しいことはありません・・

YMCA在職中の夢が実現しました(号泣)

 

農事組合福地ハイランズ

「安全な食べ物を作るぞ!」

ならば「米だ!」何も知らずに就農 

米の作り方も経営もド素人から始め

毎日が心身共にギリギリ

はじめて5~6年間の記憶がほとんどない

農水省・認定農業者

岐阜クリーン農業

馬のうららを飼う

福島原発事故~400万円を投資して放射能測定を始める

文科省・第2種放射能取扱主任者

(社)穀物検定協会穀物検定員

 

 農業生産法人

株式会社 福地ハイランズ

2013年農事組合法人から株式会社に組織変更、

代表取締役就任、就農25年目を迎える

農業という狭い枠にとらわれない

自由な発想・経営を目指す

ならば「お米のことならなんでもやるぞ!」

これまで作ったコメの品種は15種類以上

お米のルーツ中国雲南省には約10回

台湾・フィリピン・タイ・カンボジアなど

東南アジアの国々やイタリアで農作業の道場破り

マレーシア・ミャンマー・フィリピン

・ラオスでは農業指導

酒蔵さやお菓子屋さんとのPB日本酒や甘酒など新商品の開発

 

お米作りは幅も奥行きも無限。

農作業はきついことばかりだけど、いい仕事につけて幸せです。

「お米を開放することは自分を開放すること」そのもの。

これからももっともっと農業やお米を自由な発想で

解き放てたらいいなぁ。

そんなことを考えながら日々を過ごしています。