2011年

3月

20日

みんな

阪神大震災直後に神戸YMCAに救援スタッフとして横浜YMCAhttp://www.yokohamaymca.org/から派遣されたのは私と現・東神奈川YMCA保育園園長の中台氏の二人でした。(志願ではなく業務命令として)

地震は1月、私は既にその時には3月一杯でYMCAを辞め、岐阜で農業をすることを決めていました。

災害地派遣に「何でYMCAをもうすぐ辞める奴を行かせるのか?」と上層で疑問の声が上がったにも関わらず「それでも山田を行かせる」と突っぱねて下さったのが他部門の上司、現「一般社団法人ロータリーの友事務所」の所長のW氏でした。

「この災害派遣を通してYMCAの組織を別角度から見直せば、ひょっとして山田はYを辞めないかも知れない。もし辞めてもYMCAとのつながりを大事にするだろう。」W氏の思惑だと私は深読みしてましたが・・W氏からの訂正メールによると「山田がYを辞めないとは思っていなかった。ただ、つながりは残るだろうと思った。」とのことです。

現地西宮YMCAには仙台、北海道、京都他、全国のYMCAからスタッフが抽出派遣されて来ていて、連日集まって下さる1000人を超すボランティアの方々を食糧、炊き出し、物資、給水、緊急、独居老人、子供たちのケアーなどの仕事に手際良く分かれていただき、また自分達も実際にその仕事をしました。

全国から抽出されたYMCAのスタッフは、今から思い出してもみんな中々のキレ者でした。特に後にプロモーグル選手や社会人野球などのトレーナーとして活躍することになる北海道Yの久村氏、後に私立高校教諭・大阪府の社会人テニスで何年も優勝することになる仙台Yの木村氏とは、期間中に互いに認める間柄になり今でも交流があります。

この二人、奇しくも数ヵ月後にはYMCAを辞めることを決めてるところまで一緒。今回の震災では連絡を取り合っていませんが、間違いなくこの二人も動いていると思います。

派遣中はもちろん一度もお風呂に入ることもなく、食事は毎日おにぎりとカップラーメンで睡眠時間も僅かでしたが、2週間の派遣期間を終えると横浜Yの仕事に戻り交代要員が来てくれます。

あの時も暖房が無くて寒かった。。。スキーウェアーを着て段ボール引いた床で寝ましたが、最後には本当にフラフラに疲れ切っていました。

自分の経験から言えば、2週間までは緊張感でなんとか持つけれど、それ以降は被災者・ボランティア含め加速度的に疲れが出てくるのではないかと思います。震災から一週間が経ちました。天気だけでも早く暖かくなってくれることを祈るばかりです。

 

自分にとっては阪神の震災は人生の舵を農業に切る直前の出来事でした。

被災地で賞味期限切れのおにぎり一個、カップラーメン一個の有難さを現実に思い知り「食糧を作りだす農業を選ぶことに間違いなし!」農業に進むダメ押しの経験になりました。

 

全国のYMCAを束ねる日本YMCA同盟http://www.ymcajapan.org/の現総主事(一般で言う社長)は、当時の横浜YMCAの別部門の上司S氏です。今回も震災後何度か連絡を取り合い、YMCAと農業の立場で今後できることのビジョンを話し合いました。

各種団体と広いつながりを持つ「小早川デザイン塾」のプロデザイナー小早川喬氏とも、微力ながら今後の復興の一助になるかも知れないアイディアを交換し合いました。

行政、各種団体、NGO、NPO,日本中でこうした無数の動きがあります。

被災地以外も例外なく大きく影響を受ける今回の災害。

誰も経験したことのない復興までの長期に渡る時間、覚悟が必要ですね。

みんなの力。 きっと大丈夫、明けない夜はない。

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コメント: 2
  • #1

    W氏 (火曜日, 22 3月 2011 12:23)

    「現・東京ロータリークラブのW氏でした。」の記載は間違いです。
    正しくは「一般社団法人ロータリーの友事務所」の所長です。
    「ひょっとして山田はYを辞めないかも知れない。」とは思ってなかった!!
    「もし辞めてもYMCAとのつながりを大事にするだろう。」とも思ってなかったが、繋がりは残ると。

  • #2

    山ちゃんのお米 (火曜日, 22 3月 2011 21:18)

    W氏、ありがとうございます。誤りの記載は訂正いたしました。いろんなところに友が増えて分散していくのもいいものですね。久し振りにお声が聞けて嬉しかったです。