なんだ、戻っただけか

誰もが思い切ってン百万円もする放射能測定器を借金して買うことはできない。だから、これまで「うちのお米やお餅は放射能は大丈夫です。」と言うことに実は若干のなんとも言い様のない後ろめたさがあった。意外に思われるかもしれないけれど。

 

例えば福島の農家の立場に立てば私のように「~安全です」という文句は逆に「うちのは安全じゃないかもしれない」という無言のプレッシャーだったり、原発事故から近いか遠いかという偶然だけで精神的にもこんなに差があってもいいのだろうか。いつもそう感じていた。

 

でも逆に安全じゃないかもしれないから、売れなくなったら大変だから農産物の放射能は測らないというスタンスの農家も、店舗も、業者も、圧倒的に多いのだという現実も知った。そんなスタンスには、はじめ心底驚いた。同じ農家として、食べ物を売る者の基本姿勢として「えぇ~っ!」と何度も何度も絶句した。

考えたらきりがない。

 

では、自分は結局誰のために「~安全です」と表明しているのかと原点に帰ってみる。当然のことながら安全表明は、世の中や他の農家さんの為にではなく、やっぱり自分のため、お米のお客さんのために他ならない。

だから、もう後ろめたさや変な感覚に陥るのは止めにしよう。起きてしまったことは元には戻らない。自分の商品が放射能汚染されているかどうかも知らないで売るなんて、到底、私には、できない。

ただそれだけだ。

やっとシンプルな答えに行きついた。

あ、なんだ、原点に戻っただけじゃん。

(写真は放射能測定器を開いたところ。白丸部分に検体を入れて測ります)