2015年

4月

09日

大嫌いだった心理学

大学生の時、心理学なんて、人間を科学するなんて、なんと不遜な学問だろうと思って嫌で嫌で仕方がなかった。

なんとも不自然な学問だ、人は人として自然に生きていけばいい。人と人との関係性だって自然が一番だ。そう思ってたから心理学は嫌いだったしバカにしていた。

 

ところが、遅ればせながらどうもそうではないということに気づき始めて、いろんな本を読み始めている。

 

私は自分で言うのもなんだが、まともな家庭でまともに育ってきて、いじめられたこともいじめたことも多分ない、高校での強制的な勉強漬けは今でも思い出したくないけどトラウマと言うほどでもない、職場でも人間関係に恵まれてきたと思うし、転職も自分の中ではステップアップ、いわゆる普通と言うかまともなんだと思っている(笑)

 

ところが人生経験を積んできたにもかかわらず、人と深く付き合うと「あの人はなんであんな行動や言動をするのだろう?」人の言動がこの歳になって理解不能になることが度々起きる。

「あの人はどういう思考回路なのだろうか?」などと人を分析していくと・・私のこれまでの自然な関係性や生き方の中だけから答えを導き出すことには、かなり限界があることに遅ればせながら気づいた。

 

例えばキーワードは「発達障害」「アスペルガー症候群」「愛着障害」「ADHD」「9タイプ」などなど。

正常か異常かは命題ではなく、あの人はどんな傾向があるのか?を考えていく作業は、まさに自分自身にはどんな傾向があるのか嫌でも向き合わざるを得ない。これはかなりの勇気のいる作業だということが分かってきた。

今までは幸か不幸かこれらを全く知らずに来れたが、これらを知識として知っているだけで随分人との付き合い方、自分との付き合い方は変わってくる。

 

ラベリングすることを毛嫌いする人が多いのも、かつての自分がそうだったからよくわかる。でも、コトはそんな生易しい問題じゃない。一人の人間の経験や知識は、あまりにも狭く限界がある。

道具としての心理学や精神病理なんかの出番だと思う。

 

人を人として自分を自分として逃げずに見続けてみると、心理学などはもちろん万能ではなく常に疑う警戒感は必要だが、確かにいろんな示唆にも富んでいる。

少なくとも今の自分に心理学に対するのんきな毛嫌いさはもうない。

自分を覗く勇気があれば、紐解いてみよう。

ここはあえてユングでもフロイトでもなくアドラーでいってみましょう~。