無理ではないかもしれないことはないこともないかもしれない

心情的モチベーションとしては
この風景を見るためにお米づくりをしている
と言っても過言ではない。
稲も風景も心の底から美しいと思う。
だが、実はここ福地はプロ米農家の
経営からすると明らかに条件不利な場所。

面積が狭い、作業効率が悪い、
水の便も悪い、猪や鹿が稲を食べちゃう、
高冷地ゆえ冷害やいもち病が発生しやすい、
高齢化で労働力がないetc
不利な条件を挙げたらキリがない。
(もちろん水源地、寒暖の差などいいこともある)

大面積の同業者からは
「よくもまぁこんなところで…」と
本気で顔をしかめながら度々言われる。
「平野に降りてくればいいのに」
そんな言われ方を失礼だとは思わない。
普通でも一枚の田んぼの大きさが
少なくとも数倍、米どころなら10倍以上ある。
作業効率は大人と小学生以上の差、
プロなら至極的確な意見だ。
ある人に「戦艦と魚雷艇ほどの
違いだ」と言われて上手い例えだなぁ〜と
感心したことがある。

たしかに、これまでここ以上に条件が悪い
または経営面積の小さな
稲作専業農家に私はただの一人も
出会ったことがない。
つまりここは常識で言えば
プロの生息域ではない。
世に出回る安いお米で競おうと考えても、
立地的に大量生産できない。
大量に作りたくても作れないのだ。

みなさんに支えられこれまで
やって来れたのは大袈裟ではなく
ほとんど「奇跡」に近い。

農業の常識からするとここでの稲作経営は
立ち行かないはずなのに生き残って来れたのは
農業の常識には捉われて来なかったから。
農家出身ではない分、感覚はいつまでも
農業外からの転職組。
東京も海外も私の中では近い。

もう一つは設備投資を怠らなかったこと。
経営面積は小さいくせに、設備の処理能力は
その数倍は楽にあり、かつほぼ最新スペックの
農機具を更新して慢性的労働力不足を
補ってきた。
その点、小さな国なのに最新鋭兵器で
固めているイスラエルに似てる。

私が転職した28年前と違い今は
「農業がやりたいです」とか
「自然の中での仕事や生活が好きです」
くらいの人では、とてもではないけれど
農業経営はやっていけない。
だから現実、うちには後継者がいない。
何人もプロ農家志望の人も来てくれたけど
体力か気力かお金のどれかの問題に
すぐブチ当たるのは間違いない。
うちを訪ねてきた農業志望者でその後
稲作のプロになった人はたったの…ゼロ。

農業経営で教えられる領域は実はかなり狭く、
その人の元々持ってる素養やセンスの方が
遥かに重要だと気づく。
他の職種と全く同じ。
そこに「農業だったら」と言う甘えは
通用しない。

 いや、心配し過ぎなんだろうか?

どこかに過酷や困難さも跳ね返す
生きる力がビンビンの米作り
志望者はいないものだろうか?

いや、そんな人はいないなぁ。
いや、待て、世の中は広い!
そんなガシガシのバイタリティある
若者がどこかにいるに違いない!
いや、そんなセンスのある奴はそもそも
こんな不利地もお米も選ばない!
いや、世の中は広い!
きっとどこかに後継者たる若者、
え〜い、この際国籍も性別も年齢も
不問で考えればどこかにいるはずだ!
いや、無理だなこりゃ。
いや、どこかに!
いや、絶対いないな。
いや、他の惑星まで広げれば。
いや、それ、そもそももう人間じゃないし。
いや、待てよ。
条件不利を逆手に取るような奴はきっと!
いや、どう考えても無理だな。
いや、ひょっとして。
いや…
いやいや…
いやいやいや…