そうか

お米作りを始めて10年ほど稲作の技術書や肥料や栽培法の本を何十冊も読みまくりました。きっとどこかに自分の目指す理想的な米作りの栽培技術が書いてあるに違いないと探し回った10年でした。結果から言うとそんな本は一冊もありませんでした。

本によって書いてあることがまるで違い、驚くほど正反対の栽培理論も沢山目にしました。考えてみれば当たり前のことで、ここ福地の土質や水や気候をバッチリ考慮に入れて書かれた本がある筈がありません。そこで得た稲作の知識は勿論その後の米作りの考え方に役立ちましたが、

「結局自分で考えていくしかないのだ。」

究極のところ、どんな名人も農学博士も稲のことなんて分からない、分かる筈がないのです。稲の前では人間の知識なんて爪の先程のわずかなこともないのです。

 

「内部被曝の脅威」(肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著/ちくま新書)を読んで、これまで勉強してみた放射能のことを思い返してみると、稲作の本を読みまくっていた当時のことを思い出しました。内部被曝や放射能の人体に対する影響や危険性がインターネットやテレビ、本や大学教授、医師によってまるで言っていることが違うのです。違い過ぎる。あまりにも違う。

 

どうやら結局のところ、誰にも原発や放射能やその危険性の正確なことが分からないと言うことに気付き始めました。語る人の立場や職種や経済的なバックボーンや歴史によって見えているところが違えば、意図するところも違うんですね。

ただ、これまでにハッキリ見えて来たのは「安全派=放射能の影響は少ない派」の意見は概して莫大なお金や大きな力が働いていて、「危険派=放射能はとんでもなく危険だ派」は個人の経験や思いを元にお金や大きな力とは関係のないところから発されていると言うことです。

私は大事な人を守りたいから完全に危険派に基準を置いています。少なくとも得体の知れない、訳が分からないモノなら安全とは言わない。

 

安全なのか危険なのかを考えていくと、結局のところ原発だけでなくそれに通じる考え方や生き方や哲学が試されていることに気付きます。

 

「内部被曝の脅威」~原爆から劣化ウラン弾まで~は肥田医師の哲学が心に響き強く感じられる本です。東電ですら可愛く見えてくるような世界規模での被曝の構造が見えてきて、「ああ、もう逃げ切れないのだな、逃げ切れないのならどうするのか」という新たな感覚が待っています。

私達に求められているのは自分のこととして考える想像力なのだと思います。

 

この本は原発事故以前2005年、もう6年も前に書かれました。

‘‘先々どういう形になるかは分からないけど、原子力をいちどきにストップすることはあり得ないでしょうから、結果として犠牲者を出しながら徐々に変わっていくという形になるでしょう‘‘(本文抜粋)

 

よかったら読んでみて下さい。

 

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コメント: 2
  • #1

    ひさし (月曜日, 11 4月 2011 17:53)

    叔母が生きていたら笑うかもしれません。
    昨今の騒ぎを、叔母ならば何と言うでしょう。
    昭和20年8月9日、長崎市内、浦上に近いとろこで被爆して、奇跡的に生き残って、でも長い間「原爆病院」で治療を受けて、放射能の風評に悩まされて、婚期は遅れて、それでも縁があって結婚、子供が産まれ、孫もでき、平安な生活をおくり、3年前に亡くなりました。
    長生きしました。
    人の口が恐ろしい。
    テレビや新聞の報道の在り方が怖い。
    叔母ならば、こう言うかと。

  • #2

    山ちゃんのお米 (月曜日, 11 4月 2011 21:55)

    ひさしさん ありがとうございます。
    この本の著者肥田医師もまた被爆者です。被曝の瞬間からどれほど多くの悲惨な死を無力感と共に見送ってきたかと言うことが、その後原爆、内部被曝の研究をされるきっかけになられたそうです。
    被曝の感受性は人によって全く違うようで、肥田医師も当時既に陸軍軍医少尉だったから今では相当なお歳だと思いますが、ご健在のようです。
    「人の口は恐ろしい」危険派・安全派がお互いを否定し合う展開になりつつありますが、それは今起きている現象で、根本的な事柄ではないと思います。必要以上に危険だと言うデマがあれば、必要以上に安全だと言う安全デマもあります。
    実はどちらも風評です。
    原爆の風評も農産物の風評も、人の口も、原爆や原発が無ければ起きなかったことです。原爆も原発も要りません。