敵わない

もうすぐ88歳になる父に最後まで
敵わないだろうことが2つ。

一つは将棋。素人ながら四段。
過去に一度だけ油断したところを三の丸、
二の丸、本丸とスルスル突破し天守閣3階まで
追い詰めたことがあったけれど、
4階からモノの見事にうっちゃられた。
あれは人生で最初で最後のチャンスだった。
今でも二人で「あの時は!」と語り草。

もう一つはこの太田橋。
美濃加茂市と可児市をつなぐこの橋は
大正末期に作られた文化財級。
子供の頃はこの橋の袂から
「日本ライン下り」と言う天竜川下りのような
20人乗りほどの観光木造船が出てた。

若い父が橋の上から観光船を見ていると
見知らぬ酔っ払った乗船客が
「おーい!飛び込んでみろー!」と叫ぶ。
父はそれに応えて
「よーし!見てろよ〜!」とこの橋から
本当に飛び込んだのだ。
一体どういう調子乗りなのだろう。

父はこの界隈では2000人くらいの大きな
工場に勤めていたが、今でもこの会社に
勤めていた70代から80代の世代の人
(すごい人数)に出会うと
「私の父をご存知ないですか?」と
父の名前を出すと「あー!君はあの
橋から飛び込んだせいちゃんの息子か!」
とビックリされる。

それもそのはず。
父は「よーし!見てろよ〜!」と別の日にも
そのまた別の日にも少なくとも3回は
飛び込んでいて、
最後の飛び降りの日は水が浅く
川底の石に尻をしこたま強く打ちつけて
立ち上がれずそのまま愛知県犬山市まで
流れて行き、引き上げられた先から
そのまま入院するという伝説ホルダーなのだ。

高い所が大嫌いな私はこの橋を通るたびに、
見るたびに父「飛び降りのせいちゃん」
の理解不能な偉大なる稚拙さに
いまだに恐れおののいてしまう。

何が何でも息子が父を越える必要はないが。
父を超えるならこの橋から4回は飛び降り
犬山市ではなく名古屋港まで
流れつかなければならない。
冗談ではない。
やめてほしい。