
7月22日コシヒカリ出産第一号の稲穂。
うれしい、心からうれしい。
史上最速。
今年31年目のお米づくりだけど、
うれしさは慣れることがない。
それは駆け出しの頃より年々増していて
今日は出産した第一号の穂を見て
ありがたくて思わず涙ぐんでしまった。
若い時は農作業に慣れるのに精一杯だった
けれど、今は稲を愛でる余裕がある。
31年で本当にいろんなことが起きた。
たくさんの人と出会ったし
別れも見送りもたくさん経験してきた。
ぴょんぴょん跳ねるように農作業してたのに
今ではほんの小石に躓いて畦で一人転んでる。
昨年東京で結婚した娘はまだ影も形も
なかった。
苦労しても金銭的に報われない仕事だなぁ、
これからどうなるんだろうと不安になった
日もたくさんあった。
よし、これからは海外だ!とアジアの国々の
稲作地帯を周り、国際開発コンサルタントや
商社やNGOの人達と一緒に外国でお米を試作
したことも今では懐かしい。
もうお米づくりはなんだか飽きちゃったなぁ
モチベ最低と感じたこともあった。
そんなこんな思い出せないたくさんのこと、
31年分の経験をしてきてのこの感覚。
だから稲が穂を出すと言う当たり前のことが
今ではこんなにうれしくて、ありがたくて
涙ぐんじゃうんだなきっと。
今年の稲穂達、新しいいのち、ようこそ
この世界に。
うれしい、心からうれしい。
史上最速。
今年31年目のお米づくりだけど、
うれしさは慣れることがない。
それは駆け出しの頃より年々増していて
今日は出産した第一号の穂を見て
ありがたくて思わず涙ぐんでしまった。
若い時は農作業に慣れるのに精一杯だった
けれど、今は稲を愛でる余裕がある。
31年で本当にいろんなことが起きた。
たくさんの人と出会ったし
別れも見送りもたくさん経験してきた。
ぴょんぴょん跳ねるように農作業してたのに
今ではほんの小石に躓いて畦で一人転んでる。
昨年東京で結婚した娘はまだ影も形も
なかった。
苦労しても金銭的に報われない仕事だなぁ、
これからどうなるんだろうと不安になった
日もたくさんあった。
よし、これからは海外だ!とアジアの国々の
稲作地帯を周り、国際開発コンサルタントや
商社やNGOの人達と一緒に外国でお米を試作
したことも今では懐かしい。
もうお米づくりはなんだか飽きちゃったなぁ
モチベ最低と感じたこともあった。
そんなこんな思い出せないたくさんのこと、
31年分の経験をしてきてのこの感覚。
だから稲が穂を出すと言う当たり前のことが
今ではこんなにうれしくて、ありがたくて
涙ぐんじゃうんだなきっと。
今年の稲穂達、新しいいのち、ようこそ
この世界に。