2012年

8月

15日

祈りでは止まらない

敗戦記念日。

あれは中学生の頃だったか「軍旗はためく下に」の軍記モノを読んで、更に「行き行きて進軍」という映画を観て、あまりの不条理さに震えて寝れなくなった覚えがあります。

日本人の「名誉」「英霊」なんて一見聞こえのいい言葉を私は信用しません。これらは結局権力側にいいように使われるだけ。

 

戦争とは、肉親や親しい友人や子供が、撃たれて、爆撃されて、腸や目玉が飛び出て、首や腕や足が吹き飛ぶこと。特攻隊は英語訳なら単に「自殺爆撃(攻撃)」

それじゃマズいから、美談や軍神や勲章や英雄話。今日は「終戦記念日」正確には「敗戦記念日」言い換えが上手。

 

なぜ、手りゅう弾を真ん中に家族が自決(ほらほら、自殺じゃカッコ悪いから自決ね)しなくてはならなかったのか。

なぜ、我が子の口を塞いで殺さなきゃいけなかったのか。

なぜ、知らない遠くの国で木端微塵にならなければいけないのか。

なぜ、シベリアの大地で凍死しなきゃいけないのか。

なぜ、南洋で輸送船ごと溺れ死ななきゃいけないのか。

なぜ、見も知らない人を殺さなきゃいけないのか。

なぜ、ビルマの山奥で病死しなきゃいけないのか。

なぜ、原爆で一瞬にしてかき消されなきゃいけなかったのか。

なぜ、見せしめに処刑されなきゃいけなかったのか。

 

私は、たまたまその時代に生まれなかっただけで。他人事じゃない、自分の身に起きたこととして考える。要するに想像力だと思う。

 

「平和を祈る」と誰もが言う。なら戦争になんてならないはず。

ところが、また戦争になる。平和を祈ることは大事だとは思うけど、みんなで祈ったくらいで戦争は止まらない。

祈っただけで原発は停まらないのと同じ。

 

平和を祈ることと、平和でいる注意や努力とはまるで違う。

 

祈って安心している場合ではない。

戦争を放棄した憲法9条もやがて改正されるだろう。

私が権力者なら「日本人の誇り」「名誉」「英霊」「礎」戦争を美化する言葉か、中国や近隣諸国の印象が極端に悪くなるような情報操作を使えば簡単。「戦争がなくなりますように」という素朴な祈りはそれで吹き飛びます。

 

そうじゃない。もう一度。

「戦争」とは、肉親や親しい友人や子供が、撃たれて、爆撃されて、腸や目玉が飛び出て、首や腕や足が吹き飛ぶこと。

自分だけは、自分の家族だけは、友人だけは大丈夫!と思っちゃうのはハリウッド映画の世界だけ。

たとえば、私は、この映画の写真で正座して銃を突きつけられている人。どうしてくれるんだ?・・結局は誰も責任取ってくれない。

戦争と原発とは兄弟のようによく似ている。