2011年

6月

07日

何を警戒すべきか

帰って来て一日中一人で田んぼの畦の草刈り。労働です。

肉体的に大変な労働が自分を作ってくれ、言葉に力を与えてくれます。

口だけの仕事と農業は実感が違います。農業の基本はやっぱり動くこと。自然の中で頭を使い体を使い感性をフルに使います。

 

都会では、起こる可能性が限りなくゼロに近いテロ対策「警戒中」「不審物は~」の表示やアナウンスで一杯です。

サブリミナルのような無意識の恐怖の蔓延が恐怖を増長し、恐怖は徐々には攻撃に変化していきます。

「世の中ドンドン危険になっていく」と聞くことが多いですが、例えば凶悪犯罪は、昭和20年代戦後の一時期をピークに実はずっ~と減り続けています。「えっ?」と思われるかも知れませんが事実減っているんです。

そんな実感が無いのはなぜでしょう。

 

テロ対策や警戒には「安全のため」という大義名分で警察を始め相当巨額な予算が投入されます。安全の為ですから、つまり、世の中は「危ないものでなければならない」のです。テロは危ない、安全の為なら予算は大きくなっても仕方ないという理屈が必要です。またもやお金です。

ところが、現実には凶悪犯罪は年々減っているのです。「テロは恐い」と植えつけられているけれど、では「テロってなぁに?」と聞かれてちゃんと答えられる人はまずいません。全てはイメージの世界です。

 

どこかで聞いたカラクリですね。

そう、同じです。

 

夏場の電力は「足りない」と言うことでなければいけません。そうでなければ原発の存在理由も巨額な予算を投入する大義名分が無くなってしまいます。放射能の危険を侵してまで原発を稼働させるにはそれなりの理由がないとイケマセン。「電力が足りなくなる!」この一点が「テロ」と言う言葉と同じく原発の存在意義イメージを作り上げます。

 

でも、実は電力は日本中の原発止めてもちゃんと足りていて、テロも限りなく起こりはしません。これまでの統計を見ればハッキリしています。

 

だいたい、飛行機がビルに突っ込むのはテロなのかも知れないけれど、通り魔や無差別殺人など昔からある犯罪もどこかごちゃ混ぜ「テロ」扱いです。

そんなこともテロなら、原発の情報を隠し、危険か安全かの判断力を奪い、本当に危険な地域からも国民を避難させず、安全を繰り返し、多くの子供たちの将来の命まで危険にさらす、そういうのこそ「テロ」と呼ぶに値します。

東京は原発事故は既に収束したか、事故自体起きてないかの様な他人事の雰囲気で驚きました。実際には放射能が飛んできているのに、放射能は無視してひたすら「テロ特別警戒実施中」の立て看板。

どの駅のトイレの入り口にも写真のような「警戒中」の張り紙。

冷静に、現実に、怖いのは限りなく起こりもしない「テロ」なのか、実際に飛んできている「放射能」なのか?ちょっと考えれば分かる筈です。

騙されちゃいけません。

 

私なら東京にある無数の「テロ警戒」の張り紙はすべて「放射能警戒・測定中」に、「不審な物は駅員まで」と言う張り紙は「基準値を上回る放射能を検知した方は駅員まで」と貼り替えたらいいと思うのです。

「テロ警戒」の張り紙を見たら「本当は何に警戒すべきか」を思い出してみて下さい。