
塚本監晋也監督「野火」
戦後70周年記念製作だから観たのはもう
10年も前。
1959年製作市川崑監督「野火」を観た上で
塚本監督がどこをどう変えまたは買えなかった
のかを観たいと思いつき2度目の鑑賞。
塚本監督自身が主演にリリーフランキーに
中村達也、特に中村達也の醸し出すオーラには
圧倒される。
親戚のおじさんは多くの戦死餓死者を出した
インパルー作戦の狼兵団の英語通訳兵だった。
生き残った過程がまるで小説「野火」
戦後、彼は農業界のカリスマ福岡正信氏と共に
かつてインパール作戦の舞台となったビルマで
食糧増産のため稲品種「ハッピーヒル」を
普及させる運動に励んだ。
きっとビルマの人達への贖罪の意味も
あったのだと思う。
そんな話を最晩年の病床で本人から直接
聞けたのは今では宝モノの経験だった。
もう一人の親戚おじさんは戦後ソ連に抑留され
厳寒の中、戦友一人と一晩中肥溜めに首まで
浸かって収容所から脱走した経験を話して
くれた。
極寒の肥溜めは糞尿まで凍って思ったほど
臭くなかったそうだ。
そのおじさんはいつも厳しい目をしていた。
笑った時もどこか目の奥が厳しかったのを
覚えてる。
もう一人のおじさんは千島列島の陸軍航空隊の
隼戦闘機のパイロットだった。
アメリカの爆撃機B24を僚機と撃墜した時、
落下傘で脱出した空中のアメリカ兵を僚機が
射撃して慌てて止めに入ったそうだ。
その山田准尉の話は本にも何度か出てくる。
そんな親戚のおじさんもみんな亡くなって
今はもう聞けない。
だから「野火」のような庶民兵士の視点で
描いた映画はとても貴重。
一見勇ましい話、名誉な話で戦争に向かわせる
臭いを嗅ぎ取った時には必ずこの映画を
思い出そうと思う。
(Amazonプライム)
戦後70周年記念製作だから観たのはもう
10年も前。
1959年製作市川崑監督「野火」を観た上で
塚本監督がどこをどう変えまたは買えなかった
のかを観たいと思いつき2度目の鑑賞。
塚本監督自身が主演にリリーフランキーに
中村達也、特に中村達也の醸し出すオーラには
圧倒される。
親戚のおじさんは多くの戦死餓死者を出した
インパルー作戦の狼兵団の英語通訳兵だった。
生き残った過程がまるで小説「野火」
戦後、彼は農業界のカリスマ福岡正信氏と共に
かつてインパール作戦の舞台となったビルマで
食糧増産のため稲品種「ハッピーヒル」を
普及させる運動に励んだ。
きっとビルマの人達への贖罪の意味も
あったのだと思う。
そんな話を最晩年の病床で本人から直接
聞けたのは今では宝モノの経験だった。
もう一人の親戚おじさんは戦後ソ連に抑留され
厳寒の中、戦友一人と一晩中肥溜めに首まで
浸かって収容所から脱走した経験を話して
くれた。
極寒の肥溜めは糞尿まで凍って思ったほど
臭くなかったそうだ。
そのおじさんはいつも厳しい目をしていた。
笑った時もどこか目の奥が厳しかったのを
覚えてる。
もう一人のおじさんは千島列島の陸軍航空隊の
隼戦闘機のパイロットだった。
アメリカの爆撃機B24を僚機と撃墜した時、
落下傘で脱出した空中のアメリカ兵を僚機が
射撃して慌てて止めに入ったそうだ。
その山田准尉の話は本にも何度か出てくる。
そんな親戚のおじさんもみんな亡くなって
今はもう聞けない。
だから「野火」のような庶民兵士の視点で
描いた映画はとても貴重。
一見勇ましい話、名誉な話で戦争に向かわせる
臭いを嗅ぎ取った時には必ずこの映画を
思い出そうと思う。
(Amazonプライム)