稲の花

穂が出始めました。穂が出ると花を咲かせ受粉しお米になります。白く見える小さいのがいわゆる稲の花です。早朝もみ殻がパッカ~ンと開いてその瞬間に花粉が飛んで自分に自家受粉します。その時に雨や風が強いと受粉できなくて最後まで実は入りません。何年も見てると、イネはいつ花を咲かせようか、開花のタイミングは受粉しやすい微風の朝を選んでいると感じてます。脳ミソのない筈の稲の一体どこにそんな繊細なセンサーがあるのか??不思議な世界が広がってます。茎は何本にするのか?米粒は何粒つけるのか?葉っぱは何枚にしようか?身長はどれくらいにしようか?全てはあの小さな米粒の中にプログラムされています。よく考えるのですが、人間も活動するのに大事な腕や足、目、耳などは2つなのに、生きる為に大事な口、肛門、性器などは一つしかないのはどうしてなんでしょう?忙しい時なんか腕が10本ぐらい釜ジイの様についてたらどれほど助かるだろうと考えてしまいます。あ、千手観音は確か衆生の人々を救うために手があんなに沢山ついてるんですよね。大乗仏教の釈迦の手の平は、同じく沢山の人達を救いあげる為に水かきが付いているそうです。これはどちらも完全に私の10本の腕の発想と同じ無い物ねだり、人間の願望の産物でやっぱりどこかヘンテコ。